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五話 『 形相 』

「ぅぎゅきゅりゅryるりゅryるryるryるりゅぅ……」


 吹き飛んでぐちゃぐちゃになっている下顎に残った筋肉が蠢く。

 滴る血液が粉塵によって白んだ床に赤い点を打っていく。

 

 それを、僅か視界の端にとらえられる程度に首と視線を動かす『赤錆』は『土を食む者(エレシュキガル)』を窺い、内心で嘲った。


 まるでC級のゾンビ映画だな、と。


(まあ、こいつら『土を食む者(エレシュキガル)』は人間を殺すことはあっても食う事はなく、例え噛み付かれたとしても増殖することは無いのが、唯一の救いと言えなくもないか)


 天月天の血液で赤く濡れた『土を食む者』の右手が大穴からこちらに伸びてくるのが見えて、しかし体ないしは気持ちが行動を起こさせなかった。ゆっくりと、そして乱暴に『赤錆』の頭が掴まれ、そのまま頭蓋が握りつぶされるのではないかと思えるような握力が頭を締め付けられて、自然と呻きが漏れる。顎が吹き飛び、反転した眼から血の涙を流す前の女性では絶対にありえない怪力で『赤錆』の体が宙に浮き、小さな体がぶらりと揺れた。万力で締め上げられるような痛みに歯を食いしばる『赤錆(ラスト)』は、それでも『土を食む者』を笑った。


「化け物が。欲に溺れて絶望し、人間という存在まで喰われてよくものうのうと……」


 自分の頭を掴む『土を食む者』のびくりともしない鉄棒の様な腕をつかみ返して、目一杯に力を込める『赤錆ラスト』は、届いているのかもわからない言葉を零す。


「なあ、教えてくれよ。人の道から外れて、『誘惑者(ネルガル)』の駒として動かされる『土を食む者(エレシュキガル)』――どうしてお前らの様な連中が、いまこうして、これからもこうして暴れまわるのか。社会を、世界を守っている我々『対を成す者(アウン)』が、どんな理由で敵視されなくちゃあならないのか…………! なあ、答えてみろよ、この化け物がぁ!!」


 そして、結束ひもで縛られた両足をぶらんと揺らして一気に勢いをつけると、最後の言葉と同時に強烈な蹴りを下顎吹き飛ぶ『土を食む者』の顔面に叩き込んだ。


「死んでたまるか……殺されてたまるかッ!」


 ぐちゃあ! と崩れた顔面部分から血飛沫が散るなか、何度も繰り出される蹴り。


「私は生まれた日も国も何も知らない! だからと言って、生きる事を諦める理由になるはずもない! 私には探したい人がいる! 見つけたい事がある! だから今こうして生きているんだ! 生きる事に絶望し、『誘惑者』に縋ったお前等とは、違うんだよ!」


 何度も、何度も、『赤錆』は鉄の棒の様な『土を食む者』の腕に体重をかけて顔面を蹴りつけた。相手は顎が吹き飛んでも痛がりもしない怪物で、幾らしっかりとした筋肉を全身に纏っているような『プロ』であっても、顔を蹴りつけた程度でどうにかなる相手ではない事はわかっている。けれど。


「くそやろうがあああああッッッ!」


 生きる理由が『赤錆』にはある。

 目的が、確かにある。

 だから、足掻ける。


赤錆(ラスト)』は親の仇でも見るような眼つきで『土を食む者』を睨みつけ、何度も蹴りつけていくうちに足は相手の吹き飛んだ顎にめり込んで真っ赤に染まった。上顎に残った歯によって所々傷も出来た。


 それでも。


 グチャリグチュリと顔面に叩き込み続ける蹴りでは、『土を食む者(エレシュキガル)』にダメージらしいダメージを与えられない。そんな事、今まで『土を食む者』を殺してきた『赤錆ラスト』だって分かっている。だけど止まらない。


 遂には羽虫でも払う様な軽い挙動で、『土を食む者』の後方に置かれていた安物のラックへと放り投げられた。


 ズドンッ! と。


 あまりに軽い挙動だったにも拘らず砲弾の様な速度でラックに突っ込んだ『赤錆』は、鉄パイプ製のラックを飴細工のように変形させた上で、壁に蜘蛛の巣の様な亀裂を作って動きを止めた。


 息が詰まり、呻く事すら出来ずに視界が黒く染まる。

 古い蛍光灯が瞬くように視界が明滅して、意識が闇を裂くように顔を出した。

 僅かの間気を失ったらしいことに気付き、その時には、目の前で『土を食む者』が両腕を振り上げた状態で力をためていた。


(叩き付けられるッ!)


