22、心に届く声
ドスン、ドスン……。
響き、近付く地響き。
突然、シンと静まり、木々の葉音と共に顔を出す巨大な何か。
誰かが「まさか」と悲痛な声で言った。
……あぁ、大きいなぁ。
見上げて思う。
それだけだ。
きっと、前に、これより大きな…………魔獣、を見たことがあったから。
逃げなきゃ、とも思うけど……。
【狼男の純情】
視線を集める巨大な魔獣。
周囲が狼狽えるのを感じた。
騎士という、日々心身共に鍛えている人たちだからか、大声を出して騒ぐことはない。
けれど、明らかに動揺している。
立派な鎧を付けた騎士たちも、魔獣を見ることは少ないのだろうか。それとも、この大きさを見たことがないのか。
ランドルフは?エトさんは?……ヘリオは、大丈夫?
ランドルフは、私の肩に添えただけだった手に少しだけ力が入った、かな。
魔獣をしっかり見据えて、気を張っているように見える。
エトさんは、ランドルフと同じように魔獣を見ているけど……いうほど気は張っていない。
見慣れたものを見ている感じ。
魔獣を見慣れている……?エトさん、何処の生まれ?
ヘリオは、ヘリオは……何処?
マリアンナの近くにいたのに、今はいない。
バカなことして怪我しないといいけど……すでに傷だらけなんだから。
ヘリオがいると思って見た時に見えたマリアンナは、恐怖で声も上げられない状態なのだろう。
騎士と違って、ただの動揺程度じゃない。
あ……駄目だ。
魔獣の視線が動く。
ゆっくり、落としていく先に……
「いやあああああああああああああ!!!!」
自分に視線が向けられたと思ったマリアンナが叫び声を上げる。
取り押さえていた騎士はその叫びに怯んだのか、ここから逃げようとするマリアンナを離してしまう。
叫び、背中を向けて走るものを獣は獲物と認識する。
魔獣も、マリアンナをはっきりと目で捉えたのがわかった。
動き出す巨体に周囲の騎士は潰されないように避けるのが精一杯で、狙われた人間を気にかける余裕はない。
まだ、距離のある、エトさんやランドルフは冷静で。私に、「ここを動くな」と告げて、魔獣に向かっていく。
勢いの増す魔獣の動きに逃げ切れない周囲の騎士を先に逃がしていた。ランドルフの町から町に飛ぶ、あの速さで。
エトさんも同じことが出来ると言っていたのは本当で、ランドルフより早く移動させているように見えた。
だから、ランドルフはそちらをエトさんに任せて、マリアンナの方に飛んだ。
一瞬でマリアンナを抱えて、魔獣と離れた場所に。
魔獣は獲物を見失い、足を止めた。
周りを見回して探しているようで、そして、そちらに気付く。
木々を薙ぎ倒してまでは進まない。
ちゃんと理性がある。
そうじゃなかったら少しの間もなく、マリアンナは巨体にか、薙ぎ倒される木々に押し潰されていた。
魔獣は、私たちを襲う気はなかったんじゃないだろうか。
だって、私を襲う魔獣には理性を感じなかった。
さっきみたいに様子を伺うことはしない。
小屋があろうと、木があろうと、それさえ壊して向かってきたのだから。
「……あなたは、ここに何をしに来たの?」
大きな声は出していない。小さな呟きだ。
でも、魔獣はランドルフたちに向けていた視線をゆっくりと私に向けた。
目が合う。
……始めに魔獣と会った時にも一瞬だったけど、こういうことがあった。
今は、ずっと合っているけど。
魔獣が向きを変えて、来る。私のいる方に。
「エマ!」ってランドルフの声がして、見たら、こちらに身体を向けているランドルフにマリアンナがしがみつかれていた。
声は聞こえないけど、たぶんこちらに来させないようにしているんだな、と思う。
そう思っている内に、勢いのない魔獣がゆっくり私の前で止まった。
大きくて、ずっと見上げていたら首が痛くなりそう。
……というか、来ちゃった。
えっと、どうしたらいいのかな?
