20、蕾が綻ぶ様に、心も少しずつ色付く
声を殺して泣く男がいる。
とても、美しい男。
そんな男には似合わない、這いつくばるような格好。
私は彼を抱き締める。
もらった温もりを分けるように。
「……私は何処にもいかないよ。ずっと一緒にいる、傍にいるから」
泣かないで、と繰り返す。
繰り返して、私は泣くことを止めた。
この人のために生きる。
強く在り続けなければ、と思った。
「私がいるから、大丈夫だよ」
だって、この人は
「────兄さん」
私の、生命そのものだから。
頭を撫でられた気がして、目を開けた。
薄暗い中、見えた兄の目はまだ仄かに青く揺らめく。
「兄さん?……もう泣かない?」
「優しいね、お前は」
泣いた姿は昔一度だけ見た。
まだ、私がずっと幼かった頃。
まだ、この兄が活発で笑顔を絶やさなかった頃。
突然、泣き崩れた。
前触れなんてなかったから、私も、家族も、みんな動揺した。私は訳もわからず、一緒に大泣きして他の兄たちに慰められた。
しばらく部屋から出て来なかった幼い兄。
ようやく出てきた時には、別人のようだった。
あまり笑わなくなった。
活発さもなくなり、いつも気だるげに遠くを見るようになった。
そんな幼い兄を他の兄たちは心配しながらもぽつりぽつりと家を空けるようになって、帰らなくなった。
時折、様子を見に来るのは家庭のある一番上の兄だけ。
がらんとした家に残されたのは、私と幼い兄だけ。
他にいないのだから、自然と、普段以上に頼る者として手を伸ばしたけど……。
「駄目だよ。ちっちゃなエマちゃんは幸せにならないといけないから……俺なんかに手を伸ばしたら駄目」
手が届くことはなかった。
拒絶、に感じて哀しかった。
でも、本当は違ったんだ。
ちっちゃなエマちゃんと呼び始めたのはこの時から。
なんか、と自分を卑下することを言うようになったのもこの時から。
ただ、幼い兄は、ヘリオ兄さんは……私の幸せを考えていただけ。
私が兄さんのために生まれきたから。
兄さんが寂しくないように一緒にいられる存在として、生まれてきたから。
私は、兄さんが泣かなくて良いように一緒にいようとした。
もういいんだね。
もう寂しくも、哀しくもないんだね。
私の方が寂しくなっちゃうじゃない。
一緒に、いなくても良いのだとしても……。
私は、ヘリオの妹だよ?
また頭を撫でられる感触。
「当たり前だろ」と笑う声がした。
【狼男の純情】
「………………」
頭がぼーっとする。
夢を見ていたような……?
「お前の頭は本当に役に立たないな」
私の寝ているベッドに遠慮もなく座るヘリオが濡れた冷たいタオルを額に乗せてくれる。
風邪を引いたみたいだ。
「お店に連絡……」
「兄さんにもう頼んだ」
そう……ありがとうございます。
「なんで怪我人の俺が看病しなきゃならないんだ?」
「……元気じゃん」
怪我人は怪我人なんだろうけど、それらしい表情しないから忘れる。
「見える、ところ以外も……ひどいの?」
「見るか?」
「見ない」
脱ごうとするから、すぐさま断った。
気にはなるけど、見るの……怖いかな。
見えているところだけでも酷いのはわかる。
それより酷かったら、って思うと……ね。
家を出ていく前の兄はいつも綺麗だったから。身体にも傷一つ付けない、強くて完璧な兄。って思えて、自慢でもあった。
……殴ってやりたい時は日常茶飯事だったけど。
それで簡単に傷痕を残す人じゃない。
「傷痕なんて只の痕。年月が経てば、あることが当然になっていく程度の代物でしかない」
「そんなもん?」
「そう想える生き方をするかどうかだな」
「生き方……」
「失恋の傷もいつかは塞がる」
え?そういう話だっけ?
真面目に聞いていた私が馬鹿みたいだ。
失恋……私の恋は失恋、だよなぁ。
失恋でも、想い続けてもいい?
傷はそれでも塞がってくれる?
