地味なアルバイトの女の子に罰ゲームで告白したら、どうやら俺の幼馴染だったらしい。そして逆告白された。
ムーディーな曲が流れる店の中とは反対に、大学三年生の俺、三上智也は窮地に立たされていた。
もうすでに何杯もアルコール飲料を飲んで、さっきまではきちんと酔った感覚があったはずなのに、今は一切酔える気分じゃなくなっていた。いつもたまり場にしてるバーなのに、なんか違う場所にいるようだ。
「なんで、俺がそんなことをしなきゃならねぇんだよ」
「ババ抜きで負けたからだろ」
「そもそもなんでこんな勝負をけしかけたんだ」
「ま、こればっかりは時の運っていうところで!」
「そうだな。顔に出さなければ、負けることはなかったはずだ」
「ほんと、智也の表情ってよく変化するよね」
「いや、だから」
こうなった元凶である同期の二人、瀬良雄太郎と滝沢陽太が、口々に俺の手元に残されたババを見て笑う。今から罰ゲームで、哀れな子羊になってしまったアルバイトのあの女の子に告白をしなければならない。
クソッタレと思いつつ、景気づけにグラスの中に残っていたエメラルド・ミストを飲み干して、グラスを持ってカウンターの方に向かった。
事の発端は今日、十二月二十四日の朝だった。
世間一般ではクリスマスであり、街中は祝祭モードであるが、彼女いない歴イコール年齢の俺は今年もただ寂しく酒を飲むことになるだろうと思っていた。しかし、朝一の講義の前、同期の瀬良雄太郎と滝沢陽太から「彼女がいないもの同士、しみったれずに飲みにいこう」という誘いを受け、二つ返事で行くことを決めた。
もちろん男三人集まっても、かならず恋愛話になるのはわかりきっていた。
……わかりきっていたはずなのに。
三人とも同じ法学部だから、最初のうちは同じ学部の女子でだれが一番かわいいかという話だったし、学祭で選ばれる今年のミス・キャンパスはだれになるだろうという話になった。だんだんとタガが外れてきて、付き合っている男がいないとわかっている女性の助手でだれをオトしてみたいという話になった。
「間野さんもいいよね。気が少し強そうだけれど、僕にはそれぐらいがちょうどいいかも」
「それを言うならば、一番はやっぱり前波さんだろ」
「たしかにあの人は気が強いけれど、ちょっと浮気しそうじゃない?」
「そうかな? どう考えてもハブにしか見えないが。浮気したらすぐに絞め殺されそうだよ。浮気しそうなのは秋沢さんじゃないのか」
「なに言ってるの? 秋沢さんがそんなことするはずないじゃん」
そこまででも十分、酒の肴だったが、所詮はほとんどロクに女子と付き合ったことのない男子三人。下世話な話に進んでいくのに、そう時間がかかることはなかった。
たとえば不倫の末に付き合いはじめた学内で有名なカップルがいるのだが、どうやって最初のころ周囲に気づかれずに燃えあがったのかという話題。彼らは互いの友人に協力してもらい、かたく口止めしてもらっていたらしい。とうとう公になったのは彼女のスマホに送られてきたメールが原因らしいが、それでもかなり長い間、二人の不倫は見逃されたらしい。
ほかにも同じく学内でデキ婚するカップルが、いつごろから付き合っていたのかという話になった。雄太郎が半年くらい前じゃなかったかと言うと、それって彼女の方はまだべつの彼氏と付き合っていなかったっけと陽太は首を傾げる。
俺は雄太郎や陽太とは違ってサークルや部活に入っておらず、周りの学生とそこまで交流がなかった。だからか、二人が話す内容にあまり興味がなく、それよりも周囲の視線、とくにこの店の店員さんからどう思われているか怖かった。
アルバイトの女の子が席までお代わりのグラスを持ってきたとき、ちょうど話が途切れたところでよかったとほっとした。接客業という立場上、いちいち話の内容を気に留めないだろうが、それでも女の子の目の前でするような話ではない。
「かわいいな」
この中では一番モテるだろう雄太郎が、地味としか形容できない彼女を見てそう言うが、俺は反対に、ニコリとすることなく注文したドリンクを置いてさっさとカウンターの方に戻ってしまっていた彼女には大きなお世話だろうが、接客業に向いていないのではないかと思っていた。
「どこからどう見たって平凡だ。今だって、無愛想だったし。それよりもさっきフライドポテトを持ってきてくれた子の方がよかったよ」