私が、ああ言ったから反応して、私のところに来た?
襲われそうな雰囲気はしないけど……どうしよう。
助けを求めるようにエトさんを見たら、こちらを見ているだけで来てくれない。
下手に動かないようにして、くれている?
そうだ。いきなりエトさんが目の前に現れたら獣は驚くかもしれない。
これは私を守るため。
ランドルフにマリアンナがくっついているのは腹が立つけど、ある意味では助かったのか。腹が立つけど。
気持ちを落ち着けてから、また魔獣を見上げた。
目を合わせるだけじゃ、何も変わらないだろうけど……。
「…………むかえ……きた……」
……ん?今、私が、言った?
むかえ、きた。迎え?来た?
「……迎えに来た?」
ぐるる……、と応えた、のか?
たぶん、喉を鳴らした。
返事は肯定なのか、否定なのか。
怖くないから、肯定ってことにしよう。
とするなら……。
「誰を迎えに来たの?」
「こいつだよ」
「……ミオン?こいつ、って……」
姿の見えなかったヘリオだ。
突然消えるし、現れるなぁ……一言ぐらい寄越せ。
ヘリオが、片手で首根っこを掴み引き摺っているのはマリアンナの父親だった。
見ないと思ったら……。
意識もないみたいだし、大丈夫か?
「そっちじゃなくて、こっち」
マリアンナの父親に目を落としていた私に、自分の肩を差して言う。
……ん?
肩が何、って思ったけど、よくよく見たら何か乗っている。
小さいな。
「不細工な顔してないで、お前が返してやれ」
酷いな。少し距離があったし、背の高いヘリオの肩の上なんて見難いから目を細めてしまっていたけど、私が悪い訳じゃない。
ヘリオに近付く前に魔獣を見た。
突然現れたヘリオには警戒していないようで、視線だけ向けている。
大丈夫そう……。
ヘリオに駆け寄ると、肩の上から顔を出す……トカゲがいた。
トカゲだ。どう見ても。
逃げないか心配になりながら、手を差し出したらトカゲの方から乗ってきた。
あら、かわいい。
手に乗るトカゲは大人しくて、良い子だ。
返してやれってことは、魔獣に渡したらいいのか?
魔獣の前に戻って、手にトカゲを乗せたまま上げた。
すると、魔の顔がぐわっと近付いた。
息がかかる。口が開いたら丸呑みされそうだ。
トカゲがそこに移り易いように、近付いた顔に手をくっつける。
ワサワサだぁ……!
もっと硬い毛かと思ったけど、柔らかい。魔獣の大きさからしたら、かなり細かい気もする。気持ち良い。手しか触れていないのに身体も温かさを感じた。この近さだから、熱を感じるのかな?癒し……って和んでいたのに。
トカゲが魔獣の顔に移ったら、あっさりと離れていく。
あぁっ!私の温もりぃ……!!
温もりを感じた後だから、肌寒さが戻ってくる。
本当にあっさりだ。
一度は振り返ったけど、森の向こうに帰っていった。
「あいつは大切な友達が拐われたから、連れ戻しに来ただけだ」
「拐われたって……」
「この商会長の部下の雑な仕事だよ。ある場所から、ごっそり土ごと雑草を採ってったんだが……」
「雑草って……その土にトカゲが紛れてたとか?」
「当たり。商会長には雑草の保管場所に案内頼んだんだ。トカゲが無事で良かったなぁ。でなきゃ、商会長だけじゃなく……商会長の娘や町そのものが無事じゃなかったぜ?」
気になりどころあるけど……特に、案内を頼んだってところ。絶対にそんな穏やかな感じじゃないでしょ?
「トカゲが無事で……」のくだりから私に対してじゃなく商会長に対して言っているし。
同じ淡々とした言い方なのに、私に対してと商会長に対してじゃ……ぜんぜん違って聞こえる。商会長に対してはまるで人を殺しそうに聞こえるから。
ミオンの姿なのに、ヘリオだ。
なんでかは知らないし、知りたくもないけど、気を失っていて良かったかもしれない。商会長さんは。
「一応、終わったんだよね?」
「まだに決まってんだろ」
あれ……まだ?
