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神を担いて、あなたを乞う  作者: つこさん。
本編

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第十五話 まばたき

 シピは、八つの年にタイヴァスへと来た。それから十年、何不自由なくそこで過ごしてきた。そう思っていた。もともと静かで穏やかな環境を好むシピにとって、タイヴァスはまさに理想郷だった。けれど、その安寧は、なにも知らなかったからこそ成り立っていたのかもしれない。

 これまで外の世界に関心を持つことはなかった。それが、今になって仇となるとは思いもしなかった。

 シピにできることは、自分の身の回りのことだけ――それだけで十分だった。ただ、シピは御輿を担ぐためにある存在なのだから。


 これまで、シピは多くのことをタイヴァスの中で学んできた。神の足として選ばれてきた子どもたちは、いずれタイヴァスの次代の従者となる可能性がある。たとえ還俗するとしても、タイヴァスの権威を損なうような教育が施されることはない。元神の足であった者は、世俗においても尊ばれる存在でなければならないからだ。そのため、受けた教育は高度なものだった。


 ――けれど。


 実際には、あまりにも物を知らない。この先どうすればいいのか、なにもわからない。


 だが、今はただひとつ、成すべきことを考えている。

 それは、オネルヴァをあの小さな部屋から連れ出すことだ。


 その決意は、タイヴァスへの明確な反逆を意味していた。

 このまま留まることが許されないのは明白で、おそらくタイヴァンキからも追放されるだろう。いや、それどころか、姫神子がただの人間であると知ってしまった今、外へ出ることすら許されなくなるかもしれない。それでもいい。


 そう思いながらも、どうすれば実行できるのか、見当もつかない。外に何があるのかさえわからない。

 シピは、無力だった。


 刻限は迫っている。人であるオネルヴァが器として扱われる儀式は、六度目の月経の終わりから数えて二週間後だ。月経の時期を正確に把握するのは難しい――そう書物にあった。けれど、おおよその目安で考えるなら、その日は一カ月も経たずに訪れる。いつなのかははっきりしないからこそ、言いようのない焦りがある。


 本当にオネルヴァを部屋から出すのなら、そのまま逃げなければならない。それは理解している。

 ――けれど、どこへ? どうやって?

 シピが知るのは、ただタイヴァンキの大通りだけ。それも、祭りの際の静けさに満ちた往来だけだ。

 行くべき場所などわからない。他にどんな世界があるのかも、書物でしか知らない。では、唯一記憶にある土地――両親が住む場所、シピの故郷へ向かえばいいのだろうか。

 ……そんな単純な話ではない。

 わかっている。


 どうしたらいい? 何ができる?

 考えながら、書庫にこもる。司書は変わらず、シピが思い悩む様子をそっとしてくれている。ありがたい。彼が思い描いていることとは別のところにシピの心があるとしても、それに気づいた様子はまるでなかった。

 様々な書物を引っ張って来て、開いて並べて読む。シピ自身でさえ、それは本当に今自分が必要としている情報なのかわからない。なので通りかかる者も、まさかシピが逃亡の企てをしているなど思いもしない。そんな日が続いた。

 シピは大まかに考えた。オネルヴァを連れて市街地へ出る。そして乗り合い馬車の駅へ行く。金子の持ち合わせはないので、シピの元へ寄進された宝石類のいくつかを渡す。他に当てはないので、シピの故郷へ向かう。それ以上に、細かな点までは想定できない。


 それをオネルヴァに伝えようと、また夜明け前に窓を訪れる。しかし、この度はオネルヴァがそこにいない。それどころか、しっかりと窓は閉じている。

 こんなことは初めてで、シピは動揺する。その、閉じた窓がシピを拒むオネルヴァの心そのものに思えたから。中を窺う。ろうそくの灯りがちらちらと動くのはいつもと同じで、そこから視線を動かすと――オネルヴァが、うずくまっている。


「――オネルヴァ!」


 思わず声をあげてしまう。だれかに、世話人に、声が届いてしまうとあわてて口を閉ざす。しかし、この度は運良くオネルヴァの耳に入った。彼女は顔を上げ、窓から覗くシピを見る。そしてのろのろと立ち上がり、窓の元へ来て開け放った。


「オネルヴァ、どうしたのですか? 具合が悪いのですか?」


 焦りと気遣いがシピを早口にする。オネルヴァはゆっくりとうなずく。どうしたらいいのかわからず、シピはとりあえず中へ入る。そして寝床の掛布を取り上げてそれをオネルヴァに巻きつける。


「いつもの方薬を飲んだのですか? それで具合いが悪くなった?」


 考え込むような間の後、オネルヴァは肯定とも否定とも取れぬ首の傾げ方をした。本人もはっきりとした理由を持たず、疑問に思っているのだろう。

 ゆるゆると、シピの顔を見上げ、オネルヴァは抑揚のない声で言う。


「月経前の痛み。おなか。腰。もうすぐ」


 その言葉に、シピは大きく息を呑む。

 まさか、もう? そんなはずがない。いや、あり得る。

 そうだ、月経前の女性の体には、予兆が起きるのだと書いてあった。それは多くの場合体調不良なのだと。しかし、あまりにも早い。まだ五度目の月経が終わって、二週ほどしか経っていないではないか。早すぎる。

 その理由も、読んで知っている。年若い女性の月経周期は、とりわけ崩れやすいのだ。そんなことを考えながら、シピはオネルヴァへ横になるよう促す。そして、混乱した頭の冷えた部分で、このときだ、と思う。


「――オネルヴァ。オネルヴァ。私はあなたに提案したい」


 掛布に包まれたまま敷布へ横になったオネルヴァは、少し潤んだ瞳でシピを見上げる。その横に、膝を着き。


「今日の夜――迎えに来ます。日づけの変わるころ。あなたは、人だ。月経の痛みに悩む少女だ」


 オネルヴァはまばたいた。それは肯定を意味するのかもしれない。じっと互いにの瞳に互いを映す。


「この部屋から――タイヴァスから、出ましょう。たくさんの方薬を飲む必要も、器の儀を成す必要もない。あなたは、オネルヴァ。生ける人」


 いくらかの間の後、またまばたく。シピはそれを、自分のいいようにとらえた。オネルヴァは、シピが迎えに来ること、そしてともに逃げることを是とし、それを望んでいるのだと。


「約束です。必ず来ます。ともに、ここから逃げましょう」


 オネルヴァの瞳の中のシピが、ろうそくの光でちらちらと揺れる。

 しばらくの沈黙。

 オネルヴァがシピをじっと見る。長いまばたき。ひとつ。

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