18、悪い魔法使いは美しく笑う
目が覚めたら、目の前に兄がいた。
え?あのまま寝ちゃったの?私。
というか、なんで人のベッドで普通に寝ているの、この人。
元の姿に戻っているし。
あっちの姿だったら、冷静じゃいられなかったかもしれない。昨夜のこと忘れて、知らない男だと叫んだ可能性も……。
そこは良かった。
兄が一緒に寝ているとか良くないけど、良かった。
先に寝たの私が悪いのか?
先なら、その後部屋を出れば良くない?
叩き起こそうかと思った。
……でも、ヘリオの顔を見たらなんとも言い難い気持ちになった。
傷、痛そう……。
起こさないようにそっと傷痕に触れたつもりだったけど、やってしまった。
瞼が震えて、ゆっくり右目が開く。
「うちの妹は本当にいけない子に育ったな。寝ている男に悪戯する様な」
「べ、別にイタズラなんて……」
「いけない子にはお仕置きだ」
口角を上げた意地の悪い表情をした。
反射的に逃げようとしたけど、またベッドに戻される。
両肩を掴まれ、ベッドに押し付けられた。
そうして、覆い被さってきて……
「ぎゃああああああああああっ」
【狼男の純情】
「ったく、冗談に決まってんだろーが」
やりましたよ。
バカな兄の頬に見事な手形を付けてやりました!
グチグチと文句を言いながら、隣で父の作った朝食を食べる様子に私は満足。
拳じゃなかっただけマシと思ってもらわなくては。
次やったら鼻をへし折ってやる。
「相変わらず仲が良いわねぇ」と微笑ましく私たちを見てくる母に、ヘリオと視線だけ合わせて、この一件は置くことにする。
両親の前だと全部、仲が良い、で済まされそうだ。
私もヘリオもよくわかっている。
食事が終わって先に出かけて両親を見送った後に、二人で片付け。
ヘリオが皿洗いで、私は洗い終わった食器を拭いていく。
そんな時だった。
「昨日話したことは覚えているな」
「どのこと?」
「全部」
「……うん」
疑わしそうに目を向けないで!覚えているから!
ちょっと長めの沈黙の後にヘリオは言った。
「俺が帰ったことはしばらく誰にも言うなよ」
「なんで?」
「俺と、お前の彼氏役の二重は面倒だから」
……彼氏だっけ?
まぁ、いいや。
確かに、彼氏?がいる時に兄って存在は現れることは出来ないから。何より、私に彼氏?が出来たのに絡みに来ない兄は不自然過ぎる。
「あ、お母さんたちが言っちゃったりしない?」
「大丈夫だろ。息子が帰ってきたぐらいのこと言い回ったりするタイプじゃねーから」
そういえばそうだ。
出稼ぎで長く会えなかった息子や娘が帰ってきた話を嬉々と話す他所の母親をよく見るけど、我が家は違う。
話さないから噂で広がることもなく、兄たちと知り合いが遭遇して初めて帰ってきたことが知れる。大体、その遭遇で知り合いに驚かれているのだ。「お前帰ってきてたのか!?」って。
兄たちはなんていうか……悪い意味で有名だから会いたくなかった人がそう反応する。
女性には意外とモテるから、きゃあきゃあ言われていたりもするけど。……何処が良いんだろ?
あだっ……。
また手刀。いつの間にか皿洗いを終えて、後頭部に一撃入れてきた。
それから、いつものソファに横になる。
……あぁ、ヘリオだなぁ。と思う。
「じゃあ、彼氏役やらない時は家でダラダラしている気?」
「お前は本当に失礼だな。これでもお兄ちゃんは忙しいんだよ」
何処が?って思ったら……。
「それに、まだ完治してないから療養も必要なの」
昨日見た首元を見せてくる。
火傷っぽい痕も切り傷らしい痕もまだ痛々しい色をしていた。
もしかしたら、見えないところにもこんな痕がたくさんある?
何をしていたか教えてくれなかったけど、家に帰ってきたのは身体を休めるためでもあるのだろう。
「……そっか、無理しないでよ」
「心配してくれんの?」
「家族だもん」
「……うん、そうだな」
弱っているのかな……。
ちょっと心配だけど、私も仕事に行かなきゃ。
「私もそろそろ仕事の時間だから」
「あぁ、行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます」
一年半以上ぶりのやり取り。
あの頃は、兄の方が先に出かけていたなぁ……。
ヘリオには、帰ってきたことを言うなと言われた。
ニーナたちにも言わない方が良いのか?
