十話 「 嗤う緑 」
戦場の混乱は加速度的に拡大する。
はっきり言えばどっちもどっち。
はっきり言えば五十歩百歩。
はっきり言えば、ここにいる能力者は皆、過去に『土を食む者』を、殺しているのだ。
しかし。
混乱する戦場で何一つ変わらず、真実を知らされる前と同じ行動を取れる者が一人だけいた。
「いやはや、参った参った。参りました。まさかそんな秘密を暴かれるなんて」
巨大な金色の幼児の手に乗ってそれを操り、数十メートルの階段ピラミッドを突き進む緑色の男――『鹿角の男』。
「まったく、さすがは神と言ったところかな。我々の心を掻き乱して余りある情報を露呈させるんだから。まあ、とは言っても。秘密の暴露によって今の『土を食む者』は攻撃しなければ反撃もしてこない事が分かったのだから、一事が万事塞翁が馬ってやつかねぇ。人生の禍福を見極めるのは往々にして難しい」
言う間にも、数十メートルの高さがあるピラミッドを這いあがるように金色の赤ん坊を操り、周囲の殺し合いなど目もくれず、『鹿角の男』は全ての力が抜け落ちた『赤錆』の前に立った。
「さあ、終わりの時間だよ。『土を食む者』に堕ちていたとしても自分の母を撃ち殺した君が、最後は世界を救世する為にその命を使えるんだ。それはとても恵まれた事だよ。だから『赤錆』、救世主になれる幸運を胸に刻んで死んでおくれ」
それは優しささえ垣間見える様な言葉だった。
実際『鹿角の男』は微笑んですらいた。
そんな言葉に『赤錆』はぽつり、と呟く様に言った。
「その言葉ではっきりしたぞ、『鹿角の男』。やはりあのとき、貴官は私を見下ろす大人の中に居たのだな……私が、『土を食む者』に堕ちてはいても、自分を産んだ者に対して銃口を突きつけたあの時に……引き金を引き、無様に涙したあの時に、貴官は私を見下ろしていたのだな……それも」
瞬間的に頭が跳ね上がり『赤錆』の鋭い視線が『鹿角の男』に突き刺さる。
「私が母を撃ち殺した時、にやにやといやらしく笑っていたあの大人が貴官なのだな!」
ぎらつく視線で『鹿角の男』を斬り付ける様に睨みながら、『赤錆』は吠えた。
非常識な男は微笑んだままで三秒、肩を竦めて見せる。
「うん、そうだね。ぼくはあの時も今の様に微笑んでいたはずさ。『対を成す者』として初めて『土を食む者』を殺した『赤錆』へ、祝福を込めてね」
「違う! あの時の貴官の表情は微笑んでいたなどという柔らかさなんてなかった! あったのは人を殺した私が泣き崩れる様子を楽しむ、ドロリとした愉悦だけだ!」
「愉悦、か。確かに悦び愉しむ気持ちがゼロだったなんて言えない、けど――『赤錆』、君は一つだけ間違っているな」
一拍の間を置く様に『鹿角の男』はそこで言葉を切ると、椅子に戒められた『赤錆』へ顔を寄せて、サングラスの奥で目を細めて見せる。
「間違いなく君が殺したあれは、君を産んだ存在だ。だけど、君があれを殺した時、もう既にあれは人間ではなかった。『対を成す者』の、ひいては世界に生きる人類の、敵になった存在だったんだ」
とろりとした声だった。
侮蔑的な声でもあった。
だけど表情は穏やかだった。
言っている間も『鹿角の男』は微笑んでいて、他の誰かが見ればとても雰囲気の良い青年に映ったかもしれない。しかしそれが、『赤錆』にはねっとりとした、まるでミキサーにかけた糞尿の様な表情に見えていた。
「貴官は狂っているのだな。例え人ではない何かに堕ちた存在だったとしても、『土を食む者』は私達『AA』能力者の誰かにとっては自分を産んだ存在だ。……『土を食む者』に堕ちる人間は、それ以前に人生を投げ出したくなるほどの絶望を味わった者達だという。その絶望がどれほど深い物なのか、どれほど辛い事だったのかはわからない。だが、だがしかし。二百八十日間のあの幸福の記憶を感じた今なら、私にも分かることはある」
「へぇ、人を辞めたあんな化け物の気持ちを理解できてしまうなんて。『赤錆』、君こそ狂っているんじゃないか?」
「その言葉……だから、貴官は狂っているというんだ」