「あのな、さっきの子は派手目の化粧だったし、服もわりと可愛いだけだ。あの子はちょっとぼったい眼鏡をしているけれど、それを外したら垢抜けするだろうな。なにより化粧っ気はないけど、それに負けないぐらい肌がすごくきめ細かい。きちんと手入れしている証拠だ。多分、月々の美容代は一万円を下らないんじゃないかな?」
さすがは金持ちの感覚は違う。
“男なんだから石鹸でいいでしょ”と母親に言われて、頭を洗うにも、顔を洗うにも、体を洗うにも石鹸一つで済ませてきたからか、そんなことを想像できるはずもなかった。
「今から三人でババ抜きして、負けたら彼女に告白しよっか」
「はぁ?」
「雄太郎って、ときどきとんでもないことを言いだすよね。会ったばかりの酔っ払い客に告白されるっていうのは、彼女の方が罰ゲームみたいじゃない」
いつの間に出したマイトランプをシャッフルしながらそう切りだした雄太郎。陽太ともども怪訝な視線を投げるが、こうなった以上、雄太郎は引かないな。そう互いに目配せし、諦めて手札の中で揃っているカードを捨てはじめる。
「そもそも好きじゃない相手に告白するって、男として……いや、人としてどうよ」
「そうだよぉ、雄太郎みたいに金持ちのボンボンで向こうから誘いもしないのによって来る男にはわからないんだろうけれどね」
男の敵だよねぇ。
陽太は雄太郎のルジェカシス・ティーが入ったグラスをかつんと弾く。
小洒落たバーなんて知らなかった俺が踏みいれることができたのは、小さいときから蝶よ花よと育てられてきた雄太郎のおかげだ。かなり有名な弁護士のご子息らしい彼は、着ているものも立派だし、羽振りもいい。この店に限らず、一緒に食事や遊びに行くときはそれぞれが使った金額にかかわらず、総額の三分の二を支払ってくれる。だから、彼と付き合いたいという女は後を絶たず、同じ女と付き合っているところを見たことがない。
決してこちらからたかっているわけじゃない。とはいえ、周りから見たらどう思われているのか、小心者の俺にとっては非常に気になるところだった。
「大丈夫だ。前もってオーナーには俺たちが来ることは話をつけてある。もしほかの人に迷惑をかけてしまったら、間を取り持ってほしいとも頼みこんである」
「最低だな、お前」
「本当、雄太郎って金持ちとしてだけじゃなくて、人間として最低」
一般人とはかけ離れた感覚を持っている男に俺らは白い目を向けるが、涼しげに受け流された。
陽太が雄太郎のを、俺が陽太のを、雄太郎が俺のカードをそれぞれ抜いていく。
配られた最初から持っていたジョーカーを、いつかは雄太郎が引いてくれるだろうと楽観視していたが、なぜか途中からノリノリになった陽太が抜けたあと、焦りはじめてしまった。そんな俺に引き換え、自信満々に引く雄太郎は不敵な笑みを見せてくる。
しかも、どこにジョーカーを置いているのかお見通しだと言わんばかりに、それを避けて抜いていくのだ。雄太郎が引く直前で変えても、べつのカードを取るのに放心するしかなかった。
「これで上がりだ」
一対一での勝負で、最後に引かれたのはクローバーのキング。まさしく王者のような彼にふさわしい一枚を、手持ちのハートのキングとともに捨てる雄太郎。
それは俺の敗北が決まった瞬間でもあった。
「お前、顔に出すぎなんだよ」
嘘だろと唸ってしまった。
たしかに小さいときから顔によく感情が出るとは言われていたから、なるべく顔に出さないように訓練してきた。高校に上がったあとは、逆に無表情すぎて怖いと言われてしまったこともある。
「ホントだねぇ。智也って、かなり自分では顔に出てないと思っているタイプだよね」
陽太の言葉にぐうの音も出なかった。
陽太はどちらかというと天然だが、ときどき見せる腹黒さを完全に押しこめているし、雄太郎は涼しげな表情を崩すことがない。この二人に比べれば、俺の無表情は作られたものであり、あくまでも無表情な振りをしているだけに見えるのだろう。
「次のお飲み物はいかがなさいますか?」
マスターがグラスを持ってきた俺に微笑む。何回か利用しているので、多少顔なじみの客として新作のカクテルとかを飲ませてもらったり、希少な酒肴を融通してもらったりしている。
