四話 「 猫と少女と、新人巨漢 」
地下空間には三つの演習場がある。
市街地を想定したもの。
密林を想定したもの。
そして、障害物が何も無い、広原を想定したものだ。
『……ッ!』
その中の広原ステージに銃声が響いていた。
バンッ、ダダダ、バンダダンッ!
演習場は七百を超える高機能3Dプロジェクターで敵の姿をリアルに再現し、千を超えるセンサーで敵へのダメージを緻密に計算して、映し出される映像へフィードバックするようになっている。だから銃弾が敵の頭部へダメージを与えたと判定されると、映し出される敵の頭が弾け風穴があく。敵の返り血も実物の様に浴びる事になる。
『あああああああっ』
そんな演習場の広原ステージで。
両手に持つ銃を振り回して敵にヘッドショットを見舞っているのは、言うまでもない。
「『赤錆』、何があったかしらにゃいけど、もうやめるにゃ」
ピッコロの音色の様な声音が、マイクに向けられる。
「もう一時間。殲滅数もとっくに四百を超えてるにゃー。いくら偽物だからって、そんにゃに返り血を浴びたら『赤錆』の心が参っちゃう。体の怪我にも障るにゃよー?」
にゃあにゃあ、と。敵の血液が霧のように『赤錆』の立つ空間を覆い、その姿すらかすむ場所が映るモニターを特殊な声音の持ち主は見つめる。
でも『赤錆』に止まる気配はない。
『うるさい。邪魔をするな。私はもっと強くならなくちゃいけないんだ』
言い返されて、ため息が止まらない。ちらと足元に目をやれば、演習を強制的に終了させる赤いボタン。そこが演習場の管制室であれば不思議はない。これを押せば演習場内に敵を映し出しているプロジェクターは止まる。
(でも――これを押したら、もっと怒るだろうしにゃー)
猫はもう一度ため息を吐きだした。友人の怒りに油を注いでも良いものかと、長いひげを撫でて思案する。
(まあ、知らにゃいといっても、『赤錆』が口を割らにゃい情報を知らないだけで、『赤錆』が拉致されたってことは知ってるんだけどにゃ)
と考えてから、
「いにゃ、『赤錆』自身も自分が何で苛ついているのか分からないから、あそこまで荒れてるのかもしれないけどにゃ……」
と、言葉が漏れた。
情報統制局統合情報部情報課副長と三佐という肩書を持っている彼女は、別の場所に保存された本体から情報を引っ張り出しながら、まるい目の先のモニターの中で『赤錆』が躍る様に銃を打ちまくる様子を眺めつつ、耳の裏を掻いた。
(それにしても、『赤錆』が拉致って。いま考えても信じられにゃい。相手が『AA』能力者だったことを差し引いても、戦闘能力は基礎があってこそにゃ。暇があれば銃を乱射しているような『赤錆』を無力化して、尚且つ拉致するにゃんて出来るものにゃ? いくら拳一つで地形を変えられるような『AA』能力者でも考えづら ―― )
その時、管制室の扉が開いた。
「こんにちは。『赤錆』いますか?」
ん? と物思いに耽っていたブチ猫の頭に疑問符が浮かんだ。ふと振り返って見れば、入り口に頭をぶつけないように屈んで入ってくる大きな男。
天月天。
衛星写真で見たことがあるその巨漢の登場に目蓋が半分ほど下がった。
(また面倒にゃタイミングで……)
天月天は人一人いない周囲を見渡して、ぼさぼさの短髪頭に手をやる。
「誰もいないのか」
しかし、その呟きに。
「失敬にゃ。ここに居るじゃにゃいか」
ん? と、今度頭に疑問符を浮かべたのは天月天の方だった。
もう一度管制室を見回すが、誰一人として人間の姿は見えない。
「こっちにゃ、こっち。人間の声帯構造以外が人語を話すのに不適格というのは、人間の思い上がりにゃ。人間の科学がすべて正しいにゃんて誰が決めたのかにゃ?」
ああ、と声の発生源にやっと思い至った天月天は、その発生源に近づいて顔を寄せた。
「猫が喋るのか?」
「猫が喋ったらいけにゃいと?」
その種類にしてはスマートなブチ猫は肩眉を持ち上げるように言った。
天月天は二度ほど瞬きをくり返す。
「驚いたかにゃ?」
「いや、反省した」
「反省とにゃ?」
「ああ。あんたが言うとおり、猫が喋ったらいけない事はない。俺は自分の見識の狭さを知っているけど、今まで猫にあいさつしようとは思わなかった。だから反省してるんだ」
「お前は……馬鹿だと言われにゃいか?」
「猫は頭が良いな。確かに、よく言われる」
ブチ猫は言葉を失った。数秒、寄せられた顔をまじまじと見つめてから、ハッとした様子で天月天の大きな顔を肉球で押し返した。
「あんまり顔を寄せるでにゃい。これでもニャーは乙女にゃんだ」
「そうか、それは悪い事をした。牝猫だったとは気付かなかった」
「……メスネコって言うにゃ。なんか卑猥じゃにゃいか」
ブチ猫は顔をそむけてそう呟くと鼻から息を抜いのだった。
次回 『 表現年齢 』