六話 『 正常な異常 』
早朝と言うにちょうどいい時間。
高架橋と並行して走る河川に架かる橋の欄干の上に、緑色の腕時計と緑色のサングラスを掛けて非常識な真緑色の服を着た男は、双眼鏡を覗きながら驚きと感心を同等に含んだ口笛を吹いて突っ立っていた。
「こりゃあすごい。相手が彼じゃ『赤錆』が負けちゃうのも仕方がない」
おわ、本当にすごいなあー、とカラカラ笑って膝を叩く。
欄干の上に立つだけでも十分目立つ非常識なその男は、コメディアンでも着ないだろう真緑色のスーツを上下に合わせて着ているから殊更に目立っていた。今が早朝という時間でなければ、携帯端末で写真を撮る人間もいたかもしれない。
そんな悪目立ちする男が立つ欄干の下で、一年中サンタクロース風のミニスカートコスチュームを着こなすつまらなそうな表情の少女が、空いた胸元から見えるビキニの位置を気にしながら非常識な男に声を掛ける。
「で、どーするんで。『赤錆』先輩、助けに行くっすか?」
「そりゃあ、まあねぇ。行くには行くさ。けど、助けに行くわけじゃない」
「助ける訳じゃないって……確かに先輩の独断専行は悪い事っすけど」
「そうじゃないよ。彼女はもう助かっているんだ」
「助かってる?」
サンタコスの少女はつまらなそうな表情で首を傾げて、橋から見える遠くの土煙に目をやった。どう考えても戦闘は続いているのに、助けに行かないどころか既に助かっているというのはどういうことか。
少女はやはりつまらなそうに欄干の上に立つ男に視線を移す。
その視線に気付いて腕時計を見る非常識な男は、時間を確認してからぽんと欄干から飛び降りた。乗ってきた白いオープンカーに乗り込んで、ラジオから聞こえる時報と腕時計の時間が一秒ほど狂っている事に気づきつつ、双眼鏡を後部座席に投げて少女にも乗るよう促す。それから、少女の疑問に軽く答える。
「そりゃもちろん、愛だよ、愛。愛あればこそ、人は助かっていくのさ」
男に続いて車に乗り込もうとしていた少女の動きが僅かに止まる。
つまらなそうなその表情に一抹の侮蔑が混ざっているのは、どうしてなのか。
「意味が分からないんで。愛とか、セクハラっすか?」
「なんでセクハラ?」
「こんな早朝に、いい歳の男が、女の子と二人きりの場所で言う言葉じゃないんで……訴えるっすよ?」
「はっはー、ごめんよ。訴えないでおくれよ」
男は少女が乗り込んだことを確認すると、適当に相槌を打ちながら車を発進させた。
頭の中では、お高いアイス何個で訴えを取り下げてくれるだろうと考えながら、向かう先は土煙が上がった場所ではなく、ひとまずコンビニエンスストアである。
最近の女の子は何をしでかすか分からない。
非常識な男は少々本気で冷や汗をかきながら車を走らせていくのだった。
♀+♂
爆心地の中心。
天月天は内心、自分の中にこんな激情があったのかと驚いていた。
その驚きは二十一年生きてきた中で一番のもので、人から見れば表情にも行動にも驚いているような変化がないからそんなふうには全く見えないが、それでも天月天は爆心地の様な変化を遂げた場所の中心で、流れ込む川の水に踝をつけながら、文字通り〝木端微塵〟に弾けた女性の死に様を見下ろしていた。
(ああ、びっくりしたなぁ)、と。
あまりの衝撃で、本来なら人間一人分を木端微塵にしたのだから真っ赤に染まっているはずの拳ないし体には少量の返り血が跳ねるだけであり、流れ込んでいる川の水だけが、其処でどのような惨劇が起きたのかという指紋を、赤という色によって表していた。
普通ならば、人間の形をした何かを殺した事や、その殺害方法に自分が普通じゃない事を知り、知ったのならば苦悩して、自暴自棄になったり狂乱したりする。大体の人はそうだろう。そうしてマイナス面ばかりを気にして心の均衡を崩していくはずだ。
だが、天月天は悩まない。
それどころか、自分が誰かの為に怒ることが出来る事に驚き、あるいは少し、喜んでいた。
『誰かを心配することが出来た』
それは天月天にとって初めての感情だった。
人の形をした何かを木端微塵という方法で殺害したばかりの天月天はしかし、己が普通の人間ではない事を自覚して、自覚した上で晴れやかな表情を作れる人間だった。
だから、何の気兼ねもなく、真っ赤に染まるすり鉢状の爆心地を登れるのだ。
見上げれば眉をひそめる見物人が朝も早くから顔を覗かせているが、そんな些末なことなど気にせずに、天月天はボロボロになった服のまま、外見からも爆撃されたような自分の部屋へと強歩気味の駆け足で向かって行く。
それは大穴の開いた現場を見て、人間一人が行える事象ではないから何の疑いも掛けられないだろうという、打算的な思考が働いたわけではない。そもそも天月天という人間に、そんな打算を働かせるだけの回路はない。もしあったのなら、『赤錆』と名乗る拳銃を所持する女の子を拉致しようとは考えなかったし、そんな相手に死ぬか結婚かなどという頓痴気な選択を迫ることもなかった。
天月天の頭にあるのは、『赤錆』を早く病院に連れて行くことだけだった。
(なんか凄い状態だったし、死んでなければいいなあ)
天月天はあくまで軽く、いや、他人には軽いように感じる想いと一緒に、己が行った殺人現場から晴れやかな表情で部屋へと戻っていった。
それは正に、自分の行為を、誇りでもするかの様な足取りで。
次回 「 柔らかい風 」