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十一話 「 一本の芯 」

 その瞬間、世界が鳴動した。


 空気中の分子という分子が全て遠くに押しやられ、ただのパンチが真空を作りだし、衝撃波は音速を超えて、あるいは空間自体に歪みさえ発生させるような、そんなどよめきを世界に広げた。


 (あま)月天(つきそら)

 体がやたらと大きい怪物じみた男が、確かに居た。


 天月天は椅子に縛られた『赤錆』の横に立つと、随分下にある『赤錆』の驚いている表情を見下ろして安堵の息を吐く。


「良かった、間に合った」


 だが、驚いた表情を作る『赤錆』の顔は、天月空の大きい体を見上げた状態のまま変化はない。


「お前は……天月天、なのか?」

「ん……? ああ、そうか」


 その疑問は当然だった。つい数時間前に見た時と、体の大きさが三倍ほども違っていれば、誰であっても困惑する。


「なんだか知らないけど、気付いたらこうなっていて。俺から見ても奇妙な感じだよ」

「いや、奇妙な感じって、お前。それにその腕と肩、大丈夫なのか。鉄筋が……っ」


 そこで思い出す様に気が付いた。自分はこの巨漢とマイナスな方向にずれ込んだ関係ではなかったか。なのにどうして心配する様な言葉を掛けているのかと。『赤錆』は舌打ちを鳴らして視線を逸らした。


「大体、さっきの言葉はなんだ。誰が、何時、お前のものになった?」

「うん、ごめん」

「それに、私が死ぬのをどうして邪魔した。私が死ななければ、世界は救われんのだそうだ。ならこの世界の為に、このちっぽけな能力しかないちっぽけな命くらい……」

「ちっぽけじゃない」

「は……?」

「『赤錆』はちっぽけじゃないよ。確かに体は小さいけれど、『赤錆』は俺が知らない大事なことを知ってるはずだ。なら、死んだらダメだ。死なれたら俺が悲しい。一緒に居られなくなるは嫌だ。寂しい」


 天月天は堂々と言った。すべてが嘘偽りの無い言葉だった。

 そんな言葉を受けて『赤錆』はやはり呆れる様な、あるいは苛つくような表情を明後日の方向に向けてしまう。


(……、一日で変われと言う方が無理な注文なのかもしれないが、まったく、本当になんなのだ、この巨漢は……いや、本人にも分からないんだったか、くそっ)


『赤錆』は考え、疲れた息を吐いた。物を知らない人間に物を考えろと言っても意味が無いように、自身の表現方法をこれしかしらない人間に表現方法を考えろと言ったところで無意味以上に時間の無駄だ。


(と言っても、このまますべてが丸く収まる事はないだろうな。『鹿角の男(ケルヌンノス)』がああ言って、周りに居る多くの能力者も私を殺そうと息巻いていたんだ。であればやはり……私が死ぬ以外に方法はないのだ)


 結論として、それが妥当な答えだった。

 今までの状況と『鹿角の男』の言葉を考えれば、答えに行きつく。今は『鹿角の男』の巨大な幼児を吹き飛ばした天月天の巨体と怪力に驚いて動きを止めているが、ピラミッドの周辺で仲間割れをしていた『AA』能力者だって初めは『赤錆』を殺す為に戦っていたはずで、『土を食む者』との戦闘開始直前に無貌の存在によって千人ほども数を増やした多くの人間が『赤錆』を殺せば世界を救えると判断したのなら、それは間違っている事ではないはずなのだ。民主主義的な思考によってという話でなく、『少女一人を殺せば世界が救われる』と誰も疑わない、あるいは疑えない状況が、答えを出しているという意味で。


 そしてそれは、殺される側の『赤錆』にも、十分に承知出来る事だった。

 だから『赤錆』は言うことが出来る。


「大事なことを知っている、か。確かに、私は『鹿角の男』より〝まとも〟である自信はある。他人を、以上に血の繋がりに特別な意味を見出すこと自体が我々能力者にとって妙な話ではあるが、それでも己を産み落とした者に対しての礼儀は必要だと、さっきようやく知ったからな。ただ、それでも。どうやら私は死ななければならないのだよ」

