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拾弐話

○空純朦罵

 

夏の暑さと湿気が鬱陶しい。日付なんて覚えてなくとも季節はこうして俺に訴えてくる。


今日は砂の家で晩餐会、ということで砂に御使いを頼まれた。____分かった平仮名にするよ。お、つ、か、い、だ。全く、ガキじゃねぇんだから。


ともあれ、頼まれた食材は買い終え自転車の篭に詰め込んだ。卵が割れてないといいが。


やたらと頭が重くなった自転車を河川敷で走らせる。


灼熱地獄に加え、ペダルを漕ぐ足に順調に疲労が蓄積されていく。文化部には少々きつい。

さっさと砂の家で冷房に当たりたいところだが、残念ながら一度家に帰る必要がある。学校の荷物も置いていきたいし、汗ばむので着替えたい。


住宅街に入って、年季の入ったクリームの一軒家に自転車を止める。


家の中では母が缶ビールを片手にテレビを見ていた。


「晩酌にはちと早いんじゃねぇの?」


「あぁ朦罵。おかえり。今ちょっと一仕事終えて休憩してたのよ。これ終わったらご飯作るから待っててねー」


「いや、俺今日は外で食べてくるよ」


「あらー、そう。あんた最近そういうの多いけど、なに?そういう友達でも出来たの?」


「まぁ、そんなとこ」


適当に答えながら学校の鞄を畳の上に放り、冷蔵庫から缶ジュースを取り出した。

喉の乾きを潤しながら、テレビを見る。夕方のニュースをやっていた。


「あー、台風が来るみたいねー。もろこの街に直撃するみたい」


テレビが映す地図ではこの街の付近に白い渦が巻かれていた。近日、この天気図の通りになるということだ。


「うーしっ。じゃあ休憩終わり!」


と、母が立ち上がって、仏壇の前に座った。

母のルーティーンだ。父が交通事故で亡くなってから昼酒をするくらいにはダメ人間になってしまったが、いざというときはこうやって父と向かい合って気合いを入れている。


だが、今日は心なしかいつもより長く座っている。


「......母さん?」


「ん?......あぁ、何でもないよ。ちょっと仕事でいろいろあってね」


「もしかしてまたあのクソ上司? 全く......少しは母さんも言いたいこと言っていいんじゃないの?」


「もうバカ言わないでよ、社会に出たこともないくせに。大人ってのはいろいろと複雑なのよ」


「俺だってそんなことは分かってるけどさ、母さん何だか時々気が弱くなるじゃん?そこを相手に漬け込まれていいように利用されてるんだよ」


「そりゃそうかもしれないけどね。でもさすがにあんたみたいなのは無理。夜中に学校に侵入するなんて」


「あれは......別に気の強さなんか関係ないよ」


そうだ。全くもって関係ない。

あれはそんなレベルでの動機ではない。


「ほんと、退学にならなくて良かったわ。流石に中卒で就職できるほどの器量があんたにあるとは思えないしね」


「そうかよ。別に学業なんてさっさと止めて早めに就職した方がいいとも思ったんだがなぁ」


「何言ってんの。社会ってのはあんたが考えてるほど甘いもんじゃないのよ。あんたは今学生だから、世の中の汚いものと向き合う必要もないんでしょうけど、大人になればあんたが想像したこともないようないろいろな辛い出来事がたくさんあるんだからね」


母のこの話は何度も聞いた。

その度に俺は母の言うことは正しいんだろうなと思いつつ、ただ一点だけ、反論したい部分がある。

"いろいろな"?大人の日常と言うのは日々同じことを繰り返す無限ループだ。そこに代わり映えなどないはずだ。朝息子へ弁当を作って、会社へ行って、帰ってきて酒を飲んで、また家事をする。その日常に"いろいろな"苦難が潜んでいるのなら、それこそ幸せなことだ。だが大半の人間は、大人になれば一日という時間を小刻みに何度もループするという苦行を死ぬまで課せられる。その日々に名前をつけることなど、もはや不可能になるまで。


「分かってるよ。父さんを見てたからね」


父もそうだった。

この小さな田舎街で漁師をやっていたが、五年前に船が遭難し、行方不明になった。さすがに父がまだ生きているとは俺も母も思っていない。だが父が俺たちに遺したものは大きかった。母には喪失感を。そして俺には焦燥をくれた。


