第二十四話 着替え
到着したのはどこかの倉庫と思えるところだ。シピがそう考えたのは、タイヴァスにある穀物庫と似た形状の建物だからだ。タイヴァスは多くの地方や人々から寄進を受けており、それは金銭だけによらない。
年中いつでも満たされた状態の穀物庫は、タイヴァスを抱えるタイヴァンキの力と豊かさの象徴でもある。なので禁域と近い場所にあり、荷物の搬入の際に足たちが駆り出されることはあったが、普段は管理者以外近づかない。その中には常にタイヴァンキの人口を数年養えるだけの食料があったものだ。
なので、規模はずっと小さいとはいえ連れられて来た倉庫の中へ入ったとき、そこがまったくの空だったことにシピは心底驚いた。
「ここは、倉庫ではないのだろうか?」
「ん? 倉庫だよ」
「どうして、中になにもないのだろう?」
奥へ奥へと進んで行くウルスラの背を追いつつ問いかけると、振り返りもせずに彼女は答える。
「そりゃ、入れるもんがないからさ。ここいらは、今年水害でやられた土地だからね」
シピははっとする。そういえば、タイヴァスに集められる各地の災害や気象の情報に、長雨による河川の氾濫と農作物の被害届けがあった。
シピも含めて足たちのすべては、世情を知るためそうした情報にも触れる。神の足には高い教養と知性が求められているからだ。各地から集まった情報を元に収穫高や生産性を算定し、それを穀物番へ報告するのも、足の日常の役目だ。その数値が寄進を受ける際の目安になる。
今年、寄進額が目安よりも大幅に少なかった地域があったと思い返す。シピは恐る恐る、ウルスラへと尋ねる。
「ここは……コルヴェンケトなのだろうか?」
「おー、よくわかったね。その近くのコルヴェンキヴィって町さ。水害って聞いただけで言い当てるなんて、さすが神の足だね」
書物で見た名を告げたシピに、ウルスラは感心した様子もなく答えた。褒め言葉だが口調は軽く、まるで動じていない。がらりとした倉庫の中を突っ切り、最奥の出入り口から裏手へ出て行く。オネルヴァを抱いたシピもそれに続いた。
倉庫の中とは打って変わって、そこにはきらびやかな仕立てのしっかりとした荷馬車があった。幌の腹にはシニサラマン・コンソルティオ ――『青雷光商会』という名と、稲を象った社章が掲げてある。
御者台へ近づきだれかと何事かを話しているウルスラと、その看板を見比べ、シピは驚きを隠せないでいる。世俗に疎いシピでさえ知っている商社なのだ。タイヴァスとも取り引きがあるはずだ。そんな大手の組織に所属している女性だったのか、と関心する。
「さあ、中で着替えて。今着てる服はぜんぶ処分するよ。持ってたってなんの得にもならないからね」
きびきびと戻ってきてウルスラは幌の中へとシピとオネルヴァを急き立てた。乗り込み、慎重にオネルヴァを中へ座らせる。オネルヴァはシピがまた姿を消すと思ったのか、シピの袖口をつかんで離さない。
「さあさ。あんたはこれ。お姫さんはこっち。はい、さっさと着替えて」
「あなたは、シニサラマンの人なのだな」
オネルヴァが手を離さないので、そのまま上着の合わせを解きつつシピは言った。ウルスラは天気の様子を答えるかのように言う。
「ああ。シニサラマンはあたしの会社だよ。親から受け継いだもんだけどね。三代目だ」
もしかしなくてもそれは、すごいことなのではないだろうか? そう思ったが、ウルスラがあまりにも当然のように口にしたことと、シピ自身の一般的な知識の欠如により確信が持てない。なので、シピはあいまいにうなずくに留めた。
着替えは困難を極めた。なにをするにしてもオネルヴァが拒否するのだ。シピ自身は邪魔しようとするオネルヴァを回避しつつどうにか衣装を替えられたが、オネルヴァは決して自分の身に着けているものを放そうとしない。とりわけ、世話人からもらった外衣については、触れようとすると強張った顔でこちらを見て後ずさる。
「はあー、もう! お姫さん、あんたのわがままにつきあってる時間はないんだよ! タイヴァスから人が来るだろ!」
しびれを切らしたウルスラは、荷馬車内でオネルヴァを奥まで追い詰める。唇を固く結んだオネルヴァは、身を縮めてそれに抵抗する。
シピはその様子をはらはらと馬車の外から窺うが、ウルスラの言葉が気になり尋ねた。
「タイヴァスから、人が来る?」
「あんたたちの捜索が始まったんだよ! 報せがあった!」
ウルスラとオネルヴァは互いに毛を逆立てた猫のようだ。シピはウルスラの言葉に背筋が冷える。本当に、時間がない。早く逃げなければ。
「――オネルヴァ。オネルヴァ。あなたの服を勝手に捨てたりしません。ただ、今は着替えなければならないのです」
シピはなるべく穏やかに聞こえるよう、ゆっくりと声をかける。
「私も着替えました。同じ服を着ましょう。そして、次の場所へ行くのです」
しばらくの後、オネルヴァの動く音がした。ウルスラの大きなため息もある。しかし、すぐに動きは止まったようだった。
「……お姫さん。もしかしてだけど。あんた、自分で服を脱げないのかい」
「シピ」
ウルスラの問いかけへ、オネルヴァはシピへの指名で答えた。ウルスラが長い長い息を吐きながら荷馬車から降り、シピの肩を叩く。少しだけ得意な気持ちでシピはもう一度乗り込む。
オネルヴァはシピを見ると立ち上がり、両手を上げた。彼女の背丈ならばそれでも天井にはまだ遠い。世話人の外衣は隠すように馬車の奥へ押し込まれている。オネルヴァが着ているのはくるぶしまでの貫頭衣だが、女性向けに形作られているようだ。シピが普段着ているものとは印象が違う。シピは、女性の着替えを手伝うのはいいことなのかよくわからなかった。しかしウルスラがなにも言わないのだからいいのだろう。
くるぶし部分の裾を持ち、引き上げて脱がせる。その下は肌着だ。あらわになった腕と膝下の白い肌に、シピは目を奪われる。
そして。
「――オネルヴァ! 血が!」
右足を伝う、赤い筋。移動中に怪我をさせてしまったのかとシピは動揺する。ウルスラが即座に中を覗き、状況を把握し、言った。
「はー、月のものが来たんかい。なにからなにまで手がかかるお姫さんだよ、ほんと!」




