23、狂い叫ぶ黒
「ククッ……感謝しろよ?薬が出来たタイミングでエマに昼飯配達させて、この女の邪魔してやったんだから」
美形が悪そうに笑っている。
他の人の姿でしょ?やめなよ、ヘリオ。
っていうか、あの昼の配達はサラサじゃなくてヘリオの案だったの?
じゃあ、サラサはヘリオが帰って来ていたの知っていた?
あれ……ちょっと待って、配達始まったのって、帰ってくる前じゃなかったっけ?
【狼男の純情】
私もなんだか騙されていた感がある。
じとっと見ても、ヘリオは我関せず。
なんだったら、「また不細工な顔してんぞ」って言われる。
もういいよ、どうせ不細工だもの。
それはいいとして、マリアンナが昼に店に来ていたのは薬を飲ませる……食事に盛るタイミングを探っていたの?
飲み物しか頼まないのに来ていたのは、ただランドルフと会いたいからと思っていたのに、それだけじゃなかった。
マリアンナの言っていた「邪魔」の中には薬を盛る邪魔をしたことも入っていたのだ。
もしかして、その邪魔がなかったら、ランドルフはマリアンナを好きになっていたかも?
一緒にご飯が食べれなくて残念、なんて思っていた私に言ってやりたい。お前がランドルフを助けていたんだぞ、って。
「……はぁ。最近、矢鱈食事に誘ってきたのはその為か」
珍しい……というか、初めてかもしれない。
ものすごく冷めた、ランドルフの声。
マリアンナもビクリとしていた。
それでも、引く気はないようで、ランドルフだけを見て、ランドルフにだけ手を伸ばそうとする。
その手を、下がって拒絶したら、マリアンナは焦りの色を見せた。
「だ、だって、あなたは私と結婚するべき男だもの。私たちが……私たちの家が一つになったら町ももっと良くなるし、良いことばかりなのよ」
これまでの町の発展に特に貢献した二つの家、には違いないのだろうけど……。
「それなのに、ダナ家はグリみたいな町の役にも立っていない土臭い移民なんかを贔屓して……ダナ家のためにはならないわ」
我が家を引き合いに出さないでほしい。
ヘリオは、無感情みたいな表情でマリアンナを見ているけど……我が家を悪く言われることを良くは思っていない様子。
畑をやっているから土臭いのは当然だし、何処の国かはちゃんと聞いていないから知らないけど父も母も他の国から移り住んだから移民も間違ってはいない。間違ってはいないけど……。
さっきの言葉からして、黒として私たちを見ているから、我が家を悪いものであるかのように言うのだろう。
ずっと、ダナ家に良い顔をするために隠してきただけだ。
ダナ家が受け入れたから、チェイス家も受け入れた。ダナ家は力のある家だから、表面的には。
否定は、そのダナ家をも否定になり、繋がりのある貴族たちに睨まれたら、力を持つ機会も失くなる。
野心のあるチェイス家は、そうしてここまできた。内心では、否定し見下しながら。
口を開く度に焦りが消えていくのは何故だろう。
「それにあなただって見たでしょ?その娘、あんな魔獣と平然と触れ合えちゃうのよ。異様な力で大の男を投げ飛ばせるし、普通じゃない。きっと、その娘が魔獣を呼び寄せたのよ!グリはやっぱり黒なの!災厄を招く危険な黒!!」
一部は……まぁ、間違っていない。
自分が正しいと言っているような表情をしているマリアンナの言葉を黙って聞いていた。
何か、答えるべきなのは私たちじゃないから。
「あなたはダナ家の当主になるんだから、よく考えて?」
さっきまでのランドルフに伸ばしていた縋るような手は平を上に向けて、相手が当然この手を取るものだと自信を示す。
「黒は根絶やしにしなきゃ、私とあなたならそれが出来るわ」
怖い自信だ。
その自信に動かされる人たちもいる。
「私たち……この場にいる全員で根絶やしましょう?」
黒を怖れる人は、この国にたくさん……。
チッとヘリオが舌打ちをした。
周りの空気感が変わったのが、私にもわかった。
騎士たちが剣を抜く。
切っ先を向ける先は、私たち……黒。
何が起こった?
