十一話 『 当たり前のコト 』
今もこうして会話が続いているのは変だ――そう言った天月天の言葉は続く。
「状況を飲み込めた今だから分かりますけど、あんたは俺に状況を飲み込ませる必要がない。みんなに隠れて殺さなきゃならなかったあの化け物を見たことが問題なら、逆に時間を与えれば与えるだけ、俺が逃げる可能性も、暴れる危険もどんどん増えていくはずなんですから」
「うん、そうだね。案外理解しているじゃないか」
「なら、どうして?」
本当に分からない――そう言いたそうな天月天の雰囲気を察する『鹿角の男』は、呆れた様な息を抜いて肩を落とした。
「さっきの言葉は取り消す、物分りが悪いな君は。いいかい、こういう場合の選択肢は大概二つだ」
人差し指をぴんと立てて、
「――この時間を使って逃げろ! と暗に示している」
次いで中指も立てて、
「それとも――ぼく達の仲間にならないか? という話に繋がっているか」
真緑色の男は、ピースサインの形になった手をゆるりと揺らしながら、サングラスの奥の視線を細めて問う。
「さて、君はこの話がどちらに向かっていると思うね? ぼく的には、正解のゴールに向かってほしいのだけれど」
言葉の終わりにパチン、と指が鳴らされた。
途端、若葉を持った身長十センチの金色に輝く幼児が、わらわらと『鹿角の男』の体を這いずり出でてくる。気付けばサンタクロースのコスチュームを着る『贈盗の杖』の手にも、ホームセンターでよく見るプラスやマイナスのドライバーがその存在を異質に輝かせていた。
天月天に向けられるのは、純粋無垢で単純な、ただの殺意。それは、対象を傷つけたい、壊したいと言った感情的な物でも、子供が蟻の頭を引き千切るような興味からでも無く、日曜日に町内会の決まり事で雑草を引き抜くような、授業中に黒板に書かれた文字をノートに書き写す様な、面倒臭ささえ感じるような揺るぎない義務感からの殺意。
「さあ、答えてもらうよ」
しかし。
天月天はどこまで行っても天月天でしかなく、鼻から息を抜いて簡潔に、そして平然に、殺意を向けてくる二人に恐怖を感じもせずに考え、言うことが出来てしまう。
「そう、ですか。はっきり言ってしまえば、あんたが求めている答えなんてどうでも良いです。だって、俺は『赤錆』と離れたくないだけですから。だから――あんたたちがその障害になるっていうなら、俺は障害の排除に容赦はしません」
ただ普通に。強烈にぶつけられる殺意に対して、信号は青になってから渡るという当たり前の常識を披露するように、天月天は淡々と答えた。そこに、感情のぶつかり合いはない。当人以外には事務作業的、機械的な応答のようにすら感じられる返事だった。
けれど、だからこそ。『鹿角の男』の口角は不気味な動きで持ち上がり、手に持った用紙を天月天に向かって付きつける事ができる。
「なら話は簡単だ」
天月天の目の前にあるのは、一つの文章。
【本日〇六一七ヲ以テ、天月天ニ防衛省秘密機関・『対を成す者』ヘノ配属ヲ任ズ】
見れば、その書類上で天月天は『防衛省勤務の公務員』という事になっていた。
「本当なら、こういった書類は一般的な秘密組織なら残さないどころか作らないんだけど、この組織は事実一般人には隠されていても、国家間、特には組織同士の横のパイプは太くてね。その際、こういう書類は何かと必要になってくるんだ」
緑色のスーツの胸ポケットから一本の万年筆型ボールペンを取って、書類と一緒に天月天に渡す『鹿角の男』。署名欄を指さしながら、顎をしゃくった。
「はっきり言って、我々『対を成す者』にとっても、人類にとっても、君の力はとても魅力的だ。腕一本でクレーターを作れる能力者は君くらいのものだしね。だから、君の力をぼく達に貸してはくれないか? もちろん、急な話だ。君の意見も十分に配慮するよう働きかける。それに、眠っている『赤錆』と一緒に居たいなら、ぼく達と来ることを強くお勧めするよ」
