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七話 「 信号 」

 ドッ、と粘土の塊を蹴った様な重たい音が鳴った。


 だが天月天はガードをしない。ふらつかない。


「……」


 代わりに『赤錆』の左腕も掴んでいた。


 ぶらん、と吊り下げられた格好になる『赤錆』。

 色の薄い赤い瞳が天月天を獰猛に威嚇し、瞬間的に襲う恐怖心を振り払うように天月天の脇腹に蹴りを突き込んでいく。


「くっ! 放せ、デカブツ!」


 言葉と一緒に二度三度と天月天の脇腹に『赤錆』のつま先が刺さる。寸分の狂いなく繰り出される蹴りは執拗に繰り返され、『赤錆』のつま先が天月天の脇腹を七度叩いた時に、白無地のシャツに赤いシミが広がった。


 それでも。


「お願いだ」

 真っ直ぐ過ぎる天月天の視線は曲がらない。

「話をしよう」

 

 だから『赤錆』は歯を食いしばってしまう。


「……ッ! 黙れ……そんな目で私を見るな! 私は強いんだ! お前の様な奴とは違う! 私は、私は一人でも――ッ」


 どちゅっ、と血の染みたシャツが生々しい音を上げ始め、休む間もなく繰り返される蹴りは見る間にシミを広げていく。


「だから放せ! 放せよ! お前の言葉なんて誰が聞くか! 今朝だってお前が邪魔さえしなければ何もなかったんだ。いつも通り『土を食む者』を倒して、私の日常は続いていたんだ! なのに、お前が、お前が現れたから! 私はこんな……!」


 そして数十度目になって、寸分の狂いもなかった『赤錆』の蹴りが、僅かにずれた。

 天月天にはその僅かな呼吸のずれが何か重大な物の様に感じ、ふいに言葉が口をついていた。


「ごめん」


「ッッッッッ!」


 瞬間、グギリッと『赤錆』の奥歯が痛々しい音を立てる。


「黙れよ! 私はお前の謝罪が欲しい訳じゃない!」

「ごめん。けどだったら、俺はどうすれば――」

「私に撃たれて惨めに死ねえぇっ!」

「ごめん。それは無理だ。『赤錆』と一緒にいられなくなる」

「だからーッ!」


『赤錆』は掴まれた腕の関節が肘から外れる事を覚悟で天月天の分厚い胸板の少し下、心臓がある場所へと全身全霊の蹴りを放とうと力を込める。両腕を掴まれてぶら下げられるような格好では体重を掛ける事は出来ない。だが、体に酸素を巡らせて生きている生き物なら、心臓への突発的な負荷は致命傷にならなくても一瞬の隙には繋がってくれるはず。絶対に一瞬でも出来た隙を使って鉛玉をぶち込んでやる。


 そう思っての行動だった。

 なのに。


「話したはずだよ。体を使うことで俺は負けたことが無いって」


 蹴りを放ったその瞬間に、天月天は『赤錆』の腕を放していた。

 不意に無くなる拘束。掴まれた腕を支点に蹴りを放とうとしていた『赤錆』の体は空中で溺れるように暴れ、背中から落ちた。ガハッ、と受け身を取り損ねて肺から空気が押し出され、それでも『赤錆』は後ろへ飛び跳ねる様にして天月天から距離を取ると、ごほごばっと咽ながら銃を向ける。


(気付かれていた? 何十回の脇腹への攻撃が布石だと気付かれていた、だと……!)


 ――何なんだ、こいつ!


 戦闘とは、一朝一夕で行えるものではない。中学生の喧嘩だって数を繰り返してきた奴が強いのは、誰でも考えが至る事だろう。それが戦闘、ひいては殴る蹴るの合間に策を挟む戦術を組み立てられる相手の動きを、完全に読み切るなど普通は無理な話しだ。

 だがそれを、天月天は難なくやって見せる。


「俺の体の性能は普通じゃない。異常なんだよ。けど俺は、この力のおかげで『赤錆』に会えた。今日初めて、この力があってよかったって思うことが出来たんだ」

「だからどうした!」


 トリガーに指を掛けたまま、『赤錆』は眉を怒らせた。


「私はお前となんて出会いたくなかったし、お前なんかに助けられたくもなかったッ! 私は一人でやれたんだ……ッ! 努力は、研鑽は、私を強くした! だからここに居る! だから生きている! お前の様な化け物に出会っていなければ、私の平穏は、叶えたい願いは、この苛立ちも――っ! こんな生き恥を晒すくらいなら、私はあのまま ―― ッ」


 そのとき。


 言葉が止まった。

 愕然として、思考にノイズが奔った。

 それは気付きたくなかった事に気付いてしまった証拠だった。


 そしてそれが――理由だった。


(そんな、まさか……私が?)