父が死んでから、俺は高校を卒業して働く道を余儀なくされ、社会に出るためのタイムリミットが明確にされた。毎日の日々に名前をつけて、なんとか輝こうとした。自分自身にかけがえのないものを残したかった。大人になれば、きっと、もう駄目だと思うから。


「じゃあそろそろ行ってくるよ」


「あーいってらっしゃい。気を付けてね」


母の見送りを背に受けて俺は家を出た。


***


「お邪魔しまーす」


町の中でも割りと優良なアパートの一室。それが白春砂の自宅だ。彼女の両親は揃って仕事で県外の出張に行くことが多いらしく、ほとんど一人暮らしのような生活を送っている。


「砂、頼まれた食材は買ってきたぞ」


リビングへ行くと、真無目がソファに座っていた。


「おっす、真無目。今日も練習だったのか?」


砂と真無目はここ最近、とある能力の特訓に時間を割いている。というのも、彼らは時間を操作する能力を持っているのだ。砂はある程度時間を過去へ巻き戻すことができる。そして真無目は過去を改変させられる。だが力を手にした時期が真無目の方が遅いため、真無目は未だ能力をうまくコントロールできず、砂と能力の練習をしているというわけだ。


「あぁ、今日も大変だったよ。でも、」


「聞いてよモーバ!マナメついに出来たんだよ!」


台所から意気揚々とした声が聞こえてくる。


「出来たって……能力か?」


「そうなんだ。ちょっとコツを掴んでね。多少は自分でコントロール出来るようになった」


「そうか……。じゃあよかったじゃねぇか。これで作戦の第一段階は突破できたな。そうなんだろ、砂?」


「そうだね。それも踏まえて今夜は作戦会議でもしようかなって思ってさ」


「なるほど。じゃあ僕らもいろいろと聞かなきゃいけないことがあるね」


真無目がこちらを向く。

確かに、俺も真無目も砂からは詳細を聞かされていない。例の"作戦"のことを。


俺が中間テスト前に砂と出会って、かれこれ三ヶ月近く経つ。一ヶ月前から真無目も加わって、こうしてたまに砂の家に集まって勉強会を開いたり、ゲームしたりと、なんだか普通の高校生のようなことをやっている。多少お互いのことも分かってきたし、真無目や砂の過去も聞いたし、友情も___少しは育んだのか?分かんないけど、なんだか二人といると少なくとも俺は心地がいい。さっぱりしたリンゴ味みたいな関係というか、しつこくなくて離れすぎてもいない、そんな感じ。たった数週間だが、二人と過ごして楽しかったことは確かだ。俺なんて成績も悪く暇な時に鉄塔に上るような偏屈な学生だが、この数週間は世間一般でいう青春のようなものを体験していたように感じる。世の学生は皆こういうものを求めて奔走しているのかなぁなどと考える。


____こんな言い方をしているが、俺たちがこれから戦う相手は"異常"そのものだ。



"龍令"。

俺も未だ名称しか知らないその災害が、この街に到来するのだという。それがこの街にどんな被害をもたらすのか、そしてどうすれば止められるのか、俺たちは何一つ砂から教えられていない。砂曰く、まずは真無目が能力を少しでも自制できるようになってから説明するそうだ。そのほうが、多少は説得力が持てるんだとか。俺にしても、よくこんな曖昧な話に乗ったと思う。あの日鉄塔の上で砂の提案を即座に呑んだ。何故だと聞かれれば、それは’’この上ない退屈凌ぎだと思ったから"や"これこそ、人生最後の輝きを得るチャンスだからだ"とか、いろいろ俺なりの言語で理由を述べることはできる。

だが俺は敢えて、そうやって自分の心をほじくって確認するような事はしないことにしている。俺の動機も、望みも、気持ちも、きっと誰も理解できないような気がする。最近はずっとそう思っている。自分でもうまく整理できないほどに複雑なのだ。


「じゃあご飯の準備してるから、出来るまで待ってて」

「いや、僕も手伝おうか?一人じゃ大変だろうし」


「大丈夫よ。一人の方がきっと早い」


心配する真無目だったが、砂にばっさりと切られる。


「じゃあ向こうでゲームでもしてようぜ、真無目」


「そうしててちょうだい。ご飯が出来たらママが呼びに行くからねー」


と、冗談を言いつつエプロンの紐と髪を縛って気合いを入れる砂。

その後ろ姿を見て、俺は無性に父が亡くなる前の母の姿を重ね合わせた。



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