二話 「 無貌に光る 」
乱暴な声がまるで死肉に集る蛆のようにそこらじゅうを埋め尽くしていた。
「ちくしょう、何だっていうん「こちらに負傷者がすぐに搬「だから! 今はそれどころじゃあああああああああああ「こちら『対を成す者』本部、埼玉支部聞「逃げ」こえますかっ?」そんなことわかっています! でも!」「手の空いた者、軽傷者「ぎゃぶらあああ」は『土を食む者』の討滅を「最優先にしているっツーの! これ以上被害を広げるんじゃぐぎゃぶく「く、そったれぇええええええええええええええええええええっ!」
混戦。
本部施設が無理やり地上へ持ち上げられたことで地上地下の両施設ともが崩壊し、そこに居た大半の人間は瓦礫や土砂に埋もれて死亡ないし負傷していた。その上、そこに繋がっていた通信網は全て寸断されて他者との連絡もままならない。かろうじて生き残った『AA』能力者も突然数百と現れた『土を食む者』に目を回すばかり。危険の排除か、負傷者の救護か。優先順位はどうしたらいいのかという混乱時には必ず定められているはずの行動順序さえ、個人の主義主張に揺れる始末。
あちらこちらで引火した自動車やバイクが爆炎と一緒に黒々とした煙を上げ、その炎に炙られる様に『AA』能力者と『土を食む者』の戦闘が赤く映るなか、『AA』能力者の青年が叫ぶ。
「おい! こっちに人を回せ! 『土を食む者』の排除が最優先だ! 救助にかかりきりになるんじゃあねぇ。元をどうにかしなけりゃイタチごっこだ!」
阿鼻叫喚で騒がしい中で叫ぶ男の前には、反転して白くなった眼球に血の涙を流しながら細腕を振るい、見かけからは想像もつかない圧倒的な暴力を振り撒く『土を食む者』が迫る。超速の移動と跳躍。崩れたビルの瓦礫に足をつけ、三角跳びの要領で男に蹴り振りかぶる。だが、男はその蹴りをに対して両腕をドロリと液状化させると、円形の盾のようなものを作り出し攻撃を受け止めた。『土を食む者』はその勢いのまま二撃目放とうとして――しかし。
「お前はもう動くなよ、化け物」
自分の両腕を液状化させ盾として攻撃を受け止めた男の腕は、攻撃後の隙を逃さず、『土を食む者』の体に己の腕を巻き付かせ拘束し、液状化した腕を目、耳、鼻、口から潜り込ませると一気に――ボンッ! と。破裂させる。能力者の青年は殺した『土を食む者』を見下ろして呟く。
「……くそ、きりがない。一体二体やれたからってどうなるってんペグッ」
直後。
ゴン! という衝撃が一拍。
青年の首は肉体からちぎれ飛び、瓦礫の壁に潰れたトマトの様なシミを残して転がった。
頭を失った青年の死体が遅れて倒れる。
その背後。
また新たな『土を食む者』がその剛力を振るっていた。
世界を彩る死・破壊・絶望。
さまざまな能力を持つ能力者と、極めて純粋にもかかわらず途轍もない破壊を齎す化け物の暴力とが嵐となり、崩壊した防衛省の敷地を徹底的に、周辺の地域に拡大して暴れ回っていた。
阿呆のように「なんだ、なんだ?」と顔を出す一般人も、そこら中を駆けまわる警官や消防局員も、世界に隠された異能を宿す『AA』能力者も、何の別なく殺される。呆然と立っている間に。助けてと叫ぶ間に。嗚呼と咆哮を上げて銃を撃つ間に。死ぬ。肉塊になる。道に転がり、公道を汚すゴミに成る。画面の向こう側、空想の中にある世界が目の前に姿を現したとき、例え喧嘩が少し強いだけの高校生が力一杯に拳を握っても、その拳は何も守れないどころか自分が死んだ事にも気づけない。
守るため、命を掛けて『土を食む者』と戦う『対を成す者』のメンバーは、叫ぶ。
――逃げてください。
――隠れてください。
――家から出ないでください。
今まで守ってきた命に向かって必死に。懸命に。全力で叫ぶ。
でも、
なのに、
通じない。
争いの声に、破壊の音に、誰かの悲鳴に、住民は顔を出して端末のカメラを向けてしまう。
隊員は「何故だ」と奥歯を噛んだ。殺される事が分かっているから苛立ってしまう。涙が出てしまう。殴りつけたくなってしまう!
