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三話 『 度を越えた変態 』

 紫煙燻る地下の一室。

 顔の三分の一以上が薬品で溶かされたような特務一等佐官――『顔無し(フェイス)』は、自らが纏う苔むした色の外套とニットのワンピースという格好で、対面に座る巨漢――天月天を見つめる。緩くウェーブ掛かる鈍色の髪が、カサと音を立てるように僅か動いた。


「眼が気になった、か――何故そう思った?」

「何故と言われても。悪い意味で俺は人と違うから、わかりません。説明したくても言葉を知らない」


 ――ただ。


「今朝、俺が『赤錆』に銃を突き付けられた時に見えた目が、こう、なにか叫んでいるように見えて……もやもやした、手の中であっためたくなるような、何かを……」


 天月天は自分の手に視線を落とした。ぎゅっと何かを掌の内側に押し込める様に握る。


「俺には好きとか嫌いとか、愛とか憎しみとか、はっきり言って何のことか分かりません。でも、一緒に居たい、傍で生きたいって思ったことは間違いじゃないんです。そんな風に思う事すら初めてだけど、それでも俺は――俺にとって間違ったことをしていない。だから、この感情に〝好き〟って名前を付けたんです」


 真っ直ぐに、一直線に、直進する想いと眼差しだった。

 今の彼に、これ以上の表現を知らない。


 だから『顔無し』は僅か唖然としたように目を丸くさせた直後、

「あーッはっはっはっはっはっはっはっはっはっはーッ!」

 膝を叩いて笑いだしたのだった。


 それは。

 他人がどう思おうが、社会がどう見ようが、そもそも世界にどう評価されようが、一向に顧みず、如何でも構わず、それがどんな結果になろうが関係ない。


『これが俺だ!』


 そんな言葉だった。

 はっきり言えば、それは馬鹿や阿呆が口にする言葉だ。

 人間の社会に天月天の様な個性を受け入れるだけのキャパシティはない。


 他人が右を見れば自分も右を。

 他人が白と言えば自分も白と。


 それが社会だ。

 それが世界だ。


 それ以外を認めない。

 それ以外を許さない。


 そう言う世界で私達は生きている。

 そう言う世界で貴方も生きなさい。


 文化や風習、そして歴史がそう物語っているじゃないか。

 そしてそれは、つまらなく退屈だろうが、平穏な毎日が送れる選択だろう? と。


 だが、天月天は言外で、その視線で、己というものを叩き付ける。


【 寝言は寝て言え、馬鹿野郎 】


 天月天は異常だ。だから、こんな事が言えるのかもしれない。

 生きてきたこれまでに大きく驚いた事や震えがくるほど怖いと思ったこともない。

 学校に通っていられる時期には疎まれてさえいたし、今日の様に『赤錆』の様な女の子を拉致する事や、人の形をした生き物を文字通り木端微塵にしたときにも、人間らしい感情は何一つ湧かなかった。

 

 それでも。

 だから。

 

 天月天は自分を見せる事に躊躇いが無い。


『顔無し』は腹の底から笑っていることが他人にも伝わるような笑い声を上げて言った。

「それが、お前かっ!!!!!!!」

 見せ付けられた人間は呵呵大笑という返礼を持って納得する以外、取れる術などなくなってしまうとでも言う様に。


赤錆(ラスト)』が立ち上がったのは、この時だった。


「私は認めんからな!」


『赤錆』は、体中に包帯を巻いた状態で天月天に背を向けたまま床を蹴りつけた。ブルブルと体が震え、噛みしめた奥歯が耳に痛い。


「貴様など……貴様など……ッ!」


 そして踵を返した。


「『赤錆』、話しはまだ終わっていないのだが?」

「罰なら甘んじて受ける。だが一佐。私はこれ以上の恥辱に耐えられない!」


 一佐――他国の軍部で大佐に相当する上官の制止に従わずに出て行く『赤錆(ラスト)』。「一様、私はお前の上司なんだがなあ……」と、『顔無し』はその背中にため息を吐きだして煙草を灰皿に押し付けると、苔むした色の外套から新しい煙草を取り出した。煙草に火を着け、ふと眉を上げて天月天を見る。


