10、あの時と、この瞬間
森から出た場所と同じ場所から入ったはずなのに、あれ……こんな感じだったっけ?と思った。
向かう方向が違えば、違って見えて当たり前かと思い直した。
リコリスも結局出てきてくれなくて。
また会えるだろうか?
素っ気なかったから、忘れられるかもしれないな。
苦く笑う。
今は、それより、ランドルフだ。
本当にランドルフかはわからないけど、エオさんが把握したらしい人は金色の髪に青い目。
よくある特徴だ。
だけど、会って間もないのに、エオさんの言葉は信じられる気がした。
ランドルフが私を迎えに来た、と。
【狼男の純情】
送り出されたけど、何処に行けば良いのだろう。
真っ直ぐ進んできたつもりでも真っ直ぐじゃなかったらどうしよう……。
また迷子?
迷子になったら、エオさんたちがどうにかしてくれるとは思う。ここは、魔導大国内だから。
楽観的かなと思っていたら、ドスンッと大きな音が近くでする。
断続的に聞こえるこれは、足音?
木々の間から何かが動くのが見える。
真っ直ぐ見てから視線を上に移動して、その大きさを確かめた。
え?大き過ぎない?
高い木々から頭を出すほどではないと思うけど、見上げても木々の高いところに繁る葉に邪魔をされて顔が確認出来ない。
もっと奥にも何かが動いた。一つ、二つじゃない。小さなものから大きなものまで。
こんなものがこの森にいた?
今まで、二週間近く森にいたのに、こんなにも多い魔獣たちに会わなかったなんて…。
エオさんは私に祝福があると言った。
何かの力に守られていたということ?
リコリスがいたからじゃない?
違和感がある。
魔獣は姿さえ見せなかった。
そして、蕾の花畑で、赤い髪の男が祝福と言った気がした。
元から戻っていたものを今更告げる意味は?
違う。ずっと守られていたなら、あの時魔獣に襲われてはいないはずだ。
赤い髪の男と会った時に祝福?守ってくれる力をくれたのだとしたら、それまで守ってくれていたのはやはりリコリスということになる。魔獣を見なかった理由は、リコリスに近づきたくない何かがあったのかもしれない。あんなに小さな獣なのに。
もう、必要がなくなったから、あの子はいなくなった?
守ってくれていたなら、ちゃんとお礼を言いたかった。素っ気ない態度を取られると思うけどね。
リコリスのおかげで魔獣と遭遇しなかったから、何の危険もなかった。
だから、今、別の危険を感じてならない。
私に目もくれない魔獣たち。
真横にドスンッと足が……。
揺れた地面から跳ね上がった。
ドキドキどころかより激しく、バクバクと心の臓が音を立てる。
のっそりと去っていき、残った大きな足跡に冷や汗が流れた。
気にも留めないのは、いること自体に気づいていないからではないか?
祝福って何?
襲われないように気づかせないもの?
大きい魔獣なら気づかないことで踏まれる可能性があるのでは?
リコリスがいた時はこんな危険はなかった。
薄暗い中でもわかった頭上から差す影に見上げて、咄嗟に前方に転がる。
また、大きな魔獣の足だ。
すぐに立ち上がって横に避けるけれど、今度は反対側の真横を四本足の魔獣が駆けていく。
明らかに、視界に入る魔獣の数が増えている。
増えて、押し寄せてくる。
「ウソでしょ!……こ、こんなのいやああああああああっ!!!」
私を追いかけてきている訳ではないようだけど、そんなことは関係ないぐらいにたくさんの魔獣たちの通り道にいるから踏まれたり、体当たりされそうだ。
…………死ぬ!
私は、叫びながら、走った。
ずっと後に教えてもらったことだけど、別に逃げなくても大丈夫だったらしい。
祝福を受けているから、踏まれそうになっても防御壁のようなもので守られるという。
そんなこと知るか。
誰も教えてくれないんだから、わかるはずないでしょ。
見事逃げ切った私には知る由しもなく。
もしかしたら、逃げるために走り回らなきゃ草木で擦り傷だらけにならなかったかもしれない。
そういう傷も付かない親切仕様にはなっていなかった。
叫びながらでも、私を気にしない魔獣たち。
大きいものが多いから、隙間に上手く入り込めたり、小回りも利いて、自分が小柄で良かったと初めて思う。
まぁ、大きい人より多く足を動かすから体力がいるけどね。
畑仕事に、配達で鍛えたこの足と体力を見ろ!