商会長を引き摺って、今度はランドルフたちの方に向かう。
大丈夫か、商会長。
首根っこ掴んでいるけど、首絞まってない?
気にしながら、後をついて行った。
マリアンナはランドルフにくっついたままだ。
女性相手だから突き放したり出来ないんだろうな。
私と目が合って気まずそうな表情をして、マリアンナに少しきつめに「離せ」と言う。
イヤイヤと駄々を捏ねる幼子のように首を横に振り、手を離さない。
その様子に苛立ったのは、私よりヘリオの方だった。
ランドルフには当たらないように商会長、マリアンナの父親を投げつける。片手で。
少しふくよかって前は言ったけど、かなりふくよかだ。商会長は。
そんな人を片手で、って……。
「きゃあ」と声を上げて、父親の下敷きになるマリアンナ。ようやく、ランドルフから離れた。
タイミングが間違えば、巻き込まれていた。マリアンナの身体を離させたほんの僅かな隙をついたのだから。
父親の下から這い出て、マリアンナは「何すんのよ!!」と怒鳴る。
「お前たち親子は仕出かした事の大きさを理解していないな」
「な、なんなのよ!?」
「……これ、何かわかる?」
「それはっ」
ヘリオが小瓶を見せると、一転して顔色を変えた。
「飲むなよ」と私に渡してくるけど、そんな意地汚くないし。
またローブの中をごそごそして、出してきたのは草だった。
白い草。淡いピンクの筋が入った、この辺りには生えていないものだ。
「これもわかるな?お前たちの屋敷にあったものだ。だが、何故あるんだろうな?或る場所にしか生えない草が。貴様らの商会では扱えるはずのない、貴様らには卸していないのだからな。なのに、ここに在るのは何故だ?……それにこの小瓶の中身は非合法のものだ。理由はわかっているだろう?」
ヘリオに促されて、マリアンナによく見えるように小瓶を持ち直す。
この小瓶は私も見たことがあった。
ついさっき、だ。
マリアンナたちに捕まっていた時、薬が云々言いながら商会長が持っていた小瓶と同じ。
非合法、って私そんな危ないもの……。
「ねぇ、これ何なの?私、さっきの使われそうになったんだけど……」
ヘリオの袖を摘まんで引っ張ると、「へぇ」と悪い笑みを浮かべて「惚れ薬だ」と言った。
もう、らしさを隠す気がないな。
なんて思っていたら、ランドルフが渋い表情をして私の手から小瓶を取った。
目でそれを追う。
「そんなものあるの?」
「この草には人の心を惹き付ける作用がある。少量なら相手に軽い好感を持つ程度だが、惚れ薬は大量の草から成分を抽出した濃い物になる。それと人の一部……大体は体液を混ぜて他者に飲ませると、飲んだ者は体液の持ち主に惚れるってのが惚れ薬」
「……うぇ」
誰かの体液飲まされるところだった?
ああいうことしようとしたんだから、あの騎士のか?
どっちにしても気持ち悪い。
元から気持ち悪かったけど、もっと気持ち悪さが増す。
手で口を覆う。本当に吐きそうではない。気分がそんな感じだったから。
慰めるように背中を撫でてくれるランドルフは優しい。
「まぁ、それには体液は入っていないだろうな」
「そうなの?」
「体液入りは量産型じゃないからな。量産し売り易いように、成分に媚薬を混ぜたものだ。好感に肉体関係が加われば容易く恋慕と勘違いする」
「…………」
「媚薬……」
ゾッとした。
え、あれ飲まされていたら、あの騎士に恋するみたいな状況になっていたかもってこと?
背中を撫でていた手が肩に回り、引き寄せられた。
次のヘリオの言葉に、更に力が籠る。
「この女は自分の体液入りの惚れ薬を作らせていたな。……ランディ、お前に飲ませるために」




