蒟蒻を廃棄する話ではない話。小話1(砂糖漬け)
三度目の婚約破棄破棄以降のある日、二人だけの時に。
殿下の右手の指が数本、わたくしの鎖骨と左腕に触れたのです。
「イカがほしい」
驚きによる反射で、思わず言葉が口から衝いて出ておりました。
「イカでしたら鮮魚コーナーにて、本日は剣先イカとベイカが新鮮とれとれでお勧めとなっておりますがいかがなさいなすか? イカだけに……と、まぁ、スーパー……失礼、マルシェの店員はのたまうとして。私はお前にいかがわしいと言われたのだと解釈して宜しいか? 許嫁殿」
殿下は口角を上げ、されど、目は射るようにわたくしを斜め上の角度から見つめておいでです。目を反らせたらわたくしの負けのように思います。貴族令嬢として、一淑女として、真っ向から受けて立つ所存です。
わたくしの鎖骨に親指を固定したままの殿下の指がスゥーと重力に従ってか滑り落ちるのを感じます。
(ビクッ)
体が震え、一瞬目を反らせてしまいました。慌てて殿下の目を見つめるのですが、鎖骨からやや下の位置にある殿下の親指はまだ離れてはくれず、殿下の目は……ニヤついたような、人を見下すいつもの目になっておりました。
いくら誇り高くあろうとも、わたくしとてイライラッとすることもあれば、あわあわっとすることもありますもので。キッと睨むような視線を送ってしまいます。
それを見てか、殿下の目がすっと優しくなったと同時に、殿下の左手がわたくしの顎をそっと持ち上げるように触れました。状況は徐々に徐々に、ゆっくりゆっくり流れ、何やら男女的な雰囲気な方向に進行中の模様。時間の経過を緩やかに感じる為か、今度は冷静に問うことが出来ました。
「節分ですか?」
「このような場面でも、お前は相変わらずなのだな。お前は私に豆でもまいて追い払おうという算段かな? されど、払われずに済んだ鬼がいたとなれば、お前はどうなるものやら」
目は優しいままで、殿下はクックッと恐らく笑ったのだと思います。
(かぶっ)
顔は交差し、左耳を鬼に齧られたようです。ぞわぁ~っとした鳥肌で、空をも飛べるといった具合に、思考は遥か彼方へと飛んで行った気が致しました。
「…………」
耳元で、名前を薄っすらと呼ばれたように思います。声のした方、左に顔を向けると、殿下の大きな両の目がすぐ目の前にあって、小旅行に出掛けたはずのわたくしの意識はすっかり現実に引き戻されました。
殿下の右手の指の位置は変わらぬまま。今まで指だけで支えて浮いていたであろう殿下の右の手の平が、わたくしの左胸にそっと下ろされました。胸に触れられているという恥じらいよりも、わたくしは心音を全て殿下に悟られることが恥ずかしく、より一層、鼓動は早くなるばかりです。
「クックックックッ」
今度ははっきりと、殿下の笑い声が漏れ聞こえました。
「お菓子ですか」
「あぁ。甘い、甘い、砂糖漬けなど、いかがかな? クックッ、あぁ、可笑しい」
甘い味がしたのかしなかったのか、全ては心音に掻き消され……。