それはおいといて、魔獣たちは何かを追っているのか、時々向きを変える。
たくさんいるのに、同じ方向に向かっいることを不思議に思ってはいた。
逃げるのに夢中になって、私自身忘れていたけど……魔獣たちが追いかけているのってまさか?
エオさんの言葉を思い出す。
『君と違って彼には祝福はないから、この森の洗礼を受けているだろう』
洗礼って?
祝福が私みたいに魔獣に気にされないものなら、それがないと……魔獣に襲われる?
『君の無謀さが彼を──』
今になって気づく。
ぎゃあぎゃあ騒いでいる場合じゃない。
ランドルフだったとしても、他の人だったとしても、私を捜しに来たのなら私が巻き込んでしまった。命を危険に晒すようなことに。
行かなきゃ。
行ってもどうにもならないかもしれないけど、この森から出る理由にはなる。私を、捜しに来たのなら。
魔獣たちの進む方向に、向きを変えた。
たまに変わる向きは急激な転換で、一人なのかと思う。九十度、百八十度変わることもあって、辿り着けるか不安になる。
もしかして、町の騎士団連れてきていないよね?
散り散りになって捜しているか、魔獣たちに追われてはぐれたか。
使えない頭を使うと悪いことばかり思い付く。
急な方向転換は、そっちにいた人を魔獣たちが……なんてこと。犠牲者をいっぱい作った原因になってない?私。
そんなことになっていたら、もう町には帰れない。黒はやっぱり黒だった、と言われるに違いない。
それにもしランドルフが来ていて、何かあったら死にたくなる。
神様がいるなら、助け……
「────え?」
視界に、視界の端にこちらに飛んでくる巨大なものが映った。
走っていたからすぐに木の影に入れたけど、隠れた木に何かがぶつかった。
いや、ぶつかったのか?
何かは、木を挟み込んでミシミシ言わせていた。
挟んでいるのは何?
「は?」
いや、歯、だ。
それは間違いなく、歯で、噛み付いていた。
遠めには細く見えても、数十メートルはある木。近くで見たら細くても四、五メートルはある。
今噛み付いているのはそれよりずっと太い十メートル近くはあるだろう幹。
そんな太い幹に噛み付く?
魔獣でも口が大き過ぎる。
ミシミシという音の合間にバキバキと幹の表面を砕いていく音がする。
「まさか」、口に出た時にはそのまさかが起きた。
噛み、折ったのだ。
高い木だから周りの木が邪魔して横倒しにもならず、根元にへばりついていたから私のいる側に、折れ、倒れてきても潰されることはなかった。
けれど、傾く木に噛み付いていた魔獣まで勢いでこちら側に降り立ったのは、宜しくない。
他とは明らかに違う動きをする魔獣。
私に、向かってきた。
ほら、今もこちらを向こうと身体を動かしている。
祝福の効果も効いていない?
大きな身体、大きな頭、大きな口。
図鑑で見たことのある、カバという動物に似ていた。
似ていたけど、私は、初めて見た魔獣と重なって見えた。
理性を感じない目、開きっぱなしの口から唾液を垂らして、のっそりと動く。
そして……
巨体に見合う、咆哮。
あの時とは違う、意識を持っていかれそうになるぐらいの衝撃を受けた。
フラついてしまう。
微かに顔を上げ見えた、大き過ぎる口をいっぱいに開き突っ込んでくる巨体。
避けようにも間に合わない。
間に合うはずもない、体格差。
あの時よりはマシか。
半端に大きなやつに噛み付かれるんじゃなく、丸呑みにされるのだから。
あの時も噛み付かれてはいないけどね。
…………ランドルフが、助けてくれたから。
一瞬を長く感じて、迫る口を今度は真っ直ぐ見据える。
あの時とは違う、と思いながら。
気を失う瞬間って、こういうものなのか。
フラつく身体を支えらなくて傾き、視界は真っ白になる。
「やっと、見付けた」
──エマ。
と、ランドルフの呼ぶ声が聞こえた。




