四話 「 平和に飽く 」
爆音が響く。体を揺さぶる破壊音は粉塵と共に一気に部屋を埋め尽くした。
「!!!??!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ッ!?!?」
何が起きたと考える間もなく、砕けて吹き飛ばされてきたコンクリート片に頭を打たれ、瞬間的に思考を纏められなくなる天月天。
そのとき、彼の眼が粉塵の間に捕えたのは――。
反転して真っ白な眼球と、淵から溢れる血の涙。
高架橋下で顎をぐちゃぐちゃに吹き飛ばされた、
スーツ姿の女だった。
(さっきの死体? これで生きてるとか、半端ないな。生命力)
スーツ姿の女は声にならない声を上げながら天月天の頭を片手でつかむと、何の躊躇もなく真下へと叩き付ける。乗っていたウィスキー瓶と一緒にコタツの天板が砕け、そのまま轟音と共に天月天の頭がグチャリと硬い床にめり込んだ。それは止まることなく、何度も、何度も。
替わって、大量の粉塵に六畳間の大半が覆われ、『赤錆』の視界も塞がれていた。咄嗟の機転で転がる様に後ろへ下がり、キッチンに繋がるドアの陰から現状の把握に努めるが、舞い上がる粉塵で容易に確認はできない。
漏れるのは、危機への焦燥と己への苛立ちからの歯ぎしりだ。
(かもしれない、などという憶測じゃ済まされないか。死滅の確認が取れなかったのは言い訳にもならない。早く足の拘束を何とかしなくては、私が殺される!)
両足の親指どうしを結束ひもで縛られている『赤錆』は、直ぐに視線を流し台に向けて行動を起こす。
――だが。
(この家、どうして包丁がないっ!)
いや、それだけではない。
気づいてみれば、鍋やフライパンすらも見当たらない。
調理器具として置いてあるのがヤカンと電子レンジだけ。
(あの男、馬鹿か。包丁くらい置いておくものだろう!)
くっ、と奥歯を噛む『赤錆』。しかし、ここはキッチンだ。包丁がないとしても、缶切りやそれ以外といった刃物に似た何かがあってもいい。『赤錆』はこの状況を打開する為に、六畳間から破壊音が続く中で、役に立つ何かを探し続ける。
(早く、早く……! 何でも良い。私が自由になれる何かを見つけなければッ)
そんな時だ。
ぴん、ぽーん。ぴぴん、ぴんぽーん。
『赤錆』の焦りを塗り潰す様な、間の抜けた音が響いた。
さらにそこから、苛立った中年も後半に差し掛かっていそうな女性の濁声が続く。
「ちょっと、あまつきさんー? さっきから凄い音が聞こえるけど、朝早くから何をやってるのー? おばさん疲れてるから、静かにしてくれないと困るのよー。ねぇ、ちょっと、聞いてるー? あまつきさんー?」
ドンドンドンドンッ、と叩かれるドアと、「ねぇ、ちょっとー?」とひたすらに声を掛けてくるおばちゃんの声。
『赤錆』は舌を打った。
(くそ、わざわざ『土を食む者』を呼ぶような真似をっ!)
焦燥に炙られる『赤錆』がキッチンに視線を這わせて役に立ちそうな道具を探し続けるなか、扉が叩かれる音に釣られ、吹き飛ばされた顎から千切れた肉を揺らす女性――『土を食む者』が、床にめり込むほど強く叩き付けていた天月天の頭を掴んだまま、ぐぎっと首を向けた。
「あぎゅ、ギョオオオオオオオオ……」
顎を失った『土を食む者』は言葉にならない奇怪な声をその喉からしぼり出し、ピタリと動きを止める。作られた静寂の中、扉を叩く音がくっきりと姿を現した。
「あまつきさんー? 起きてるのは分かってるのよー。出てきて説明して頂戴ぃ」
ドンドン。ドンドンドンドンッ。
『赤錆』は焦り苛立つ感情を押さえながら息をひそめ、引き出しの中を覗き込みながら思う。
(表の女性は馬鹿か。自分から銃口を咥える様な真似をどうしてする。どう考えても皿を割った様なまともな破壊音じゃないだろうに。これだからこの国の連中は……平和ボケも大概にしろ。銃声を聞いて呆けたように突っ立っていたら簡単に死 ―― )
天月天が、『赤錆』の頭上を突き抜けた。
「――ッ!?!!??」
『赤錆』の手が止まった。
何が起きたか分からなかった。
破壊音が立て続けに響き、一つの大きな音に感じられた。
息を飲んで見てみれば、六畳間とキッチンを繋いだドア、それを建て付けた壁に大穴があき、その直線上の玄関扉が建てつけられていた壁が大きく崩れていた。重ねたウエハースに割り箸を突き刺したような直線的な大穴とでも言えば、わかりやすいだろうか。最初に破壊された窓ガラスの壁から、キッチンを通って、玄関口の壁へと風の通り道が開いたのである。
その事実に『赤錆』は息を飲み、それから数秒ほども遅れて、空いた大穴から中を覗き込んだおばちゃんが、その場で意識を失った。体のあちこち、特に顔から大量の血を流した人間が砲弾の様な速度で壁を突き破り、アパート二階の欄干へと背中から突き刺さる様に動きを止めれば、それが正常な反応かも知れない。
つまりは、天月天は投げ飛ばされたのだ。
アパートの壁を突き破る様な馬鹿げた勢いで。
『赤錆』の理性が現状を把握し、厳しく寄った眉根がさらに眉間の皺を深くする。
(あっけない。私を圧倒出来る身体能力があっても、所詮は人間か。そして――それは私も同じだな。こんな所で死ぬのか)
それが終わりの合図だった。
最後の最後だった。
天月天という砲弾によって開けられた、穴の向こう。
そこには、血の涙を流す真っ白い眼球の女性が、下顎の様子も気味悪く、下着姿の『赤錆』を見下ろしていた。
次回 『 形相 』