広がる戦火と増える被害。
あまりに虚を突かれた襲撃に混乱し、なす術の無い状態に加え、他国や国内支部との連絡も取れない状況は冷静でいようとする心を否応なく荒立たせ、その上、言う事を聞いてくれない住人たちの行動が、今のひっ迫する現状をさらに悪化させていた。
これじゃ激化する一方だ――!
誰もがそう思い、けれど対策を誰もが考える暇もない状況で。
しかし。
その瞬間。
ズンッっっっっぅッッッッッッッッッッぅっッ! と。
空白は生まれた。
まるで巨大な手のひらを上から押し付けられているような、あるいは自分の質量が突然数倍に膨れ上がったような圧倒的な負荷が、その場にいる全員に襲い掛かったのだ。
方々で起きていた『土を食む者』との戦闘が一時的に止まり、爆発音や吹き上がる水の音以外が鳴りを潜め、それは戦場のただ中にあるにも拘らず奇妙な間を作った。
その、空白の空間に足音が響く。
かつ、こつ……かつ、こつ……。
それは、上空から聞こえてきた。
かつ、こつ……かつ、こつ……。
ゆっくりと階段を下りる様な歩調を刻み、段々とその存在を近づけてくる。
かつ、こつ……かつ、こつ……。
そして。
地球上の人間が空を仰ぎ見たとき、遂にそれは姿を現した。
一つきりの存在であって、地球上の全人類がその存在を目にできる不思議。
若者でも壮年でも老人でもない。
男でも女でも、鳥や獣や魚でも、まして虫や樹木や草花でもない。
正確には、目に映らないのだからそれさえも分からない。
姿を持たず、顔も無い。
無貌たる存在。
唯一語れる記号は、白を基調とした身なりの良い服装と、少し背の高い帽子。
そして、手に持っている様に見える一輪のチューリップだけ。
無貌の存在は上空数百メートルの位置で足を止めると、辺りを見回してポツリと呟いた。
「残念だ」
♀+♂
「残念だ……五千年以上の流れの中で暦の変化があったのか。異文化を疎み、他者との関係を争いから構築する鉄の子の特異性――やはり、太陽は砕けるか。助け合いに精神的報酬を感じ取れない種族ではないのだが……即物的に過ぎれば、快楽もまた下賤に落ちるということの表れか」
圧倒的な負荷がどこから発生しているのか、空を見上げる者達は気が付いた。
けれど、気付いて何が出来る事は無く、自分がいま何を目にしているのかも分からない。
ただ、見たもの全てが心に抱く感情は、たった一つ。
『 ―― 〝畏怖〟 ―― 』
無貌たる存在は、そんな人間たちを見下ろしてさらに呟く。
「この惨状を目にすれば、彼らの言う事にも一理くらいあると認めざるを得ないのか。鉄の子の性質は集団的生物の中でも特異であるものの、だからこそ小さくも眩い光はあったのだが」
落胆の色濃い呟きは溜息にとてもよく似た吐息で飾られ、辺りを見回す無貌の存在は、指を鳴らすような甲高い音をパチンと発した。
途端、周辺の瓦礫の所々がガラガラと崩れ、その下に埋もれていた『AA』能力者が十数名、シャボンの泡の様な膜に覆われて浮かび上がってきた。
しかし、それだけだった。
無貌の存在は生き埋めになった者を助けたわけではない。結果論だ。もし助けたいと思ったなら、地下施設の『AA』能力者と一般職員含めて七百名余りの人間全員を助けている。
ならば如何して?
無貌の存在に考えがあるからに他ならない。
「地表より上に存在し、存命の能力者はこれだけか……いや、これなら情けをかけるだけ無駄という事にならないか? しかし、私は彼らの短気さに折り合いをつけさせてまで、時を作ったのだ。であれば。無為な事かもしれなくとも、無意味に突き放すのは私の意に ―― ん?」
その時、無貌の存在は瓦礫から救い上げた能力者の一人に、目が留まった。
小さな体躯。赤茶けた髪に、ダボっとしたTシャツとショートパンツ姿の少女。
己の能力に不満を持ち、故に自身の親を探している『AA』能力者。
名を――『赤錆』。
無貌の存在は『赤錆』を除き、瓦礫から掬い上げた十数名の能力者を地上へと下ろすと、一人残った『赤錆』を興味深げに自分の足元まで移動させたのだった――。
次回 『 存亡に至る命題 』