そんな彼のところで働いているアルバイトの女の子に罰ゲームで告白することを考えると心が痛むが、少し離れたところでニヤニヤしている悪友たちが見守っている。俺の内心を見透かしているのか、マスターに冷たい水が必要ですかと尋ねられたが、大丈夫ですと首を横に振った。
「それよりもノルマンディ・コーヒーをお願いします」
「かしこまりました」
マスターに注文した後、女の子を探そうとしたが、その必要はなかった。ちょうどおつまみ用のナッツを小皿にサーブして、こちらに渡してくれるところだった。
どうぞ。
そっけなく小皿を差しだされた瞬間、俺は覚悟を決めた。
「あ、あの、付き合ってください」
ド直球すぎるとか、初めて会話するのに理由もなく告白するとかおかしいだろうとか、そういった細かいことを考える余裕なんてなかった。
べつに本当に付き合うための告白なんかじゃない、ただの身内ノリの質の悪い罰ゲームを早く終わらせたい一心でそう言うと、女の子は一瞬驚いたように瞬いた後、微かに頷いた。
これはただの罰ゲームのはずだ。しかもいきなり告白されるなんて気持ち悪いと罵られるはずだった。それなのに、なんで彼女は頷いているのか理解不能になってしまい、酸素不足になった魚のように口をパクパクとさせてしまった。
「とりあえず今は仕事中なので、ここに連絡先をください」
店の名刺をカウンターの奥から出し、エプロンに挟んであったボールペンとともに渡され、俺は言われるままに自分の名前と携帯番号とメールアドレスを書いていた。
連絡先を書きこんだ名刺を渡すと、女の子はそっけなく受けとるが、心なしか大事そうに握っている。なんで自分の連絡先なんか大事そうに持つのかわからなかったが、その場で理由を確認することはできなかった。
「では」
そう言ってまた愛想もなくぺこりと頭を下げた彼女はさっさとカウンターに入って、空いたグラスを洗いはじめた。
「やったじゃん、智也! まさか告白が成功するなんて、意外だったね」
「……ああ」
呆気なく成功した告白の後、マスターがささやかなプレゼントですと言って、高級そうなワインのミニボトルを一緒に受け取って席に戻ると、陽太も目を丸くしていた。
「これで来年からは一人さみしく飲むことになるな、陽太」
「そうだねぇ。でも、それでも僕は問題ないかな?」
「わからないだろ。幻滅して別れているっていうことだってあるんだし」
「そうかなぁ? 智也の場合、ちゃっかり結婚してもおかしくないんだよねぇ」
「どこにそんな根拠があるんだよ。別れる方が確率的におかしくねえよ」
罰ゲームとして告白して、それが成功。しかも初対面で、名前なんて知らない女の子。
本人に聞こえていたかどうかわからないが、自分が地味で無愛想だと言ってしまった彼女はどうして告白を受け入れたのかわからない。
ちらちらとカウンターの方を見てしまったが、彼女は告白なんてなかったかのように、接客している。
「しかし、雄太郎は告白しなくてよかったのか?」
「どういうことだ」
「だってお前が最初にかわいいって言ったよな。だから、お前が付き合っちゃえばよかったのに」
そういえばそもそも彼女に告白するというゲームを始めたのは、雄太郎だと思いだす。
「いや、俺はべつにどっちでもいい」
「どっちでもいいって」
「告白した子が綺麗だった、なら普通だろ? 綺麗と思ったから告白したい、とはならないだろ」
「まあな」
たしかに容姿が端麗だろうと端麗でなかろうと、好きな子に告白する。それがたまたま端麗なのかそうでないのか、それだけの違いだろ。
正論を突きつけられ、少し腹立たしくなった俺は、じゃ、なんでそんなこと言ったんだと問い返した。
「だから、理由はないって」
話は終わりだと言って、空のグラスを持って、カウンターに向かっていく雄太郎を見ていると、背後からそっと手元にカードが差しこまれた。だれが置いたのかと思って振り向くと、ちょうど隣のテーブルに向かう彼女が差しこんだようだった。
急いで中身を確認すると、『この後、お話ししたいです。あと三十分でお店を出られるので、一緒に行きましょう』という内容で、丁寧にも集合場所を示した地図まで書いてあった。
「智也、どうした?」
いきなりの告白を受け入れたということは、もしかしたら彼女の方にもなにかあるのかもしれない。とはいえ、自分がだましたことも事実だ。
ちゃんと謝って、真実を話したい。そのうえでどうするか決めなければ。