「エト!」とヘリオが呼ぶと、離れた位置にいたエトさんが素早く動いて、ある男を鞘に納めたままの剣で叩き伏せた。
いつの間にか目を覚ましていた、マリアンナ親子と一緒にいた騎士だ。その男が何かをしていた。
足元の何かをエトさんは踏み潰してから、斬りかかってくる騎士たちを薙ぎ払う。
「精油と混ぜて焚いたな」
そんな使い方もあるの!?
効果は遅いけど、緩やかに浸透する。
体液の持ち主のマリアンナの言葉も一緒に浸透して、その言葉は自分にとっても正しいものになってしまうらしい。
広範囲に、多くの人を惹き付ける厄介さがある。
エトさんに近い騎士たちはそちらに行くけど、こちらに近い騎士たちはこちらに向かってくる。
思わずビクッとして、ランドルフの服を掴んだ。
掴んでから思った。
なんでかはわからないけど、私も、ヘリオも、エトさんも何ともない。
でも、……ランドルフは?
見上げたランドルフから、感情が感じられない。
まさか、違うよね?
ずっと抱き締められたような状態で、動けない。
えっと……騎士たちが迫ってきているけど、どうしたらいい?
ヘリオも見てないで……って思ったら、見てもいなかった。
ランディ、ランディ!
口に出して呼んでも反応がない。
反応がないどころか腰の剣を抜くんだけど?
ち、違うよね?
違うって思っているけど、剣の刃が私の首にゆっくり近付いてくる。
マリアンナが笑う。
高く、甘く、ランドルフを呼ぶ声が聞こえて。
動けないし、考えてもどうしたらいいかなんて浮かばなくて、頭がまったく働かなくて……眩暈がする。
肩に回された手がふいに下がった。
腰を抱かれて足が浮く。
え、何?
ぐるりと勝手に視界が回る。
と同時に誰かの叫びか呻きかわからない声。
足はすぐに地に着いたから、首だけ動かして確認。
ランドルフの握った剣に血が付いている。
私の血じゃない。
なら……と視線を落とそうとしたら、「エマは見なくていい」といつものランドルフの声が。
……騎士を、斬ったんだとわかった。
間近で、目が合う。
でも、開いた口から発した言葉は私に対してじゃなかった。
「マリアンナ、お前に言われなくても考えているさ。俺はよく考えて、どうするか決めている」
「ウソよ!」
「嘘?何が?」
「だって、そんな小娘を守るなんて洗脳されてるに違いないもの!」
「洗脳しているのはマリアンナの方だろう?誰を差して化け物と言っているのかわからないけど、俺は正常だよ」
そう言ったランドルフの目は、澄んだ綺麗な青に輝いていて……私を映していた。
そんな見ないで~、と目を反らしたくなるのに反らしたくない矛盾に襲われる。
けれど、ドキドキした気持ちはすぐに聞こえてきた声に掻き消されてしまった。
「ウソウソウソウソウソ!!!化け物はそのエマとかいう小娘のことよ!!ランドルフはいつだって私に優しくしてくれた!優しい言葉をくれたわ!それなのに、その小娘があなたの近くをうろちょろし出してからまったく私を見てくれなくなった!私に優しくしてくれなくなった!!その小娘が何かしたに決まってるんだからっ!ランドルフから離れなさいよおおおおおおおおおおお!!!!!」
狂ったように叫ぶマリアンナ。
殺意を感じるぐらいの形相にもう可愛らしさは何処にもなく、お伽噺の魔物のよう……。
怖くなる。
何か、得体の知れないものが……そこにいる。
マリアンナの口から、鼻から、全身から、黒い靄のようなものが出てくる。
「ほら、言っただろ。そうやって、お前たちは本物の化け物を生み出す」
ヘリオは淡々と言う。
それが何かを知っているように。
それが見えていないのか、周りの騎士たちは足を止めない。私たちに剣を向けてくる。
剣を鞘に仕舞って構え直すランドルフと、私の手から棒を引き抜いたヘリオは、どちらも手にしたもので騎士たちを叩き伏せる。
「『魔』ってのは、人を迷わすものだ。使い方を間違えれば害になる。だから、人の心は強く在らねばならない」
騎士を叩き伏せる最中も涼しい表情で言葉を続けていくヘリオをさすがと思う。
ランドルフから離れた私は聞きながら、マリアンナを見た。
黒い靄が出てくる度に、髪の色が、目の色が、肌の色までゆっくりゆっくり黒く染まっていく。
人が黒く?