戒められたままの拳を強く握り、『赤錆』は改めて口を開いた。
「分かるか、『鹿角の男』。私達は愛されて生まれてきたんだよ」
「……なに?」
「私たちは二百八十日というあいだ、母の腹の中で一緒に生きる。それこそ一心同体で。逆に考えれば、『土を食む者』は私達に愛を与えられる者が、変化してしまった存在なんだ。あまりに辛い現実に打ちのめされて、その時『誘惑者』という者に誘われて……本来なら、その誘いは突っぱねるべきだった。辛い現実でももう一度自分の力で立ち上がるべきだった。だが、中には立ち上がれない者もいるのだ。だから私達『AA』能力者は生を受ける事が出来たのだ。……確かに『土を食む者』は危険な存在だ。化け物と言われても仕方なく、その力が表に流れ出せば酷い被害が広がっていただろうことも事実だ。殺すという判断が間違ったものでない事も理解している。だが! それでも私たちはその命を尊んで然るべきだったのだ! 貴官の様に、その死を嗤って良いものではなかったのだ!」
つまりはそういう事だった。後悔や懺悔にも似た、いいや、実際に後悔しながら『赤錆』は『鹿角の男』を責めていた。それは殺されなければいけない存在だっただろう。けれどその死は、誰に笑われていい物でもないのだと、『赤錆』は憤っているのだ。
何者をも侵しえない、尊厳という部分。
『土を食む者』に変貌していようと、そこだけは嗤ってはいけないのだと。
だが、それでも。
『鹿角の男』は微笑みを崩さない。嗤い続ける。
「この世界の生き物に精神的な価値だなんて……おかしなことを言うなあ。死んだらそれまでじゃないか。死ぬことに意味を見出して、悲しんだり、慈しんだり、尊んだりするのは、この惑星できっと人間だけだよ。『赤錆』、君は考え過ぎなんだ。『土を食む者』は化け物以上の何かになんてなれやしな ―― 」
「それでも誰かの母親ではあったんだッ!」
『鹿角の男』はその叫びを受けて疲れた様に肩を落とした。
「まあ、いいさ。ぼくはもう口を出さないよ。それに、時間もないしね。ついさっき十五分が経ったというのに、今ではもう残りなんて八分ほどしかない。この八分の間に君を殺さなければこの世界は終わってしまうんだ。今までさんざんに『土を食む者』を殺して守ってきたというのに、タイムアップで世界は終わりましたじゃ冗談にしても笑えないだろう。だからね、『赤錆』。無駄話はここで終わりだよ。世界の為、人類の為に、その命一つをささげておくれ」
そう言われ、くっと歯噛みする『赤錆』は、椅子に拘束されたまま鋭い目つきで体長十メートルに届く金色の幼児と『鹿角の男』を睨む。
「じゃあね、『赤錆』。もし輪廻があるなら、もっと幸せな家庭に生まれることを祈っているよ」
言葉が終わり、金色の幼児は巨木の様な若葉を振り上げた。
見上げる『赤錆』はそれを見て、わずか笑いが込み上がる。
(またこれか……)
一日に二度も殺されそうになっていれば、おかしさだって浮かんでも仕方はないのかもしれない。一度目は『土を食む者』で、今回は仲間だと思っていた『AA』能力者から。
(その上、叶えたかった願いも早々に自分の手でぶち壊していたと知れば、悔しさより惨めさが先に浮かぶ……ああ、くそ。本当になんだったんだ。何の為に私は……強さを求めていたんだ)
振り上げられた幼児の巨腕が頂点を過ぎ、次の瞬間、ゴゥッと凄い勢いで振り下ろされた。その光景を脳裏に焼き付けながら『赤錆』は最後にこんな事を考える。
(もう……いいか。考えるのも面倒だ。生きる意味すらぼやけてきた。私が死ねば世界が救われるなら、それは有意義な一生だったと考える事も…………)
――けれどもし。
彼がその言葉を聞いたら、どんな反応を返すだろうか?
例えば。
強く握りしめた拳一つで、『赤錆』の目の前三十センチにまで迫った巨木のような大きさの若葉と、全長十メートルの幼児をまとめて吹き飛ばしながら。
或は、こう叫んだずだ。
「俺の『赤錆』に、なにやってんだあああああああああああああああああっッッッ!」
次回 『 一本の芯 』




