2 出てきたよ、ヒーロー
翌朝。クグルス家は慌ただしかった。ハリエットの誕生日パーティーの準備に追われていたからだ。早朝から湯浴みをし、髪を解かし、ドレスに着替えと大忙しだった。
「……初めて見ました…。ハリエット様、お似合いです」
笑いを堪えるエディを横目に、ハリエットは姿見の前で回る。
何か、不思議な気分だ。
今まで男として育てられ、ドレスを着るのも初めてなのだ。見るぶんには可愛いが、着てしまった丈がら短いとはいえ重量感がとてつもない。
「可愛い…だろうか?」
「はい。ただ…、そのキノコ頭をどうにかされた方が」
「だーかーら!マッシュルームヘアだ!」
「どちらも同じで──!リード様!おはようございます。如何なさいましたか?」
いつの間にやらここに居たリードに、エディは外面の笑みを浮かべた。
随分と態度が違うぞ!
頬を膨らませ、エディの背中を叩く。叩くといっても、軽いものなので、エディは楽しげに笑っていた。
「…可愛い」
リードがハリエットの顔を覗き込む。まだ子供だからか、身長はハリエットの方がやや高い。
「有り難う存じます。しかし、昨日は気持ち悪いと仰ったのに随分と改まったんですね?」
「あぁ。昨日は気持ち悪かった。だが、女性に対して気持ち悪いと言うのは、悪かった事だと思っている。すまなかった」
眉を下げ、謝罪するリードに母性本能が擽られ、『まぁ、いいです』と呟いた。
「けれど!ご令嬢に気持ち悪い等という失礼な発言をされては、クグルス家の名が廃ります。例え、そう思われたとしても、仰ってはいけません」
リードは承知したとでも言うように、頷いた。
お兄様は貴族社会で生きていけるのか?
そんな疑問が頭を過る。加えて、どこから引き取ったのかさえも分からない彼に、どの辺りまで教えた方が良いのか、分からず戸惑っていた。
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有名な音楽団のファンファーレが終わると、ハリエットは母に手を引かれ、リードは父に手を引かれて、ステージに上がった。拍手が巻き起こり、リードは雰囲気に気圧されている様だ。母に『頑張って』と背中を押され、マイクの前に立つ。これの主動源は魔石だ。
「皆様、本日は私の誕生日パーティーにお集まりいただき、有り難う存じます。今日の私の格好、どうでしょうか。初めてのドレスに少々落ち着きを隠せません。これから、私の事は女性として扱っても、男性として扱っても構いません。私も口調などは直らないと思いますので。……さて、今宵のパーティーは明るく、盛大に盛り上がりましょう!素敵な紳士淑女の皆さんに愛を、幸を」
ハリエットが花の綻ぶように笑うと、そこに居た者は全員、吐息を漏らした。両親とエディは苦笑を浮かべ、父が先程ハリエットが居た場所に立った。
「いやはや、我が娘が立派に成長してしまって親としては寂しい様な、嬉しい様な、複雑です。ここで、重大なお知らせが有ります。我がクグルス家に長男を迎え入れました。名をリードと言います」
彼はここで言葉を切り、リードを自身の隣に立たせた。リードは充分美形の部類に入る。由良の書いた小説には出てこないが、それでも、ハニーブロンドの髪はまさに蜂蜜のように甘く、蕩けそうだ。空色の瞳は鮮やかで、どんな悩みも吹き飛ばしてくれるようだった。
「彼に家督を継がせようと思います。これから、我が愛しき子供達を何卒よろしくお願い致します。それでは、良い思い出を!お手元のグラスを掲げて下さい!……いきますよ?乾杯!」
歓声と拍手が沸き起こり、ホールは一気に楽しげな雰囲気となった。先ずはダンスを踊り、挨拶をし、また誘われればダンスとなる。貴族達の腹の探り合いが始まったのだ。
「お兄様、踊りましょう?」
婚約者の未だに居ないハリエットのファーストダンスの相手は親族である。つまり、リードだ。
「あぁ」
ぶっきらぼうに言うリードの手を引き、ホールの中央へと引きずる。一曲目はタンゴ。恐らく、リードはダンス等踊れないだろう、と考えたハリエットは彼を引っ張るつもりだった。
「──はぁ…お、お兄様、ダンス、お上手なんですね……?」
「まぁ。それなりだ」
ハリエットは息を切らしていると言うのに、リードはそんな素振りを一切見せない。余裕綽々といったように、柔らかな笑みを浮かべている。
数十分後、やっと一息ついたハリエットはバルコニーに出て、夜空を見上げていた。ダンスを踊り終えた後、笑顔のまま挨拶をしていた為、顔がひきつっている様な気がする。
「花のようなお嬢さん。何をされているんですか?」
気障な言葉を放つ少年が、口許に弧を描きながら問うた。
「……空を見ていたんですよ」
答えると、シルバーの髪と瞳の少年は、ハリエットの側につく。初対面だというのに、距離を詰めてくる少年から遠ざかる様に、ハリエットは一歩、反対方向に移動した。
「ハリエット嬢…でしたよね。クグルス家のご長女である。私はクレメント・インチェス。インチェス公爵家の嫡男です」
「えぇ。若き秀才…でしたっけ?」
皮肉ってみるが、内心気が気ではない。
どうすんだこれ!ヒーローだ!クレメントぉおお!
とてもではないが彼女の心は人に聞かせられない程、荒れていた。クレメントは、由良の書いていた小説に出てくるヒーロー。つまり、主人公であるヘレナと結ばれる人物だ。
「ところで、クレメント様。ご婚約者が居られたのでは?」
「……いえ?確かに、候補は居ますが、正式には居ません。……そうそう、ハリエット嬢も候補の内の一人だったような…」
ニコリと笑みを深め、無言の圧をかけてくるクレメント。ハリエットは腐っても侯爵令嬢。加えて、小説の中の人物だからか、顔もそこそこ良い。放っておく訳にはいかないだろう。
「光栄です。しかし、私はこのように男の様ですから。ヘレナ・タッカリア侯爵令嬢は?どうなんでしょう?恐らく、彼女も候補に入られているんでしょう?」
「勿論。……ふふ。…あぁ、すみません。彼女、奇怪な行動をするので。現在観察中なんですよ」
形の良い唇に手を当て、上品に笑うクレメントに『はあ…』と軽い相槌を打つ。
これは物語の展開通りに進んでいるな…!と結論付けたハリエットは、先を促した。
「ほ、他には?ヘレナ様とクレメント様のお話、お聞かせ下さい!」
「そうですね…。例えば、こういう風に、令嬢の近くに寄ると──」
そう言いながら、クレメントはハリエットの腰に手を添え、彼女の耳元に口を近付けた。