いきなり考えだした俺が気になったらしい陽太が覗きこもうとしたので、慌ててその手紙をひっこめた。
「いや……トイレに行ってくる」
「いってらっしゃい」
小細工するならばこれしかないか。そう思って、鞄からスマホを取りだし、ポケットに忍ばせ、店の奥にあるトイレに向かった。少し派手な照明が落ちつかなかったが、ちょっとの間、耐えることに成功した。
頃合いを見計らって席に戻ると、雄太郎も戻ってきていた。
「ちょっと悪い。明日提出の課題がまだ終わってないのを思いだしたし、バイト先の後輩から呼びだし食らったから抜けるわ」
「そうか」
「智也がそんな呼びだしされるっていうことは、ちょっとまずい事態?」
明日提出の課題があるのは間違ってないし、バイト先の後輩から呼びだされるのはしょっちゅうある。二人とも俺の言い訳を疑うことなくじゃあまた学校でと言ってくれたので、捕まることなく、店を出た。
ひんやりとした風が吹きつける中、先ほど渡された地図を見ながら目的地にいくと、そこには二階建てのビルがあった。しかし、一階にも二階にも若い男女向けの飲食店があり、どちらの店に入ればいいのか書いてなかったので、できる限り目立たたないが、彼女がやってくるのがすぐにわかる場所で待っていることにした。
「すみません、お店を書くのを忘れてました」
待ちはじめてから十分も経たずに、彼女はやってきた。
自分がお店を書いてなかったのを渡してから気づいたらしく、店を出るのに気づいた後、慌てて追ってきたという。
一階のドイツ料理屋に入った俺たちはクラフトビールとおつまみをそれぞれ頼み、すべて出てくるまで無言だった。
「あの……誘っていただいて申し訳ないんですけれど、なんであなたは初対面の男の告白なんて受け入れたんですか?」
目の前には三種類のソーセージとザワークラウトがのったお皿が置かれている。美味しそうな匂いがしているが、先にやるべきことをやってしまわないと。そう思って見ると、彼女は告白されたときのように目を瞬かせていた。
「ちなみにあなたに告白をしたのは、嘘です」
「えっ?」
「嘘です」
一瞬のうちに彼女がしょぼんとなるのが見てとれた。
けれど、彼女のどこが好きなのか、俺に挙げることはできない。
「だからあなたが告白を受け入れた理由はわかりませんが、罵っていただいて結構です。それだけ最低なことをしたという自覚はあります」
ひと思いに言いきると、彼女は大粒の涙を流していた。
「本当に最低な人ですね」
「ええ、そうだと思います」
最初から無理があったのだ。そう智也は目の前の女の子に心の中で謝った。
雄太郎が発案した罰ゲームで、いきなりアルバイトの女の子に告白するなんて最低もいいところだ。傷害事件になるからさすがに物理的には殴れないが、今度いい値段のレストランで奢らせて……――
「私、ずっと好きだったのに」
本日二回目の酸欠状態の魚になってしまった。
彼女が言っている意味がわからなかった。
だって、彼女とは今日が初めて会話するのであって、俺の名前だって身分だって住所だって知らないはずで……――
「私のこと、覚えていない?」
彼女はそう言って、眼鏡を取って左側に垂らしていた髪をあげる。
その顔をじっと見つめて、気づいた。
「もしかして、和江ちゃん……?」
少しふっくらとした顎先、右目の目元にあるほくろ。
そして、こめかみ付近にある消えない傷跡。
なんで彼女が目の前にいるんだ。
「よかった、思いだしてくれて」
アルバイトの女の子であり、俺の幼馴染である霧島和江ちゃんは嬉しそうに目を伏せる。
その仕草も最後に見たときから、変わっていない。
「私、ずっと探していたんだ。智也君のことを」
「ずっと……?」
「うん、ずっと。だって、智也君、私のことをちゃんと見てくれたんだもの」
俺たちが出会ったのは小学校。そのころはまだ、その傷はなかった。その傷ができたのは中三の夏。体育の授業中、突然意識を失った彼女は顔から倒れてしまい、こめかみに大けがをし、何針か縫ったらしい。
年頃の少女であった彼女の顔に傷跡が残った。
それだけで十分、憐みの対象となる。周りの連中は彼女に対して、腫れ物に触るような扱いをしていたのを記憶している。けれど、自分はなにもしなかったじゃないかと思いだす。
「ううん。なにもしなかったから、私は嬉しかったんだ」
