第三十五話 積み荷
「頼む、入れてくれないか。怪我人がいるんだ。安静が必要で……せめて、少しだけでも休ませてほしい」
ウルスラが幌馬車の外で声を張っている。シピは、添え木で固められたオネルヴァの手足を見つめ、そっと寄り添っていた。馬車の外から聞こえてくるウルスラの声に、息を殺して耳を澄ませる。ここはキヴィキュラ。オネルヴァの実父である世話人の出身地だ。
閉鎖的な山間の村――しんと静まり返った空気に、もう雪が舞っている。そっと近づいてきた子どもたちが幌馬車の中を覗いた。シピと目が合うと驚いて散り散りに逃げてしまう。
最初から、歓迎を受けないであろうことは覚悟の上だ。ウルスラともそう話し合っていた。しかし、村の入り口付近で馬車を留め置き、中へ入れないところまで徹底されるとは思わなかった。それは、世慣れたウルスラにとっても予想外だったらしい。口調に宿る焦りが、演技に思えないほどの真実味を帯びていた。
馬車の揺れの中で、何度も確認し合った計画がある。オネルヴァが、手足を骨折したことにする。今動かしてしまうと後遺症が残る可能性も高い。よってしばらくの間村に逗留し、療養させてほしい、と頼む。そしてその中でもケシュキタロ夫妻――世話人の実家へ。
世話人が、キヴィキュラへ向かうようにと言ったのには理由がある。自分の出身地だからという単純な話だけではない。冬の間キヴィキュラは完全に外界から閉ざされ、余所者が入り込む余地はなくなる。そうすればシピたちへの追っ手もなくなる。そもそも、小さすぎる村であり、捜索の目をかいくぐるにはちょうどいい。
そして……冬を越えれば。器の儀の時期を過ぎたオネルヴァに、もはや価値はない。捜す理由すらなくなる――そのはずだ。
シピの目には完璧な作戦だと見えていた。だが、やはり現実は思うようにいかない。ここまで強く拒まれるとは。おそらく村の有力者が、何度も何度も入村させない旨を告げてくる。ウルスラの焦りがその声から伝わってくる。
「ここはなにもない村だ。あんたたち都会モンが留まる場所じゃねえ」
「あたしたち全員じゃないさ。怪我人と、その夫だけでいいんだ。もし無理に移動させたら、もう歩けなくなっちまう。ちょっとの間だけでいいんだ。治ったころに、また迎えに来る」
ウルスラがそう述べたとき、相手の男性が笑った。それは嘲りを伴うものだ。
「ああ、そう言って、もう二度と来ないつもりだろう。そういうもんだ。この村から出た奴で、戻って来たモンなんかいねえよ」
「そんなつもりじゃない! 本当だよ!」
なにを言っても無駄だった。オネルヴァが寒さに震えている。その小さな肩をぎゅっと抱きしめながら、シピ自身も寒気に耐える。
「積み荷をいくらか置いて行くよ。お礼として。だからお願いだよ」
もともと、ウルスラは旅商人の格好をしている。また、商隊から別れて来た荷馬車だ。なので通常の商品も積載している。
その言葉は魅力的だったのだろうか。いくらか間があった後、低く声があった。
「半分」
「え?」
「半分、置いて行け。それで受け入れてやる」
それを聞いて、シピは荷馬車の中をぐるりと見回す。藁むしろの箱や木箱。中身がなにかは知らないが、それほど多くはない。きっと最初から村に置いて行く予定のものばかりだ。ウルスラは心底ほっとした声で承諾する。
「ああ、よかった! 療養させてくれるなら、ぜんぶだってやってもいい! どこに置けばいい?」
「……中へ」
そう言われてしばらくしてから、ようやく馬車が動いた。シピは詰めていた息を吐いた。
ウルスラと御者の男性が乗り込んで来る。
「よかった、よかった! おまえたち、ちゃんと休ませてもらえるよ!」
多少の演技と、本音。ウルスラの笑顔の声は雄弁だ。御者男性は黙々と積み荷を降ろして行く。ウルスラもそれに続く。馬車の周りに、人々の気配が増えて行く。
「――中を検めてもらえばわかるけれど、こっちが医薬品。で、こっちの中身は乾物だ」
「乾物? なんの?」
「果物と、あと魚だね。あっちの、山向こうの海の国からの交易品だ。あっ、もしかして、嫌いだったかい?」
「……置いていけ」
山岳地帯にあるキヴィキュラならば、海魚はきっと珍味だろう。来る前にウルスラがそう言っていたのを思い出す。咄嗟に祭りの仮設街を出てやって来たにもかかわらず、彼女は抜かりがなかった。
「じゃあ、これでぜんぶだよ。あとは、怪我人を預かってくれるのはどの家だい?」
その言葉に、しんとあたりが静まり返った。おそらく多くの村人が集まって来ているにも関わらず、声を上げる者はない。積み荷は欲しいが、厄介事はいらないということか。しかし、それすらもウルスラは読んでいた。
「――知らん。自分で頼み回って、探せ」
「いやいや、それはないんじゃない? ちょっと、だれか! 頼むよ!」
声を張り上げるが無駄だ。村人たちが積み荷を運んで行く気配がある。ウルスラがわりと本気の声音でそれを嘆き批難している。
「あー、あー! 探せって、どうしろってんだ! 一軒ずつ頼んでみろって? しかたない、端っこの家から行ってみるか」
それはぼやきと見せかけて、村の人々への告知だ。声をかけたなら、本当に親切心で受け入れてくれる家もあるかもしれない。が、ウルスラが真っ直ぐに向かったのは、村の端に位置する家だ。そうすると、最初から聞いている。
やがて、またしばらくしてから馬車が動いた。幌の中を覗き込んで、やはり観察しているであろう村人たちへ聞かせるために、ウルスラは笑顔でシピたちへ言った。
「よかった、よかった! あんたたち、ケスキタロさんっていう、村外れのお家が受け入れてくれたよ! 皮なめしをされてるんだってさ。さあ、休もう。よかった、よかった!」




