第二話 神の足
本日2話目です
彼、シピが初めて『神の足』としての任を果たしたのは、もう遠い昔。九つのときだ。
彼が『一』になったのは、神籤によるものだった。他の四人の順番もそれで決まった。彼は一であるから、御輿の正面を担う。
幼いころから、彼は目を引く容姿の子どもだった。南方の血を強く思わせる褐色の肌はそれだけで目立ったし、父方の祖母に似た面立ちはとても愛らしく、両親は誉れあるタイヴァスへの招きを断ろうとさえしたほどらしい。
御輿を担いで歩く際、多くの衆目に晒される。彼らはその際に、感情をあらわにしてはいけない。たとえ幼くても『神の足』なのだ。完璧にこなさなければならない。
美しい容姿の少年たちが、淡々と責務を果たす。その姿は、御輿に乗る『姫神子』の存在と相まって、この世のものとも思えない神聖さに満ちていたという。事実、初めてタイヴァンキの街道を歩いたときのことは、彼の中で人々の感動の涙とともに記憶されている。
御輿の大きさは変わらない。けれど、シピも他の神の足たちも、大きく強健な男性になった。おそらく、この数年で足としての役目は終わるだろう、と予想されていた。
今の『姫神子』が『姫神子』になったのが九年前。それ以前の『姫神子』が役を終えたのが十六年前。一般にその姿を現すことのない存在であれ、年月を数えればわかることもある。――そろそろだろう。
シピは、九年前のことを思い出した。鮮明に。初めて御輿を担いだときのことを。初冬で、温暖なタイヴァンキには珍しく雪がちらついていた。街道をくるりとひと往復。それだけだ。けれど、今は軽々と持ち上げられる幾重もの薄絹に包まれた御輿は、肩に食い込んで痛みを生じさせた。それでも、表情には決して出してはいけない。
タイヴァスへ帰着したころには『四』が鼻をすすり上げていた。群衆の前ではどうにか堪えたが、予想を超える文字通りの重責に心が追いつかなかったのだろう。シピたちは皆同年代で、一番年長である『二』も、まだ十一歳だった。
タイヴァスに仕える他の者たちも、初の仕事を終えたばかりの子どもたちへ強い言葉で叱責したりはしなかった。多くの従者は元『神の足』たちだ。自分たちも通って来た道だからだろう。
御輿を、所定の位置へ安置した。側仕えの者以外はだれも『姫神子』の姿を見てはいけないので、足は素早くその場から離れなければならない。けれど、御輿から手を離した途端『四』が声を上げて泣き出した。
すぐに人がやって来て、彼を抱き上げてあやして連れて行った。それに他の足も着いていく。御輿の正面を担当しているシピだけが、肩に巻き付けた装飾を解くのに時間がかかり出遅れた。
――それは、きっと、シピにとっての運命だったのだ。あの場に残り、その瞬間に立ち会うことが。
おそらく、泣き声を気にしてのことだろう。御輿の薄絹が少しだけ揺らいだ。
そして、はあ、と吐息が聞こえた。――それが、外気温に触れて、白くて。
「一、なにをしている」
シピの姿がなくて探しに来た従者が、戸口から声をかけてきた。我に返ったシピはあわてて「はい、参ります!」と述べる。
もう一度見た御輿は、薄絹を閉じられてしまっていた。吐息。それだけ。けれど、シピの心をそこに留めるには、十分だった。
姫神子は、呼吸をなさるのだ。――シピや、他の人間たちと同じく。寒いときには、それは白くなる。
シピや他の人間は、幼いころから姫神子への崇敬を培っている。このタイヴァスが中心に栄える地域では、それが当然だった。
特別な存在であることに変わりはない。けれど、これはだれにも話してはいけないことのようにシピは感じた。姫神子は我らと同じく呼吸をなさると。生きているのだから当然なのだが、幼いシピの持つ知識の中では、姫神子にはなにひとつ自分と同じところがないと思い込んでしまっていたのだ。
そのときのことは今に至るまでだれにも告げていない。告げたなら、なんらかの叱責や処罰があっただろう。自分から接触を試みたのではないとはいえ、それに類することであるから。
であれば。――昨夜のことは、たとえひとりのときであっても、口に上ることすらあってはならない。
姫神子の姿を、見てしまった。
漆黒の髪は、闇そのもののように揺れ、瞳は蒼とも翠ともつかぬ憂いを宿していた。シピとは正反対の、溶けてしまいそうな白い肌――。
小さくて――美しい人だった。