どうやら逆に特別扱いをされなかったことが、記憶に残っていたらしい。ゆっくりと首を横に振って、スマホから古い写真を出した。
「写真写りが悪くならないようにって、みんなが撮影の方向に気を使ってくれたり、あの前後の記憶が抜け落ちてないかって心配してくれたり、突然倒れたりしないかって見守ってくれて嬉しかった。でも、それは私にとってちょっと負担だったんだ」
全部同じ方向に向いている写真。周りとしてはコンプレックスになるだろう傷跡を隠そうという善意からやってくれているんだろう。けれど、もし彼女自身がその傷跡をコンプレックスだと思っていなかったら。
それで“なにもしなかったから”俺のことを覚えていた、忘れることができなかったという説明に納得した。
「ほら、こうやって一緒に映ってくれたよね」
そう言って見せてくれたのは、正面から撮った写真だった。
和江ちゃんが袴姿、俺が某有名アニメキャラクターの格好をしているということは、中学校最後の文化祭のときのものだろう。
嬉しそうに笑っている彼女の髪には、かわいい飾りが付いているが、その真下には傷跡が見えている。
「左側に付けるこの髪飾りさ、私のお気に入りだったんだ。でも、怪我を隠そうとしているんだろうってみんな思ったみたいで、だれも付けてくれなかったんだよね。けれど、智也君だけは私に似合うからって、ちゃんと付けてくれた」
心の底から嬉しそうに言う姿に、この言葉は本気なんだろうと俺は思った。
「俺は……べつに和江ちゃんがそう思っているだろうから、ああやって接してきたわけじゃない」
「知ってるよ。今だって、すごく驚いていたもんね。でも、だからこそ嬉しかったかな。わかっててそう振舞われたら、ちょっと悲しいかも」
おどけて泣く仕草をする和江ちゃん。
決してコンプレックスではないんだから、普通に接してほしい。けれど、わざと“普通に接する”というのは、だれにとってもすごく難しいことだ。
今まで鈍感男と言われ続けた俺にとっては、たまたまであるけれど、今回はそれが功を奏していたようだ。
「で、なんで智也君は私に告白したの?」
感動シーンのはずなのに、急に現実に引き戻された。
まあ、急と言っても、もともとはそれを言うためにここに来たんだから、問題はないんだが。
「罰ゲームだよ」
「え?」
「雄太郎が和江ちゃんのことを可愛いって言って、で、俺が……ちょっと反論しちゃってさ」
さすがに地味だの、愛想よくないだのと言ったことは伏せておこう。
好きだと言ってくれた後なのに、非常に申し訳なさしか残らないから。
「聞こえていた」
「は?」
「だから、智也君が私のこと悪く言っていたの、聞こえていた」
「スミマセン」
まぁ、そうだよなぁ。
大勢のサラリーマンや学生が酔っ払って、どんちゃん騒ぎしている居酒屋じゃないんだから、聞こえないわけないわな。
「でもね、そうなるように仕向けたの、私だから気にしないで」
ほんわかと笑う和江ちゃん。小学校のときから可愛いと思っていたけれど、今でもすごくかわいい。
さっきはどうして、その可愛さに気づかなかったんだろう。
「私ね、父親の転勤で高校から県外に行っちゃったじゃない? その後、ちょっといろいろあってこっちに戻ってくることになったんだけど、連絡先も聞いていなかったから、もう会えることはないんだって思ってたんだ」
そのとき、たまたま通っていた大学が俺と同じだということを、学内の掲示板で知ったらしい。
「で、いつも智也君がつるんでいる人、瀬良さんだっけ、彼に頼みこんだんだ。そしたら、あの店で働かせてくれるって言ってくれて」
もちろん善意で紹介してくれたわけじゃなかったんだけれどね。
そうはにかむ和江に焦った。あいつのことだから、なにを言いだすかわからないと焦った俺に、大丈夫だからと宥めてくれた。
「そこで智也君に引き合わせてくれるって言ったけれど、まさかこんな形になるって思ってもいなかったから、ちょっとびっくりしちゃったよ」
「まったくだ」
「智也君を驚かすつもりでこんな格好にしていたけれど、逆に驚かされちゃったよ」
友人にうまく乗せられてしまったと、恥ずかしくなった。
「ところでさ、私の方から言わせてほしいんだけれど」
せっかく運ばれてきた食事を冷めないうちにと俺たちは食べはじめたのだが、途中まで進んだところで、和江ちゃんがフォークとナイフを置いた。