またいっぱい考えて、疲れて、眠くなった。
それから、何度か起きて寝てを繰り返して。
起きた時にご飯を食べて、薬を飲んで、少しずつ熱を下げていった。
後から聞いた話。
風邪を引いたとサラサから聞いたランドルフも一度来てくれた、らしい。
玄関でヘリオが追い返したみたいだけど……ヘリオが意地悪く笑っていたのが気になる。
本当に、お伽噺に出てくる悪い魔法使いみたいだ。
ランドルフに何もしていないだろうな。
お見舞いにと持ってきてくれた花が綺麗。
意地悪く笑いながらも花瓶に生けてくれるから、この優しさがわからない。
何なんだ?この人。
結局三日も寝込んで、今晩が年越しになる。
病み上がりだから甲斐甲斐しいヘリオの世話を受ける。
夜は特別なランタンで町中を灯して、想い想い大切な人と過ごすから、暗くなってからが本番。
鏡の前に座らされ、お出かけ前のおめかしまで手伝ってくれた。……私より女子力高い?まさか。
最後にランドルフにもらった髪飾りがずれていないか確かめた。
「ずっと付けてて、って言われたから付けてんの?こんなの」
「こんなのじゃない!かわいいでしょ?」
「ちっちゃなエマちゃんにはわからないだろーが、咲かなきゃ意味がないんだって」
「咲くって?」
「やだねぇ~、無粋な真似したくないんだけど……ランディのこと好きだろ?お前」
「あ、う……えっと……」
ヘリオは知っているけど、改めて聞かれると恥ずかしい。
「言葉にしなくていい。心の中でぐらい目一杯好きって想えよ。たまに思い出したように好きって想うだけじゃ、花も、心も、色付かないし綻ぶこともない」
ずっと好きって想っていると気持ちが抑えられなくなりそうで怖い。
抑えられなくなって、反対に離れていくかもしれないことが怖い。
適度な距離ならずっと一緒にいられるんじゃないかって。
でも、近く女性がいるのも見たくなくて離れて、気持ちを抑えた。
今も、また怖くて、好きって気持ちを抑えようとしている。
自分が、苦しくなりたくないから。
「目を瞑れ。余計なことを考えずに、ランディのことだけ想い浮かべて」
ランドルフのことだけ……。
好き。
初めて会った時から、ずっと好き!
好きで、好きで、好き過ぎてたまらない……!!!
「ほら、こんなにも簡単に綻んだ」
……え?
ヘリオの言葉に目を開ける。
鏡に映る、私……はいつも通りだけど、これは?
黒い髪に付けた固く閉じた白い蕾の髪飾り、のはずが……そこに付いているのは、ほんのり桃色に色付き綻ぶ蕾だった。
「どうなっているの?」
「これは作り物じゃあない。本物だ」
でも、触ったら、ガラスみたいな触感。
「魔法花の一種だから、普通の花とは違う。ガラスのようだろう?だが、ガラスみたいに簡単に壊れたりはしない」
「まほうか……壊れない?」
「お前たち次第だな。それに、花は時間が経てば咲くものでもない。幾つもの条件が重なり合って、満たされて、咲く。……後はランディに聞いてみな。花が咲くまでもう少しだし」
「一緒に行かないの?」
一緒に行くとばかり思っていたのに、ヘリオは自分の部屋に戻って、おめかしを覆い隠してしまうあの黒いローブを着る。
「お兄ちゃんは忙しいって言っただろ?」
言っていたけど……。
「後で行くから、お前は寄り道せずにいつもの場所で待ってろ」
いつもの場所は毎年家族やダナ家と集まる、広場から少し外れたところにある他のランタンより大きめの青いランタンと赤いランタンの並ぶ前。
寄り道せずにって言うけど、いつ来るかわからないのに待てと?
人が少ないから、町の祭は前の年より規模が小さくなっているけど、その分工夫を凝らしている。
ちょっとぐらい楽しんでもいいんじゃない?
寄り道じゃない。通り道にある店を見るだけ。それぐらいなら、ね。
大通りに入る前から人の少なさがわかる。
元々大きな町のようにごった返す程の人ではないけど、これまでなら帰省する人もいたから普段より人は増えていた。
今年は反対に他の町に行っている人が多いから大通りでも疎らだ。
少ない人で町中のランタンを用意するのは大変だっただろう。寝込んでいて手伝えなかったのが悔やまれる。
出店を覗きながら、ゆっくりゆっくり進んでいると巡回する騎士の姿を見る。
こんな年越し間近までお仕事をしてくれていることに感謝だ。そちらも休暇を取った人が多いと聞くから、巡回する騎士も少ないようではある。
年越しの瞬間は大切な人と一緒に過ごせるように、少しの間全員に自由な時間がもらえるらしい。
これまで、その時、何も起こることがなかったからこそだ。
平和な町に感謝!