「死ななければ……? それは病気とかで?」

「そうではないさ。お前の様な者に納得できるか分からんが、私は〝神〟とかいう奴に選ばれてしまったらしくてな。お前も聞いただろう? 姿の無い声を。あの声の主が私を生贄に選んで、ほら、ここに居る連中がそんな私を『土を食む者』を退けながらぶち殺す役割を押し付けられたんだ。そして、私が死ななければ世界は滅んでしまうという。なら、私は殺されねばならんのさ。私一人の命と、世界の命運を天秤に掛ければ、どちらが重く、どちらを優先すればいいかなんて、お前にも分かるはずだ」


 言われて、天月天は口を噤んだ。随分と下にある『赤錆』の顔から視線を外して、大きく息を吸う。それからおもむろに自分の二の腕と肩付近に刺さっている鉄骨に手をかけると、一気に引き抜いた。体中に電流が走った様な痛みが爆発する。


「ッッッッッッッッ…………ったい! けど、痛くない!」

 そのまま天月天はしゃがみ込み、それでも随分下にある『赤錆』の顔に自分の視線を向けた。

「『赤錆ラスト』、これは今日、何度も言ったはずだ。俺は馬鹿なんだ。世界とか命運とか神様とか天秤とか生贄とか優先とか、何一つわからない。けど、こんな馬鹿でも一つだけ分かる事があるんだ」


 自分の大きすぎる手を、『赤錆』一人くらいならその片方だけで包み込めそうな巨大な手を動かして石造りの椅子をがっしりとつかむと、一気に。


「俺は『赤錆』が好きだ! 『赤錆』と世界なら、俺は『赤錆』を選ぶ!」


 ゴシャッと、石造りの椅子を握りつぶす様に破壊した。『赤錆』を戒めていた鎖が同時に引き千切られ体が自由になる。


 それが答えだった。

 何一つ間違っていない、天月天の正答だった。


 世界がどう見るかじゃない。

 社会がどう取るかじゃない。

 他人がどう言うかでもない。

 

 自分がどうしたいか。


 天月天はやはり馬鹿だ。

 世界の常識なんて何も分かっちゃいない。

 もしかしたらこの選択で本当に世界が滅んでしまうかも知れず、その所為で多くの人の恨みを買うかもしれない。それはとても怖い事だ。


 でも、そうじゃない。

 天月天にとって他人なんて関係ない。

 自分がやりたいようにやる。自分がしたいようにする。


 確かに社会はそんな連中ばかりでは回って行かないだろう。

 けれどこの場合、世界の命運と自分の想い人を天秤に掛けられて、それでも自分の選びたい方を選ぶのは間違っていると、言い切れるものだろうか?


 もしこの状況で世界を選んで世界が救われたとしたなら、あるいは救世主として祭り上げられる可能性はある。


 でも、自分の選択で想い人を殺してしまった世界で祭り上げられたとして、本当に心から喜べるのかと考えた時、その疑問に出てくる答えなど九割方決まっているはずだ。天月天に限って『だから』という事は万に一つもないが、それがこの世界の真実だという事は間違いない。


「それに、世界が終わっちゃうのと『赤錆』が居なくなるのは、多分俺の中で同じ意味だと思う。だから、自分から死ぬしかないなんて言わないでくれないか?」


 天月天はそう締めくくって困ったように顔を歪ませた。

 言葉を聞いて、その顔を見て、『赤錆』はパクパクと口を動かすしか出来なかった。

 馬鹿野郎ともふざけるなとも違う。何かは言いたいのに言葉が出てこない。


 これが、天月天。

 自分自身を見せつけるしか生き方を知らない男なのだ、と。


次回 『 刻限の刻 』

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