帰ってから、聞いてみよう。
「今日は持って行かなくていいの?」
「食べに来るってさ」
昼が近くなって、ここ最近の日課、ランドルフたちへの昼食の配達に行かないとと思ったら、今日は必要なかった。
前日の夜、酒場になってから来たランドルフが言ったらしい。
今日は来るんだぁ、久しぶりに一緒にご飯?
嬉しくなっちゃうのは仕方がないよね。
ニーナが来て席に着こうとしたら、ランドルフと、マリアンナの二人が店に入ってきた。
いつもよりちょっと早い?
にも関わらず、マリアンナは当然というような表情をしてランドルフの隣にいる。
最近はランドルフが店に来ていないし、前日の夜にサラサに言ってこちらに来た。女に知らせる時間があったとは思えないし、知らせる関係にもないはず。
なのに、なんで、そんな表情してここにいるのだろう。
女に危うさを感じるんだけど、実害がないから何も言えない。
ちょっと複雑って気分が出ていたかもしれない。ランドルフと、女を見ていた私の表情。
それを良くない方に受け取ったのか、ランドルフが「俺が来るの迷惑だった?」と言わせてしまった。
そんなことない!そんなことあり得ない!
一緒にご飯食べられるの嬉しいもの。
首を横に振って、「ううん、そんなことない」って笑顔で答えた。
席はいつも通りに座って、出てきたご飯を美味しく頂いていく。
会っていなかった訳じゃないし、配達の時は少し話すから、会話はいつもの穏やかな雰囲気だった。マリアンナが横から頻繁に声をかけてきて、会話が途切れてしまうこと以外は。
最近会えていないのはマリアンナだけのようで、「会えなくて寂しかった」「私にも会いに来て、店で待ってるから」と言っていく。
その甘く高い声が客の少ない店の中に響いて、注目されていた。
これで二人の関係を勘違いする人が出てくるのだ。噂になって、以前の私も勘違いした。
女自身が自分が恋人だとか言っている訳じゃなく、勝手に広まる噂だから女に文句は言えない。
学友で、今でもそれなりの頻度で顔を合わせる親しい友人であるなら、ランドルフに向かって言っている言葉は普通の範疇じゃないだろうか。
でも、面白くないものは面白くない。
横から聞こえる声に眉間に皺が寄る。ランドルフは女の方を向いている時だから問題ない。
ニーナやサラサが苦笑しているけど、関係ない。
おしゃべりに使わない空いた口に、ご飯を頬張る。
横は腹が立つけど、ご飯は美味しい。横は腹が立つけど!
とまぁ……こんな感じで食事に集中しようとした時、新しい客が入ってくる音がした。
店員としての習慣で振り向く。
口に入っていなければ、「いらっしゃいませー!」と言っていた。今口にいっぱい入っているから無理。
……その客を見て、吹き出しかけたけど。
白金髪の美形、ヘリオだったから。
少ない客たちが、特に女性はざわざわし出した。
見たことのない美形が現れたら、ざわつくよね。
それが私を目に留めた瞬間、花が綻ぶような笑顔になったら、あら大変。女性たちが黄色い声を上げる。
確信犯だな、あれは。
真っ直ぐ、私のところに向かってくる。
黄色い声が響いたことで、新しい客を気にも留めていなかったマリアンナと、そのマリアンナと話していたランドルフもそちらを向いた。
足早だったからか、脚が長いからか、どっちもだからか……すぐに私の前にまで来た。
「此方の店にいると聞いて会いに来たよ、エマ」
私の左手を徐に取り、手の甲……指?に口付ける。
そう!口を付けたのだ!!
周囲は一層ざわつくのに、私のいる一帯だけ無音だ。
私も含めて、驚き過ぎて声も上げられなかった。あのマリアンナさえ。
ヘリオは、これ以上ないってぐらいに兄らしくない美しい笑顔をしていた。
たぶん、内心は、意地の悪い笑顔を浮かべていただろう。




