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八話 「 嘆きの淵 」

「ゥ、ん……」


 呻きがあった。

 まず飛び込んでくる。

 爆音、叫び、悲鳴。

 そして、瞼の裏からも分か強烈な爆炎が続く。


 ピラミッドの頂上で戒められた『赤錆(ラスト)』の瞼が上がる。 


 朦朧とした意識を押しのけて開いた瞼の向こう、ぼんやりとした視界に飛び込んでくるのは圧倒的な戦場。

 能力者と『土を食む者(エレシュキガル)』が臓物を撒き散らし合う地獄。

 街も道も車も住民もそこにあるすべて、何の別なく破壊されている。



 そんな状況を見せつけられて『赤錆』は困惑する。


「何だ、これは……?」


 気付くのは、そこが何故かピラミッドの頂上で、しかも自分が石造りの椅子に戒められている事。

 眼を動かしてみれば、まだ大量に存在する『土を食む者』の群れと、それを押し退け自分の方向へと駆けあがってくる『AA』能力者たちの姿がいる。

 

 意味が分からなかった。

 どうしてこうなっているのか。

 自分は地下施設の崩落に巻き込まれたはずではなかったか。


 しかし、何がどうなってこうなったのかは分からなくても、周囲の状況、『AA』能力者と『土を食む者』の激しい戦闘を見ればただ事ではないのは分かる。

 だから『赤錆』は考える。

 戒められている自分を、周囲の戦闘を、自分を目標としてピラミッドを駆けあがってくる『AA』能力者たちを。

 順に考えて出る答え。


「私を、救いに……?」


 だが――その優しい考えは駆けあがってくる能力者の瞳によって打ち砕かれる。


(ッ! 殺意、だと……?)


 しかも戦場を良く見れば、仲間であるはずの『AA』能力者たちが広げる被害から、動けない自分を守っているのは『土を食む者』だ。


(本当にどういう事だ……! 私はどうして敵に庇われ、味方に殺意を向けられている!?)


 混乱した。

 思考がまとまらなくなった。


 だから、叫んだ。

 確かめる為に、状況を見定める為に。

 必死に。


「教えてくれ! 何がどうなっている!? どうなったからこうなっているんだっ! 誰か私に教えてくれ!」


 直後。

 爆発があった。

 大地に隆起があった。

 樹木質の魚の群れが『土を食む者』を空中にはね上げた。 

 そしてその全てが、『赤錆』を巻き込む大きな被害として世界に出力されていた。


「ッッッッッ――!」


 けれど『赤錆』は傷つかない。

 その全てを受け止め、庇う存在がある。


土を食む者(エレシュキガル)』。


 しかも連中は確かめるのだ。

 反転して血を流す瞳ではまともな映像として捉えられてはいないのだろうに、気にするのだ。

 気遣わしげに、心配そうに、「怪我はない?」、と。

 振り返ってくれるのだ。

 言葉すら聞こえてきそうだった。


 複数の『AA』能力者からの簡単な説明としての言葉が、飛んでくる。


「それが理由だよ、おちびちゃん」

「お前はどんな理由か、神様という奴に選ばれたのさ」

「きっとお姉ちゃんは生贄で、生贄は殺されて初めて役に立つんだよっ」


 そして、その戦場で一番目立つ存在である巨大な幼児の手の平の上に乗った緑色の男が、腕時計を確認して締めくくる。


「結論として――世界の為に、ぼく達は君を殺す。君は気を失っていてどうなっているのか説明して欲しいのだろうけど、そんな悠長な時間は残っていないんだ。残りはもう十五分ほどしかない。突然の病死や事故で命を奪われる人間がいる様に、人が死ぬとき慈悲も説明も無いように、『赤錆(きみ)』の死もまたそういうものだと思って死んでくれ。ただ一つ言えるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()という事だけだ」


 言葉の間にも二つの勢力は鬩ぎ合い、しかし優勢と判断できるのは『AAアーツ』能力者たち。

 もう既に階段ピラミッドを数段を上っている連中がいて、直ぐにでも『赤錆』のもとへ辿り着いてしまう。


(なんだ、これ……一体何が、どうなって……ッ!)


