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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第二十話 移動

 幌布の隙間から差し込む日の光が、まぶたを柔らかく照らした。シピは目を瞬かせながら目を覚ます。

 状況を把握できなかったのはほんの一瞬で、すぐに身を起こす。馬車は依然速い速度で動いており、隣りにはオネルヴァが横たわり、眠っている。その安らかな寝顔に胸をなでおろすと、シピはそっと馬車の出入り口から外を覗く。

 視界には舗装された街道と、草の匂いを含んだ朝の空気。遠くには、見知らぬ森が連なる。

 太陽の方向から、おそらくタイヴァンキからは東南東へ進んだと思える。そして今は朝餉くらいの時間だろう。……そろそろ、シピとオネルヴァの不在が明らかになったころだ。

 ひとつ、身震いする。自分が成したことの大きさと責任が、不安と緊張が、シピの心に追いついてくる。どん、と馬車が大きく揺れ、怖気づいたシピを叱咤するようだった。

 オネルヴァは、世話人がくれた外套を着込み、その袖口を宝物のように抱いて眠っている。それを見て、シピの胸の奥がずきりと疼く。

 本当に、あの人の元から彼女を引き離してよかったのだろうか。果たしてこの父娘を引き離すことは、本当によいことだったのだろうか。後悔のような自問が首をもたげる。けれどもう、後戻りはできない。シピは、オネルヴァを連れて出奔したのだ。


 少しの後、馬車ががくんと揺れ、速度が落ちる。だれかが馬車を誘導する声がする。その言葉に応じて、馬車は左手へ進路を変えた。やがて、完全に停車する。

 御者席の幌布が動き、女性の顔が覗く。およそ四半日近くは御者台に座っていたのに、疲れを感じさせない涼やかな声で女性は言う。


「よく眠れたかい、王子様。さあ、この馬車を降りるよ。お姫さんは抱っこしてあげな」


 シピはあいまいにうなずいた。なんにせよ、ここがどこかもわからないシピは、今はこの女性の言うことに従う必要がある。オネルヴァの眠りを妨げないように、慎重に抱き上げる。

 そっと幌の中から出ると、そこは馬車の停車場のようだった。まだ仕事時ではないのか、多くの辻馬車が列んでいる。シピが戸惑っていると後ろから帽子を被せられた。


「あんたはそれなりに目立つ顔しているからね。これかぶっておきな。こっちだよ、着いといで」


 質問を投げかける隙すらない。シピはあわてて女性の背中を追う。

 市街地の裏道を通っていくつもの建物の間を縫い歩き、白い漆喰壁の建物にたどり着く。女性はシピが問題なく着いて来ているのをちらりと確認してから、ためらいなくその中へ消える。シピもそれに続いた。

 細い階段を上がって、二階。隣りの建物の壁がすぐ傍に見える窓の、小さな部屋。寝台と敷布。他には用足しのための壺と、小さな食卓。あるのはその程度。


「とりあえず昼まではここで休んで。今食事を持って来るから。姫さんはそこに寝かせておきな」

「待ってくれ、聞きたいことがたくさんある」

「だから、食いもん持って来るって。それからでもいいだろうさ?」


 うんざりしたような口ぶりで言われ、シピは口をつぐんだ。細い階段を降りていく姿を見届けた後、オネルヴァを寝台へ寝かせる。その際に薄く目を開いたが、シピの姿を見て安心したのか、また眠りに落ちる。おそらく、オネルヴァ自身も多くの気疲れがあるのだ。シピはその頭をそっとなでた。


「――ほら。あんたたちの分。食ったらまた寝ておきな。昼からまた移動だから」

「……ありがとう」


 手つきの籠に飲み物の瓶がふたつ。それにカラクッコと呼ばれる長期保存用のパンが二切れ。それはライ麦パンにムイックという淡水魚と豚肉を詰めて長時間焼き上げたものだ。タイヴァスの朝餉のように繊細なものではない。けれど十分だ。

 乾ききっていたシピは、疑うこともせず瓶をひとつ呷った。中身はマイトキーッセリで、牛乳にジャガイモ粉を入れて煮込み、ベリーを添えて冷やした甘い飲み物。床にあぐらをかいて座り、カラクッコにも手を伸ばした。作りは粗雑で味付けも違ったが、幼いころに母が作ってくれたカラクッコの記憶がよみがえる。女性はシピのその姿を見て笑った。


「おう、おう。それじゃあ、姫さんの分も食っちまう勢いだ。そりゃそうだね、あんたはあの距離を走って来たんだからさ。姫さんが起きる前に、また別に持って来るよ。平らげてしまって」

「かたじけない、助かる」

「いいさ、あたしはあんたたちを預かったんだからね。ちゃんと飲み食いさせるのも責任のうちさね」


 そう言って、女性はシピと向かい合うように床に座った。シピと同じようにあぐらで。シピの母がこうしてあぐらを組む姿は記憶になかった。きっと、それぞれの土地の作法なのだろう。


「では、お待ちかね。質問の時間といこうか。まず名乗っておくよ。あたしはウルスラ・ティーラ・ホラッパ」

「ウルスラ。私はシピ・イェレ・レヘヴォネン」

「ごていねいにどうも! で、聞きたいことはなんなのさ? たくさんあるだろう?」


 ウルスラと名乗った女性は、この状況をおもしろがっていることを隠しもせずに言う。シピは、どこから聞けばいいのかと思考を巡らせた。そして、問う。


「……あなたは、世話人殿……オネルヴァの父君とは、どのような関係なのだ」


 ウルスラがにやりと笑った。

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― 新着の感想 ―
シピが人心地ついたように、見守るワタシもホッと安堵しました~。ひんやり大理石の手触りだった世界はいま麦わらの芳ばしい匂いで一杯になっています。
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