「何なの?あれは……」
「人が黒が呼ぶものの正体だよ」
「正体って……」
「迷信じゃなかったのか、黒なんて」
私も人が勝手に怖がっているだけで、実はなんてことないものだと思っていた。
黒は本当に存在するもの?
正体って何?
「迷信と思っていれば事足りることさ。妬み嫉み……他人に対しての想い、自分に対して想いに過ぎない。ただ、それが負の感情であるために自身の中にある『魔』と惹かれ合い結び付く」
「『魔』って、魔力のことか?」
「そう。……さっきも言っただろう、『魔』は人を迷わすもの。結び付くことで、踏み留まらせていた理性に迷いを与え、一線を越えさせる。それで終われば只の咎人で済むが、思い通りにならなければ負の感情を更に生み出す。『魔』は感情が生まれる時にも作られるものだ。負の感情から生まれた『魔』は反対に負の感情を勝手に取り込んでいき、膨張して、収め切れなくなって溢れ出す。……今がその状態だな」
話が、私には難しい。
「魔力は目には見えないものの筈だが、何故見える?……この後、どうなるかもわかっているのか?」
そう!それ大事!
この後どうなるか!!
「漏れ出したそばから外部の『魔』も吸収している。別の性質を持つ『魔』をな。本来、混ざり合うことのないものが混ざるんだ、変質しても可笑しくない。…………この後、か。あれには実体はないが、感情はある。動ける肉体を探して取り憑いて感情のままに暴れるだろうな」
「動ける……?人間には?」
「取り憑くこともあるが……まぁ、そこは俺がどうにかする」
どうにか出来るようなものなの?
黒くなっていくマリアンナは、大丈夫?
話と、マリアンナに気を取られていた。
「うぎゃっ!」
背中に蹴られたみたいな衝撃が……。
前に突っ伏してしまい、咄嗟に振り向いたら、立派な鎧の騎士がいた。
近付いていたことに気付かなかったけど、今の騎士じゃないよね?
背中を向けているし……背中?
背中を向ける騎士の影に隠れて見えないけど、剣を、誰かが受けていた。
誰?と思うことはない。
今蹴られたのだとしたら……誰かはヘリオだ。
一応、助けてくれたのかもしれないけど、もっと優しく出来なかった?出来たよね?ヘリオだもん。
突っ伏したままじゃ駄目だ。
起き上がろうとする僅かな間にも他から剣が。
「雑過ぎるぞ!お前」
身構えることも出来ないでいた私の前で剣を受け止めてくれたのは、ランドルフだった。
文句?を言う相手は私じゃない。
「ぼーっとしてる、エマが悪い」と騎士の剣を叩き落としながらヘリオが返した。
……叩き、落とし、た?
すごい音がしたけど…………いや、違った。
木の棒で叩き折ったのだ。
脚の隙間から折れた刃が地面に落ちるのが見えた。
立派な鎧の騎士だから、剣も立派だったんじゃないの?コニファーみたいな田舎の騎士が使うような安い剣じゃないでしょう?
ヘリオが強いのは知っていたけど……。
「エマ、立てるな?」
「うん」
騎士たちを払いながら、差し伸べてくれた片手を取って立ち上がる。
邪魔になったら、いけない。
たたでさえ、足手まといなんだから。
ヘリオに棒を渡さなきゃ良かった!
周りを見ても使えそうな物は……倒れた騎士の剣ぐらい?
私に上手く使える?
人を斬るのは…………怖い。
騎士相手に当てられるかもわからないのに。
でも、何も出来ないとお荷物だ。
今もランドルフに庇われているし……。
「ランディ……足引っぱってごめん」
「謝るな。もっと早くエマのこと助けられていたらこうなることもなかったんだ」
お前は悪くない、とどこまでも優しいランドルフに涙が出そう。
……あ、出た。
「泣き虫も、たまには役に立つな」
ヘリオが、意地悪く笑った気がした。




