三話 「 手中より生まれるもの《グラースプ・ザ・ワールド》 」
それは――この世に生を受けたなら、ほぼ全てに該当するだろう人間が知っていているもの。
文化や認知している個人の主観が混じり合い、それは魔術や超能力、法力や呪いなどの名前に置き換わる場合がほとんどだが、その名前に込められる主成分は大方に置いて一致する。
『不思議で怪奇な未知の力』。
それが『AA』だ。
『AA』とは本来、血によって発現する特異な物であり、精神の集中や神仏への祈り、心身の鍛練や不気味な魔方陣の中で呪文を唱えて悪魔と契約を交わす――といった方法で手に入れられる力ではない。
走る、跳ぶ、投げる、笑う、喋る、聞く、食べるといった、人間が元々持っている機能の一つとして、能力者に備わっているものだ。もし呪文を唱え、儀式を行ってる様に見える時があったとすれば、その様に見える行動が能力の行使に必要な手段だからである。食事に、『口を開けて、食べ物を入れて、かみ砕いて、飲み込む』といった作業が必要なように。
では、どうしてそんな不思議な力――特異な能力の行使の方法が表の世界に広がり、特には宗教内や悪魔崇拝などで『修行を重ね、呪文を唱えれば力は使える』と知られる様になったのか?
簡単だ。
今でこそ社会の裏側での生活を強いられている『AA』能力者だが、今のような社会の形が作られるより以前から『AA』という異能力を持った人間は存在し、『土を食む者』とぶつかり合っていたのだから。
そしてその戦闘を目撃した人間が自分たちにはない異能を畏怖し、憧れ、祭り上げて、自分たちもどうにかその力を手に入れようと格好ばかりを真似たから、現在の表の世界にもその名残の様なものが残っている。
しかし結局、『AA』能力は血縁に因る。真似る事が切っ掛けで自分の能力に気付いた人も、血縁的に世代を重ねた人物の隔世遺伝が原因だ。『AA』能力の殆どは遺伝する事の無い能力ではあるが、中にはそう言った事例もある。何せ五千年以上前からある能力だ。潜在的に『AA』能力者に突然変異する可能性がある人間は、現在の統計上、数百万人を下らないという結果が出ている。
だというのに、表の世界での認知度が最底辺だという事を考えれば、どれほど遺伝しづらいかが分かるだろう。
さて、そんな貴重な能力を持って産まれたにも拘らず(能力を持って産まれたことが幸せに繋がるかどうかはさて置いて)、自分の能力にケチをつける『赤錆』の力と言えば、
『 ―― 手中より生まれるもの ―― 』
〝手のひらで覆るサイズの物なら、重さや形を問わず好きな様に作りだせる〟という物だ。
この能力を使って『赤錆』は銃弾を量産し、普通ならあり得ない数の発砲を可能にしている。
天月天との戦闘で何十発もの銃弾をばら撒けたのも、この能力在ってのものだ。
一般的に考えれば、それは有用な能力の一つだろう。手のひらで覆うことが出来て、日常的に使用する物の一つの中に『貨幣』も含まれていると言えば、直感的にも理解してもらえるはずだ。
だが、手のひらで覆う事が出来るもので直接戦闘に役立つ物と考えた時、いくつの物が思い浮かぶだろうか。
それが天月天の様な大柄な男性であれば小型の折り畳みナイフくらいは手のひらに収まるだろうが、『赤錆』の様な小柄な女の子の場合に考え付く物はそうないはずだ。
あるいは大量の毒物だって生成する事は出来る。
だが、脳さえ破壊されなければ活動できる『土を食む者』に通用するかと考えたとき、すぐに答えは出るだろう。脳に直接毒を注入できるなら別かもしれないが、初めから心臓が動いていないのでは、例え血管に毒をぶち込んでも毒が回らない。
これがもし。
一般社会の中での話なら『貨幣』はもちろん、『食糧』だって生み出せるのだから生きて行く分には不自由はない。どころか遊んだままだって暮らしていける。
だが。
現在『赤錆』が身を置く組織で、それは必要ないのだ。
必要なものは、絶対無比なる圧倒的『暴力』なのだ。
下顎が吹き飛んでも活動するような『土を食む者』を圧倒し、表の世界が必要とする平穏を維持できるだけの強靭な力。
それこそ、『対を成す者』という組織の求める『AA』能力者の在り様なのである。
であれば。
『赤錆』の能力を考えた時、その強弱の答えがどちらに偏るかなど、正方形の面積の計算より簡単だ。
だから悩む。
己の存在意義を。
『鹿角の男』や『贈盗の杖』の様に、一目で異常さの度合いが分かるものではない自分の能力。周りを見渡せば自分より派手な力を持った連中がゴロゴロといるとなれば尚更に。
故に。
不思議に思う。
上に必要とされなければ『不用品』のタグをつけられる組織内で――どうして? と。
(ちくしょう……組織が私に求める『何か』とは、なんだ…………!?)
次回 『 ぶち猫先生の苦難 』