改まってなにを言われるのかすごくドキドキしたが、なぜかここでなにを言われても、大丈夫な気がした。
「三上智也君。初めて会ったときから、ずうっと好きでした。私のことを変わらず見てくれて、すごく嬉しかった。こんな私ですが、付き合ってほしいです」
こんなセリフを言われるなんて、大丈夫なわけない。
周りのすべての雑音が消えた気がした。
「はい、こちらこそこんな人間ですが、それでもよければお願いいたします」
敬語になってしまったのはご愛敬ということで。
差しだされた手を握る。
すごく柔らかい肌は、いつだったか、運動会で握ったときと変わっていない。
「じゃ、冷めないうちに食べきろうか」
「そうだな」
今、このとき食べたものの味、食感、匂いを忘れることはないだろう。だけれど、それ以上に、彼女に告白する前に飲んだあのエメラルド色のカクテルはもっと忘れられない。
悪友二人に茶化されることを諦めつつ、彼女となった和江ちゃんとの時間を楽しませてもらおう。
* * * * *
日付が変わるころ。
智也が去り、和江が追いかけていった後のバーの中で、陽太と雄太郎はダーツを楽しんでいた。
「ねぇ、本当に彼女のことは本当によかったの? わざと智也を負けさせたよね?」
「お前もしつこいな」
ほかの客に交じってダーツを楽しんでいた陽太だったが、気になることを思いだし、雄太郎が待つテーブルに戻ってきた。
雄太郎は緑色のカクテルを少しずつ飲みながら、店内全体を見ていた。
その瞳にはなんの感情もなく、ただ無機質なものしか映しだされていなかった。
「本当に恋しているときの目だったからさ」
しかし、陽太は気づいていた。
雄太郎が、先ほどのアルバイトの女の子、和江に恋をしていたということを。
注文をするときも、出されたドリンクや料理を受け取るときも、彼女がやってくるときはかならず熱い視線を送っているが、彼女は一切その視線を気にすることなく、反対になんの感情もこめていなかった智也をずっと見続けていたことも。
観察力のない、鈍感な智也と比べて、陽太はある意味百戦錬磨の男。
今では鳴りを潜めているが、大学に入ったころは遊び人として有名だった陽太。だから、色恋沙汰に関しては三人の中でもっとも敏感だろう。
そんな彼からの指摘に、ぐうの音が出なかった雄太郎。
「すごく可愛かったし、賢い」
「賢い人好きだよね」
雄太郎が付き合うのは、いつも才女ばかりだ。いくら彼の光に近寄りたくても、篩にかけられて涙を飲みこむ女性も少なくなかった。そういった意味では、ほとんど節操もなく付き合っていた陽太と比べて堅実な雄太郎である。
陽太は雄太郎のグラスに入っている酒を一口飲むが、あまりにも強くてむせてしまった。よく雄太郎も智也もこんな強いお酒飲めるよねぇと言いながら、すぐに水をがぶがぶと飲んだ。
「でも、諦めたんだ」
「諦めた……いや、諦めざるを得なかった」
「どういうこと?」
気づいたら、店内にほかの客たちの姿はもうない。
先ほどまで使われていたダーツ台に行き、一本の矢を手に取って的に向かう雄太郎。
「和江さんは智也のことが好きだ」
「へぇ。じゃ、いつもみたいに自分自身を好きにさせればよかったじゃん」
いつもだったらそうしていたが、なぜかできなかったと言って、矢を放つ。矢は、的の中央に吸いこまれていった。
自分が気に入った女性を振り向かせるためには、金をばらまこうが、悪評を広めようが、なんだってする。たとえ付き合っている人がいても。そんな雄太郎らしくないと陽太はすっと目を細める。
「アイツに彼女から見切りをつけれられればな」
けれど、今回の彼女、霧島和江はきっとそうならない。そう言いきれる自信があった。
「じゃ、新しい恋を見つけに街に出ますか?」
「しばらくはいい」
「ふぅん。また興味がわいたら、連絡してねぇ」
陽太はどうやらこれから街中へナンパしに行くようだったが、雄太郎はそんな気分じゃないと断る。一人残って、ソファでグラスを傾ける雄太郎。先ほどまではしょっぱく感じたのに、今は甘さが元に戻っていたことに気づいたが、気のせいだと自分自身に言い聞かせた。
「じゃ、俺も帰りますか」
そう言って立ちあがった。
これで自分の役割は終わりで、あとは二人次第だ。店を出た雄太郎は、寒い風に吹かれながらそう呟いた。