通りを進む度に、楽しくて、嬉しい気持ちになる。
これでランドルフと会えれば、もっと嬉しいのだけれど。
おめかしだって、ランドルフのことを考えながらした。また、ランドルフが「かわいい」って言ってくれたらいいなと思って。
会えるかはわからないけど、会えた時はって思った。
出店を回っている時にサラサと会った。
「大丈夫なの?」と風邪の心配をしてくれて、「もう大丈夫!」と元気なところを見せて安心してもらった。
一緒にいる人は……恋人ではないみたいだけど、ちょっと良い雰囲気に見えて、あまり邪魔しちゃいけないとこっそり「がんばって!」と言って別れた。
「あんたもね」とウインクを返すサラサは良い女だ。これまで恋人がいなかったのが不思議。
私もあんな大人になりたい。ウインク出来ないけど。
サラサには会えたからニーナにも会えるかな?と期待したけど、会わない。明日会う予定になっているといっても年越し前にもう一回ぐらいは会いたかった。寝込んでいた間は会えなかったから。
ニーナが一緒にいたい人ってどんな人だろう。
とっても素敵な人、とは言っていたけど具体的には教えてくれなかった。
恋人なのか、そうなる前の人か……他の意味で特別な人なのか。
素敵な人と言っていたから、素敵な人だろう。
いつか紹介してくれたらいいな。
後は、エトさん?
エトさんは今はお仕事中かもしれない。
団長さんだし、部下を働かせておいて休んだりはしなさそう。
ランドルフとのことを聞きたかったけど仕方がないか……。
きっとランドルフも仕事中の可能性が高い。
普段だったら、いつ頃時間が空くか聞いて祭を一緒に……ヘリオも含めた三人で楽しんでいたけど、私が風邪を引いて会えなかったから予定がわからない。
出店の並ぶ大通りじゃないところを巡回していたら、今年はもう会えないかも……。
髪飾りのことを聞きたかった。
ヘリオが言った意味を聞きたかった。
でも、会えないだろう。
いつもの場所で、とヘリオと約束したけど、今年は他の人と……と家族に伝えてあるから、家族がそこで待っている訳じゃない。私たちにとって一番わかり易いから待ち合わせの場所にしただけ。
ランドルフがそこで待っている訳じゃない。
兄さんの一家やダナ家には両親から伝えてくれたというから、今年はそれぞれ違う場所で過ごしているだろう。
待っている人がまだいないなら、もう少し、良いだろうと広場を通り過ぎて反対側の出店を見て回った。
確かに、いつもの年とは違うものがある。
見世物が特に多い。
紙吹雪を巻き上げる風を起こしたり、水が生き物の形をして本物みたいに動いたり。
これは話に聞く……魔法、なのか?
やっているのは町で祭をする時にいつも出店を出してくれている見知ったおじさんたちだ。
実は魔法使いだった?
魔道具を使っているのか。
魔道具はこの国では高価なものなのに、出店一つが二つも三つも持っているように見える。
これまでの稼ぎだけで買える、かなぁ?
始めに見た時はすごいと感激したけど…………なんか、違和感。
なんだろう?
何かが可笑しい気がする。
来た道を振り返った。
あっちこっちで魔法が立ち上り、人を魅せている。
花火が上がるみたいに、辺りを照らしている。
表現し難いけど、ぞわぞわする。
「エマ=グリ?」
「え?だれ……」
フルネームで呼ばれた。
そっちを向くと騎士らしい人がいた。
「オレはランドルフの同僚。アイツが今君を捜しててさぁ、見掛けたら連れて来てくれって頼まれたんだよ」
「ランディが?」
私を捜している?
「最近会えてないから年越し前に会いたいってな」
確かに、会えていないけど……。
約束していないから、あそこに来るとは思っていない。
だから、捜していた?
ちょっと怪しむ視線を向けたら、この町の騎士の印を見せてきた。
ランドルフやヘリオが持っていた物と同じだ。
じゃあ、本当……なのかな。
私は、騎士の印を信用した。
信用して、ついて行って、大通りから逸れた道に入った。
そこは、私の家への近道でもあったから、ランドルフは私の家の方にいるのかなって思った。
思った時に、急に意識が遠退いた。




