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四話 「 ぶち猫先生の苦難 」

「うにゃー」、と。


 超絶に唸れ、猫パンチ。

 

「もう、なんなの、にゃ?」


 テシテシと肉球を叩き付ける様に天月天(あまつきそら)の額を攻撃するブチ猫、の体を借りている『百獣疎通(コントローラー)』は、巨漢のぼさぼさ頭に乗りながら疲れた声を上げていた。


「何度、言えば、分かる、にゃ……っ?」

「ごめん」


 言葉に合わせてテシテシと天月天が叩かれているのは、迷路の様な地下空間の南方。各種商業施設が軒を連ねる区画で、主に嗜好品類が販売されている場所だ。政府から支給される安物の生活必需品を好みの物に買い替える為の店や、憩いを目的に作られた喫茶店や食事処、戦闘訓練ではなくスポーツとして体を動かす為の広場に、カラオケやゲームセンターといったストレスを発散させる施設もある。中には3Dプロジェクターを使った釣り堀さえあるから、下手な保養施設より楽しむという点ではずっと充実している。


 そんな『楽しむ』という事に特化した場所で、天月天は『百獣疎通(ぶちねこ)』と二人でいた。天月天の頭の上を陣取ったブチ猫が人間臭いため息を吐きだしているのは、彼の覚えが悪い所為である。


(『贈盗の杖』の奴め、自分の仕事を押し付けてくれちゃって……ニャーだって他に仕事があるのにゃっ)


 目の前には巨大な自動販売機。商品サンプルは飾られておらず、替わりにタッチパネル式の大型モニターが『――最新式3Dテレビ――』や『――冷温切り替え機能付き羽なし扇風機――』といった売っている商品を紹介している。


 と言っても、ボタンを押すとテレビや扇風機がそのまま取り出し口に出てくるわけではない。ID登録されたリングを認証させてからボタンを押すと引換券の様なものが出てきて、数日中に購入した物が自室に届くという仕組みになっている。地下という限られた空間に大量の商品を展示する為の工夫である。


 が、その販売方式に天月天の頭はついてこられないでいた。

 だから頭の上のブチ猫が繰り出す猫パンチは唸っているのだ。


(まあ『贈盗の杖』と『赤錆』の関係を考えればこの大男に抱く感情も分からなくもないけど、それにしたってにゃぁ……。直接戦闘担当だからって、裏方担当のニャーに施設の説明を押し付けるってドユコト? 幾ら階級なんて気にしにゃいって言っても、ニャーの方が一様は官位は上のはずなんだけどにゃー)


 ブチ猫はこの状況になのか天月天の覚えの悪さになのか、再び溜め息を吐きだしてから頭をゆっくりと切り替えていく。もう一度地下で生活する為に必要なIDの使い方を説明する為の深呼吸。この説明もかれこれ四度目だという事がブチ猫の小さな頭を苛んでいるが、それを言葉にしても意味が無い事を今までのやりとりから理解している小動物は、言いたい事を思考から締め出して口を開いていった。


「もう一度初めから言うからよく聞くにゃよ?」

「お願いするよ」

「まずIDは …… 」

 

 ♀+♂

 

 凄い落ち込み様だ。

 それが『百獣疎通(コントローラー)』の率直な感想だった。


贈盗の杖(チェンジャ)』の『AA』能力によって深い穴の底へ落とされた天月天は、しばらく、それこそ四半刻は穴の底で突っ立っていた。


 初めのうちは、その様子をつまらなそうに眺めていた『贈盗の杖』も、十五分が過ぎる頃には何も言わずその場を立ち去った。その際には、上官である『百獣疎通』へ、自分が『顔無し(フェイス)』に言いつけられた〝天月天への地下空間での生活の説明〟を丸投げする事は忘れないのが、ミニスカサンタコス少女のちゃっかりしたところ。