「煙草はやるのか?」

「いえ、吸ったことがありません。吸う意味が分からないので」

「吸う意味、か。考えたことも無かった。……まあ、吸わんのなら吸わんでいいさ」


 紫煙をもわりと吐き出して、一度吸ったきりで火種を灰皿に押し付け立ち上がる。


「さて、話しは終わりだ。お前の部屋を紹介しよう。せっかくお前にこの施設を案内する人間を付けようと思ったが、さっさと出て行ってしまったからな。私が部屋まで案内してやる。有り難く思え」


 艶の無い古めかしい髪がカサリと揺れ『顔無し』は歩き出した。天月天も追うように立ち上がり、ソファーの後ろに置いてあった荷物を持って大きな体を猫背に屈める。短髪のぼさぼさ頭が、出入り口にぶつからないように。


 部屋を出て、迷路のように入り組んだ施設内を歩き回り、途中で国籍も年齢も性別も違う人間とすれ違った。中には三十センチほどの高さの宙を歩く老人や、シャワー直後の金髪の女が壁をすり抜けて顔を覗かせるなんてこともあった。そのどれも驚くべき事態のはずだが、天月天は驚かない。壁をすり抜けて出てきた女にぶつかりそうになっても、「ごめんなさい」と謝れる程度の状況判断力を維持したままだ。


 そのまま数分程度施設内を歩き、一つの扉の前で止まった。

 電子ロックが丸出しの、あたかも囚人を繋ぐための牢獄の様な扉だった。


「今日からここがお前の部屋だ」

 渡されるのは、カードでも鍵でもなく、一つのリング。

「なくすなよ。それにお前のIDが登録されている。通信機能付きのリングだ。身に着け方は自由だが、お前の指には……入りそうもないな。まあ、好きにしろ」


 天月天が荷物片手に部屋の前に立つと、銀色のつるりとしたリングに反応して扉が開いた。初めてホテルを使う子供の様に中を覗き込む。


「この施設内の物にはそのIDが必要になる。食堂で飯を食うにも、自販機で飲み物やチョコバーを買うにも、トレーニングルームの利用にもな。万一無くしても再発行してやれる物だが、無くすと面倒だから無くすな」

「分かりました」


 リングを摘まみ、手のひらに転がして、ジーンズのポケットに入れる。


「部屋の使い方は……説明いるか?」


 部屋は八畳程の空間にベッドとクローゼットにユニットバス。小さなテーブルや小さなテレビ。そして小さな冷蔵庫の上には何故か黒電話がある部屋だった。

 それらをざっと見回した天月天は、自分の胸程にある『顔無し(フェイス)』の顔に視線を向ける。


「いえ、必要ありません」

「そうか。なら私は行く。任務があるときは連絡を入れる。それと、この施設内をよく歩いて覚えておけよ。――私たちはご主人様の許可なく外には出られない繋がれた犬だ。限られた世界は知り尽くして損はない」


 では、お前の働きに期待する。そう言って『顔無し』は天月天に背中を向けた。

 天月天もそのまま部屋に入ろうとして、しかし『顔無し』を引き留める。


「そうだ、一佐。『赤錆』がどこに居るか分かりますか?」


 引き留められて体半分振り返る『顔無し』は嫌らしく口角を持ち上げると、鼻を鳴らして笑ってみせた。


「知らんよ」


 かつこつとロングブーツの踵を鳴らして再び歩いていく背中。

 天月天は視線を部屋に戻して、息を吐いた。


「まずはシャワー、かな。それから探しに行こう」


 仕事のままだし汗かいてるし、と天月天はそんな事を考えながら部屋に入って、ベッドの上に荷物を放り出した。さっそく服を脱いでシャワールームへ。水が流れる音が聞こえ始めると、すぐに鼻歌を歌い出す。この状況と今までの経緯から考えれば、一般人にありえない精神構造だが、天月天は普通じゃない。だから鼻歌が漏れる。


(ああ、これで『赤錆』と一緒に居られる。うれしいなあ)


次回 「 猫と少女と、新人巨漢 」

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