第二十七話 仮設街
「今日の午後にはサルキヤルヴィに着くよ。すぐに祭りの準備に入るけど、あんたはマンネのところで幕屋張りを手伝って。姫さんはこっちで預かっておくから」
移動を始めて一週間が過ぎたころ、朝食を運んできたウルスラが、シピにそう告げた。立ち寄る街では、今年最後の大きな祭りがある。シニサラマンの商隊がそこで幕営し、出店する――それは以前から知らされていた。
幕屋の張り方は、この数日でシピも手慣れた。マンネと呼ばれる啞者の中年男性から、その手順を教わったのだ。
発声ができない人物と接するのは生まれて初めてで、どうしたらいいのかわからず挙動不審になってしまう。恐れの気持ちもあった。それでも共にいくらかの時間を過ごすと、なんの気兼ねもいらないのだと気づく。ことばがなくても、通じるものはあるのだと。
オネルヴァは、シピが作業をしている間、近くでじっと観察している。いまでは、シピの袖口を握っていなくても怯えない。姿が見えなくなっても、泣いたりはしない。それは、必要な成長であり、よろこぶべきことだ。
それでも、シピはどこか虚しく感じてしまう。そして、そこに恐れを覚える。
シピは、自分を必要としているオネルヴァに安堵していた。それは甘やかな是認で、シピが今ここにあることを肯定する。なにもかも間違えたかもしれない――心のどこかでそう思っているシピにとって、それこそが命綱だ。
ウルスラは、なにもかもを見て取っている。語らずともシピの心の内を把握している。それは、形は違えどシピと彼女の立場が似たものだからだろう。
彼女が欲しているのは、まさしくシピの在り様なのだと思う。世話人とどんなやり取りがあったのかは知らない。しかし彼女が見せた執着は、世話人をただ搦め捕るものだ。
そうあってはならないと思う。そうなってはいけないと思う。シピは、オネルヴァをあの窓から解放したくて行動したのだ。だから、歪で醜い独占欲など、あってはならない。
そうだ、独占欲だ。シピは自分の感情の名前を知っている。
ウルスラの予告通りに、昼を過ぎたころには街の外壁が見えてきた。シニサラマンの幕営地は、その外壁に沿ったところだ。
祭りの期間中、商隊すべてを仮設の街へと変えてしまうのだという。それは、とてもすごいことなのではないかとシピは思う。どんな様子になるのか皆目見当がつかず、たのしみではあるものの、よくわからない。
マンネに指示されるがままに積荷を降ろし、見取り図に沿って幕屋を張っていく。かなりの重労働であり、半日がかりだ。ウルスラは宣言した通りにオネルヴァをどこかへ連れて行った。オネルヴァはそれに抵抗しなかった。タイヴァスから出てこのかた、こんなにも互いに別々の場所にいたことはないが、それに思いを向けられないほどに気忙しく、常に動き回っている状態だ。
日が落ちるのは早くなり、夕方になる前から灯火が揺れはじめる。祭りはそうした灯りを煌々と照らした中で行われる。それは、この商隊が裕福な証拠でもある。途中からマンネとも別行動になり、どこでも人手が足りないので、求められるままにシピは手を貸した。そうこうしているとあっという間に夕闇が訪れ、自分が仮設街の外れまで来てしまったことに気づく。
戻らなければ。そう思ってあたりを見回すも、自分が所属している荷馬車がどこにあるのかもわからなくなってしまった。幕屋が区画に分けて張り巡らされ、隊列の様はなくなっているから、なおのことだ。
あたりはすっかり夕闇に包まれ、知らない顔ばかりが行き交っている。ふと、怖くなる。オネルヴァの手を握っていたときのような、心の安定がどこにもない。
商品を並べ始める出店を横目に、シピは通路を巡る。そして――
「兄さん、どこかで見た顔だね」
シピが迷っているのを見て取ったのか、ある幕屋から声がかかった。そちらを振り向くと、若い女性の姿。