『赤錆』は天月天のアパートで殺されそうになった時、こう言ったのだ。


【 『殺されてたまるか』 『生きる事に絶望したお前等とは違う』 】、と。


 なのに、いま逆の事を言ってしまった。

 それは本心ではない。

 見栄や恥からくる一種の強がりだ。


 出会いたくなかったというのは本当かも知れない。

 出会わなければ、いつもと同じ毎日が送れたのも本当だ。


 けれど、助けて欲しくなかったという言葉は、果たして本当だろうか?


 あの時、『赤錆』が『土を食む者』に打ちのめされて、意識を保っていられなくなった時に思ってしまったことは、確かにちゃんとした意識が保てていれば考えなかった事だろう。

 だからと言って、考えてしまったことを取り消すことなど出来るはずがない。


『まったく……嘘でも私にプロポーズしたなら、守って見せろよ』


 それは、もっと単純化すれば、


『助けて』


 そんな言葉に置き換わるはずだ。


『赤錆』は自分が言ってしまった事に無意識では気付いていたのだろう。でも、その事を認めたくなかった。だから演習場で、偽物でも体が真っ赤に染まる程の返り血を浴びていた。天月天に訓練にも拘らず実弾入りの銃を向けたのも、その事実をどんな手段を使ってでも変えたいと思った『赤錆』の心がそうさせたのだ。


『暇があれば銃を乱射しているような「赤錆」』とブチ猫が考えた通り、人一倍の努力を重ねてきた『赤錆』だ。そんな彼女が、『AA』能力を持っていたにしろ表の世界の人間であった天月天に良い様に拉致されて、その言動に惑わされ、『土を食む者』に殺されかけた上に、白濁した意識だったにせよ普段の自分なら考えもしない事を考えてしまった。さらにはその通りに天月天に助けられてもいる。それは『赤錆』にとってどれほど悔しい事か分からない。


(私は……本当にッ!)


『赤錆』は正面に立っている天月天を見ながら唇を噛んだ。

 ぴたりと眉間に定まっていた銃口が普通なら視認できない程度、僅かにぶれる。

 だが――いいや、だからこそ。その普通を踏み越えられる人間は動くのだ。


「そうか。『赤錆』は死にたかったのか。けど、俺は『赤錆』に死んで欲しくない。『死んだ方が良かった』なんて、考えることだってしてほしくないよ」


 ぶれた銃口の動きに合わせて、天月天は『赤錆』へゆっくりと一歩踏み出す。

 その行動に『赤錆』も動く。


「うるさい、黙れっ! お前の所為だろうに!」


 ダンッ! と。トリガーが引かれ弾丸が飛び出した。

 しかし、当たらない。

 天月天は、距離は同じく、『赤錆』から見て九十度左に移動していた。


 もう一歩、足を出す。


「俺の所為、か。なら、その理由を話してくれないか? 俺は頭が悪い。話してくれなきゃ『赤錆』がどんなことを思っているか分からないんだ」

「分からないなら十分だ! 私はお前さえ殺せればそれでッ」


 さらにトリガーが引かれた。何度も何度も。十発、二十発、三十発、四十発と弾丸が撒き散らされる。通常なら弾倉が空になっている弾数をばら撒いて、それでも『赤錆』の銃からの発砲は止まる気配がない。


「でもそれじゃ、俺が『赤錆』と一緒にいられない」


 そんな嵐のように銃弾が飛び交う場所を、天月天は歩き続ける。


「俺は君と一緒にいる為にここに居るから。だから話しをしよう」


 一歩、一歩、ゆっくりと。銃弾が荒れ狂った嵐の様に飛び交う第三演習場を、『鹿角の男』の様に人知を超えたイリュージョンを見せるでもなく、最先端技術が生み出した道具で生き残るでもなく、一個人の肉体のみで、訓練を重ねた『赤錆』の戦闘技術を打ち壊して歩く。


「何なんだ……お前は」


 こんな状況で、こんな心情で、それが面白いはずがない。

 だから歪む。

 顔が、想いが、感情の全てが、ぐちゃりと崩れる。


「本当にお前は、何なんだ!」


 銃撃が止んだ。

 目の前に迫った巨体の男を見上げる様に睨みつけて、銃口を分厚い胸板に押し付ける。


 そんな『赤錆』を、天月天は真っ直ぐに見つめたまま、そっと想いを零すのだった――。


次回 『 難しい問い 』

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