そして『鹿角の男』は緑色のサングラスの奥で笑いながら、
「まあ、それでも君が拒むなら、ぼく達は〝面倒事を引き込んだ『赤錆』〟と〝元凶である君〟を殺すしかなくなってしまう。正直な所じゃ、ぼくは君と戦いたくない。君に本気で殴られれば痛みなんて感じる前に死ねるんだろうけど、そもそも死にたくないからね――けど……」
と、ここで。
聞く人間によっては重さが変わるような響きを持たせて、『鹿角の男』は言った。
「ここに居る『贈盗の杖』は、『赤錆』ととても仲がいい。君がその書類にサインしないという判断を下して、ぼく達と戦う未来を選んだら、きっとぼく達は君に殺されるはずさ。そう簡単に死んであげるつもりもないけどね。それでも十中八九、君はぼく達を殺すだろうね。さて、ここで問題だ。今寝ている『赤錆』が眼を覚まして、彼女の友人である『贈盗の杖』を君が殺したと知ったら、彼女はどう思うだろうね?」
天月天の回答は早かった。
「嫌われる、と思います」
「それだけじゃない、君はきっと恨まれるし、憎まれるはずさ」
『鹿角の男』は組んだ脚に両手を乗せて補足する。
視線が交差して、しばらく。
手渡された書類に目を走らせる天月天は適当な所で視線を上げた。捉えるのは、未だに殺意を向けてくる『贈盗の杖』という女の子。『赤錆』の手は優しく握っているのに、自分に対しては鋭い視線を向けている。
天月天は『贈盗の杖』の視線、『鹿角の男』の言葉を受けて考えた。
無い頭を単純に働かせて、それでも一生懸命に状況の正答を探す為に考えた。
でも、彼には一つの事しか思い浮かばなかった。
だって、天月天は単純な馬鹿だ。
どんなに懸命に考えたところで、行き着く答えなんて一つしかない。
だから。
(やりづらい)
真剣な表情で問題に取り組んでいる(様に見える)天月天を見て『鹿角の男』は思う。
(良く言えば純粋。悪く言えば単純。こういう手合いが一番苦手だな、ぼくは)
腹芸を得意とせず、言葉や動作で相手の言動を制する『鹿角の男』の様な人間は、自分の気持ちを第一の行動理由に出来る直情型の相手が一番嫌いだった。
(理屈が通じない。状況に危機感を覚えない。動揺することが無い。勘違いしている人間も多いようだけど、腹芸に必要なのは胆力であって、理屈の隙間を埋める知識じゃない。彼みたいな人間の相手は所長の相手だと思うよ、まったく)
『鹿角の男』は、剛強という言葉が服を着て歩いているような上司の顔を思い浮かべて、内心で溜息を吐く。
「それで、サインするのか、決まったかい?」
「はい」、と答えは直ぐに返った。
「なら、聞かせてもらおうか」
そして、答えを待つ二人は天月天に対して臨戦の意識を強くした。
本当の所、『鹿角の男』も『贈盗の杖』も、八割方自分の死を覚悟していた。相手の言動にこちらの思考が付いて行けないのだからそれもしょうがない。今朝の戦闘風景を双眼鏡で眺めていた『鹿角の男』など、デコピン一発で頭蓋を吹き飛ばせるような相手に言葉が通じているのかという最初の一歩から不安でいっぱいだった。
だから、天月天から答えが返ってきたとき、逆に唖然としてしまった。
「サインします。うん、『赤錆』と一緒にいる為に必要なことなら」
この男がその気になれば自分達を殺すどころか、病院を丸ごと瓦礫に変えられるのに?
『鹿角の男』と『贈盗の杖』は、最後まで天月天という男を見定める事が出来なかった。
♀+♂
残り時間 十五時間四十五分
その者は上空一〇〇〇〇メートルを歩いていました。
帽子の上数センチをジャンボジェット機が通過しますが、世界は異常を感知できません。
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