 そう思った直後。

 組まれた両手がハンマーの様に『赤錆』の腹に突き刺さった。


「ぼげぇぇえええぇぇっ!」


 横隔膜を無理やり動かすような衝撃に胃液が逆流し、肺の空気が勝手に押し出される。内臓の位置がぐっちゃぐちゃに引っ掻き回されたような痛みと気持ち悪さ。鉄臭い液体をどうにか吐き捨てた『赤錆』は、朦朧とした意識のまま自分の体の丈夫さに悪態をつく。


(……体がラックに挟まって動けないこの状況で意識を失うことも出来ないなんて。どうせ殺されるなら、もっと簡単に死ねれば痛い思いもしなくて済んだものを。まあ、元を言えば、私が独断専行しなければこんな事には ―― )


 そこで、気付く。

 たった数分で廃墟のようになった部屋で、自分の足元に鈍器の様な銃があった。


 だが、気付いたところで何ができる訳でもない。

 鉄パイプ製のラックが自分の体を抱き抱える様に変形していれば、身動きなどとれることはなく、抜け出せたとしても両足を拘束する結束ひもが俊敏な行動をさせてくれない。そもそも今の一撃で、意識も肉体も痺れている。


 この状態で足元にある拳銃など点火スイッチの無い爆弾と一緒だ。幾ら強力な武器でも、使えなくちゃ意味が無い。


(オアシスを目の前にして体が動かない遭難者は、こんな気分かもな……)


 そんな『赤錆』の前で、『土を食む者(エレシュキガル)』はもう一度、腕をゆっくりと振り上げていった。


「ぎゅげぇぎゃ……っ!」


『赤錆』の歯がギリと鳴る。振り上げられる腕に視線が流れる。

 なのに体からは力が抜けていく。


(ちくしょう、これで終わりか。――イカレタ奴に拉致されて……挙句、仕留め損ねた『土を食む者(エレシュキガル)』に殺されるなんて……私の人生も腐ってやがる……)


 見ている風景がフェードアウトするように暗くなっていく『赤錆』。自分が目を瞑っているのか、意識が遠のいているのかさえはっきりしない意識の中で、彼女は最後に片頬を持ち上げていた。

 視線の先では振り上げられた腕が頂点を過ぎ、その細腕からは考えられない剛力(ごうりき)が組まれた両手に込められていく。


 死という形が姿を現し、振り下ろされる直前で、『赤錆』は思う。

 もうほとんど認識できない視界の内で薄ぼんやりと、化け物が恐怖をばら撒いているのをテレビ画面一枚隔てて眺める様な、確かに現実として怖いのにその恐怖が作り物じみて感じられる妙な感覚の中で――いや、だからこそなのか。

 いつもなら一瞬たりと思わないだろうことを、わずか考えてしまったのは。


(くそったれ……嘘でも私にプロポーズしたなら、守って見せろよ……)


 その瞬間。

土を食む者(エレシュキガル)』の両腕が振り下ろされた。


 迫る絶対的な死。

 一秒も経たないうちに、死が『赤錆』を食い殺す。


 薄ぼんやりとしか認識できない『赤錆』でも、あれが当たれば口から内臓を噴きだして死ぬだろうなという事は考えられた。それはとても人様に見せられる死に方ではないだろうなとも思った。死に様なんて考えたこともなかったが、一秒もない後に内臓を口から噴き出して死ぬその様子を考えて、『赤錆』は純粋に嫌だなと思った。


 それは。

 だから、なのか。


 絶対的な死は、圧倒的な暴力によって――――――――覆る。


「俺の嫁に、なにやってんだああああああああああああああああああああああぁ!」


 鬼の様な形相での大音声が轟き、百九十八センチの体に付くにしてもあまりに大きな拳が『土を食む者』を殴り飛ばした。


 ゴガンッ! という、巨大なハンマーで鉄塊でも殴り飛ばしたような重たい音が響き、最初の襲撃の時に空いた穴から吹き飛んでいく『土を食む者(エレシュキガル)』。アパート二階から電車にでも弾き飛ばされたような速度で土手へと飛び出していくそれは、なぜ殴られた部位が破裂しないのか不思議なほどの勢いだった。


 鉄パイプのラックに抱きこまれる格好で意識を朦朧とさせていた『赤錆(ラスト)』は、喰いしばった歯の隙間から炎でも吹き出すような天月天の横顔を見て(なんだ、生きていたのか)という思いを最後に、奇妙な安心感を抱きながら目蓋を閉じた。


 そのすぐ後、天月天のアパート周辺で震度四という揺れが、地震計に計測された。土手の一部に隕石でも落ちたようなクレーターが出来上がったのである。直径八メートル、深さ三メートルの大穴。川から流れ込んだ水によって小さな池が出来るという結果は事実、隕石の落下だろうと後の専門家たちの口を開かせるものだった。


 ♀+♂


 残り時間 十九時間〇七分

 その者は上空一〇〇〇〇メートルを歩いていました。

 地中にその者の落とし児たる者達を集めながら、ゆっくりと着実に。


次回 「 正常な異常 」

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