 気を失って、目が覚めたら、自分が殺されれば世界が救われる状況になっていました。

 死ぬのは嫌ですが世界の為なら仕方ありません。

 だからどうぞ殺してください。

 私の命で世界が救われるなら本望です。


 ――などと、何の前フリも言える人間などいない。

 敬虔な宗教の信奉者だって、天使が突然殺しに来ればまず初めに「何故ですか?」と訳を聞くはずだ。


 拘束された体。

 敵味方が入れ替わっている状況。

 果てには、自分が殺されれば世界が救われるなどと、それではまるで中世の村社会が何の罪もない女を魔女として殺したのと変わりないじゃないか。


 しかもそれが何の冗談でもないという。

 ただの真実で、純然たる事実なのだと。


(私が何をした……殺されなければならない何かをしたとでも言うのか?)


『赤錆』は自分の拘束された手を見た。

 そこにあるのは『手中より生まれるものグラースプ・ザ・ワールド』という、手のひらに収まる程度の何かを生み出すしか能の無い、ちっぽけな力。


(何が『AA』能力者だ。こんな戒めすら解けないで……私はっ!)


『赤錆』は力を求めていた。

 それは自分の弱さを克服する為、力を求められる世界で戦う為だ。

『赤錆』は親を探していた。

 それは自分の両親を一目でも見れば、自分の弱さに説明が付くと思ったからだ。


 そして、それらは二つとも〝生きる〟という答えに帰結するはずだ。


 なのに。

 誰もが真剣に考えることもなく出来ている事が、『赤錆』という少女には果てしなく遠い願いの様だった。


 産まれた時から病気だった訳でもなく、生まれた後で障害を抱えたという事でもない。そういった人間からは五体満足で生きてるだけで羨ましがられる事かも知れないが、それでも、五体満足以上の力を要求される世界では、それだけでは足りないのだ。それ以上がなければ殺されるのだ。


(何かを手に入れる前に、何一つ手の内に収める前に、世界の為に死ねと言うのか……? 何だ、それは。何なんだ、この世界は。ならば私は、何故ッッッッッ!)


『赤錆』は拳を強く握りしめた。

 喰いしばった口角から血が流れた。


 或いは『土を食む者』との戦闘で殺されるのならまだましだったかもしれない。『対を成す者(アウン)』という小さな枠組みの中で任務という仕事中に死ねるのなら、仕事中に死んでしまったのだから仕方ないと思えたかもしれない。


 だが、この状況はなんだ。

 この状況はあんまりじゃないか。

 このまま死んだら理由が見えない。

 

 生まれた意味を求めるのはこの地球上で人だけかもしれないが、それでも意味を考えてしまうのが人間だ。ちっぽけな力だとしても普通には得られない特別な物を持って産まれて、表の世界の人間を陰から守るような仕事に付いていたら、無意識にも、自分には何かあるのだと思っても仕方はないだろう。


 なのに、結末はこれだ。


 今までさんざん任務中に殺してきた『土を食む者』に護られて、逆に仲間だと思っていた連中から命を狙われる。


 確かに『あなたの命は世界を救うためにあるのですよ』と言われて心躍らない人はいないのかもしれない。だが、それは不思議な力と大きな勇気、それから少しの愛が交差するようなアドベンチャーがあればこそだ。それらが何もなくただ死ねばいいとナイフを向けられて、好きなように切り裂いてくださいなんて言える奴がどこにいる!? そんな奴、どこかが壊れているに違いない!!


『赤錆』は見る。


 激化する戦闘の景色を。

(くそ……)


 爆炎吹き上がる風景を。

(くそ……ッ)


 自分の命を奪う為に仲間だと思っていた人間が駆けあがってくる光景を。

(くそッッッ!)


 そして、何もできないあまりに小さな自分の手を――だから。


「くそおおおおおおおおっ! 私は、私の命は、何のために産まれてきたっッッッッッッ!!!!」


 叫んだ。


 その、直後だ。


『――さて、三十分の刻限の内で半分が過ぎたぞ。さあ、約束の時間だ』


 唐突だった。

 全員だ。頭の中に無理やり音を押し込められた様な音声が響いた次の瞬間、誰かの記憶が直接、頭に流れ込んできた。


次回 『 二百八十日の記憶 』

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