 その背中に尻尾を萎れさせつつ、『百獣疎通』は、それから更に十分ほど待ってから、足音も無く落とし穴へと近づいて行った。


 結果、出てきた感想が始めの物だったのだ。


 ただ、実際には落ち込んでいたわけではなかったのかもしれない。

 だって、落とし穴の縁に座るブチ猫に向かって、彼はこんな事を願えたのだから。


「教えてくれないか」

「なにを、にゃ?」

「『赤錆ラスト』とお話ができるように、足りない物を、知らないことを、出来るだけ沢山……これ以上嫌われるのは嫌だから――」


 その時ブチ猫は「ああ」と思い直した。


 知らない事が多すぎる自分は能動的行動で他人との関係を構築する事が極端に不得手だと理解し、だったらどうすべきかと考えた結果が、猫という小さな者に教えを乞うというものだったのだ。


 どちらかといえば昆虫の様なものだろう。


 自尊心をかなぐり捨てる訳ではなく、そもそもそういった感情があまりにも希薄な人間の、一と〇の羅列の末に最適解として導き出されたような答えの出し方。


 いうなれば、『反省はする。けれど後悔はしない』。


 そんな、一般常識の中では他者とのしがらみの中に埋もれてしまうような生き方を地で行っているのだ、と。


 落とし穴の縁から中を覗き込むブチ猫は疲れた様に髭を垂らした。

 例えばそう、他の表現を無視した、天月天を一言で表す言葉でもって。


「お前、清々しい馬鹿だと、言われたことはにゃいか?」


 納得の上の理解では天月天を知る事は出来ない。地球は丸いという事実を理解した上で、海の果てなどない事を納得するように、見たままの言動が全て裏表のない個人に繋がっているのだなと、ブチ猫はため息を吐きだしたのだった。


 ♀+♂


 直接商品の出てこない自動販売機の利用方法を天月天が理解できたのは、高機能炊飯器を三つほど購入した後だった。


 他にも、レジャー施設の利用になんでID認証が必要なのか、とか。

 リングには他にも色々な機能がついているからその説明、とか。

 個人の私室以外の地下空間の大よその場所は勝手に探索してもいいが、北区画の一部には近寄るだけで厳重注意される危険な所もある、だとか。

 任務に出動する前にはどんなに小さな約束もするのはタブー、だとか。

 個人の能力に対して批判をした奴は殺されても仕方ない、だとか。

『AA』能力者の発生原因と『土を食む者』の相対関係を個人的に調べると黒スーツに黒メガネのM○Bに似た連中に記憶を消される、だとか――etc。


 基本的な地下での生活に必要な情報から、それこそ根も葉もない噂話まで、ブチ猫は思いつく限りの話を天月天に聞かせた。生活面での説明は『贈盗の杖』から丸投げされていたから仕方ないにしても、噂話まで話してやる必要はなかったのに、思いつく限りを沢山。


 では何故、猫は自分の仕事にも戻らずぼさぼさ頭の上に体を乗せているのかと言えば。


『足りない物を教えてくれ』


 そう乞われたから。


 そして、この男を放っておけない、そう思ったからだった。


 好き嫌いの話ではない。

 その方が、『赤錆』にとって良い結果になると思っての行動だ。


(まあ、そうは言っても、生活面だけでこれだけ疲れるとなると、人付き合いなんて分野まで面倒見切れるかどうか分からないけどにゃあ……)


 さて、高機能炊飯器を三つも買った店から場所は変わって。


 一人と一匹は今、ここが地下だとは到底思えない『街の中の小洒落たテラスを再現するカフェ』に居た。


 にゃふー、と天月天と同じテーブルに着いて、高級猫ミルクをスプーンで飲むブチ猫。猫の手でどうやって持っているのか分からないが、器用にスープ皿からミルクを飲んでいく。途中で手を休める時にはナフキンで口元を拭くのも忘れない上品さだ。


「で、にゃ。ここまで話した事について何か質問はあるかにゃ?」


 猫の正面に座る天月天は、オレンジジュースの入っていたグラスを置いて、少し考える素振りを見せた。


「ううん、質問はないよ。猫の説明は分かり易いから」

「そうにゃ。――なら、他に何か聞きたいことはあるかにゃ?」

「そうだな……」


 天月天は上品にミルクを飲む猫の額を見つめながら、


「なら、今は一つだけ。いいかな?」

「ニャーに答えられる事なら」

「ええっと――何で戦ってるんだ?」


 瞬間。

 ぽかん、と。


 ブチ猫の体をどこかで操っている『百獣疎通』の思考に空白が生まれた。

次回『 組織の理由 』

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