《偏差値》神話の誕生
島嶼国家Nは《大戦争》以後、雨後の筍のように諸大学が創設されていった。
これらの大学は文部省により認可を受けた治安教育局という奇怪な出先機関の評価下に置かれて、現在に至っている。
Д特務教授は諸大学において学生の知性に偏りがあることを発見し、その偏りの根源を、大学入試試験時(概ね18歳から22歳)における受験生の学力に求めた。ここからД特務教授は人間の能力そのものを大学入試における《偏差値》によって区分することを提唱し、偏差値の劣る人間を抑圧して、より高等な偏差値の持つ人間を国家指導層の一員することこそ、新興国家Nの社会発展には必要不可欠な政策であるとした。
それではここでД特務教授の著作を覗いてみることにしよう。なお同教授は戦前の人種的優生思想の影響を受けており、そのため以下の引用文には《人種》という奇怪な専門用語が出てくる。(注:非常に滑稽だがこの用語に注目して読んでみよう。)
(前略)
偏差値七○ノ前後スル学生ハ畢竟国家指導ニ不可欠タル存在ニ有ル事論ヲ俟タズ。彼等ハ常ニ創意工夫ニ富ミ、絶エズ情念ヨリ理性ヲ重ズ。逆境ニ強ク、努力ヲ怠ル事無シ。以後小生ハ彼等ヲ《白人種》ト称ス。
(略)
偏差値六○ノ前後スル学生ハ国家運営ニ於テ不可欠タル存在也。此者等ハ創意工夫ニ富ト雖モ、情念ヲ重ル事多シ。理性努力ヲ重ル事有レドモ、生来ノ知性ニ依リ、遂ニ其ヲ果ザル事多シ。小生ハ彼等ヲ《白人亜種》ト称ス。
(略)
偏差値五○ノ前後スル学生ハ国家ノ歯車也。創意工夫ニ劣リ、理性努力ノ研鑽ニ励ム事少シ。然モ、人畜無害ニ在リ、指導者ノ命ル所ニ於テ、堅実ニ其ノ任ヲ果ス。彼等ヲ《黄色人種》ト称ス。
(略)
偏差値四○ノ前後スル学生ハ国家ノ道具ナリ。彼奴等ハ情念ヲ重ジ、努力ヲ嫌悪ス。指導者ノ命ル所ニ於テ、其ノ任ヲ果サザル事在リ。然モ人手ノ少シ仕事ニ従事スル故ニ其ノ価値ヲ認メタリ。彼奴等ヲ《黒人種》ト称ス。
(後略)
この文面から分かるようにД特務教授は《偏差値》と能力に関連性があるとし、それらを一括して《人種》として区分している。この説は自身の能力の保証を欲していた多くのN国人民に支持され、彼らはこぞって偏差値七十前後の《白人種》を崇拝し、そして自分も《白人種》になるよう努めた。(注:そうタイムリミットは18歳から22歳なのだ。30歳になってしまえば《人種》を変えることはできない。)
それでもときには《偏差値》を詐称して、本来ならば《黄色人種》であるにも関わらず《白人種》として振る舞う輩も現れた。だが、大学の卒業証明書の偽造が発覚したことによって社会的制裁を浴びた。
こうして《偏差値》の重要性が加速度的に増していったのだが、 しかしここで大変面白く興味深い逸話が残されている。というのはД特務教授の《偏差値》が終生不明であったのだ。彼は《大戦争》前の帝国大学を卒業しており、当時は《偏差値》の概念がなかったのである。よって後世の学者はД特務教授の《偏差値》を統計学、社会心理学、歴史学等々の観点から推測しようと試みた。しかし、結局は結論に至ることはなかった。(注:当然だろう。)
結局はД特務教授の信奉者だった《白人種》の弁護士П氏の言葉でこの論争は終結した。
「Д先生の知性を鑑みれば、先生は偏差値七〇を超えていたに間違いはない。ただそれを証明する手段がないだけだ」(注:当たり前だろう。)
※
その後、N国において《大学》と《偏差値》の関係は切っても切れない関係となった。《白人種》や《白人亜種》を輩出する《大学》の卒業生たちは、こぞって自身の卒業校の《神聖化》に努めた。
「我が大学は名門である。国家の指導者の大半は我々の仲間によって構成されている」
「我々は選ばれし者である。それ以上でもそれ以下でもない」(注:「それ以下」だろう。)
中には《神聖化》に失敗して《偏差値》の急落した《大学》もあった。それまで《白人亜種》を輩出する名門としてしられていたQ大学は、様々な諸事情により《黒人種》を《排出》する大学に低落してしまった。《白人亜種》として名声を浴びていた頃のQ大学の卒業生は、母校の凋落に肝胆を寒からしめた。なぜなら、かつての名門Q大学を知らない世代からすれば、Q大学の卒業生は漏れなく全て《黒人種》レベルで見られてしまうからである。
このことに関連して言えば、《白人亜種》世代の(名門であったころの)Q大学卒業生であり、一流企業に勤めるЁ氏は次のような体験をしたという。それは彼が職場の新卒社員たちの噂話を耳にした時のことである。
「Ё課長補佐はQ大学卒業生らしいぞ」と新入社員Aは言った。(この社員は《白人種》である。)
「本当かい。《白人亜種》ならまだしも《黒人種》だなんて。頭の悪いЁ課長補佐の下で働くなんて嫌だな」別の《白人種》新入社員Bは言った。
「それにしてもよく、《黒人種》がこの会社に入社できたものだよ」新入社員Cも口を揃えた……。
これを聞いたЁ氏はただ愕然とした。自身が若者から、(本来は《白人亜種》であるにも関わらず)《黒人種》扱いされなければならない現実に絶望を見出したのだ。
ところがそんな《偏差値》社会であるにも関わらず、《偏差値》概念を逸脱した者たちがいたことも忘れてはなるまい。それはつまり《偏差値》上では《黒人種》であるにも関わらず、明らかにその能力は《白人種》と遜色ない人間も存在したという事実である。
こういった存在にたいしては概ね以下のような評価を受けた。
ひとつは《名誉白人種》として《白人種》社会に受け入れるという評価である。
今一つは、本来ならば《白人種》であるが、様々な事情から正当な《偏差値》評価を受けず、悲しくも《黒人種》と見做されてしまったという評価である。
いずれにせよこういう逸脱者はN国の社会からみれば圧倒的少数派であったために、社会問題を引きおこすまでには至らず、臭いものには蓋をするとでも言わんばかりに、《白人種》の間で無かったことにされた。
※
それからさらに時を経ると、《大学》の《神聖化》の動きはより激しさを増した。
まずはマスコミ業界に勤める卒業生たちが、自身たちが携わる週刊誌やテレビ番組において、盛んに母校の特集をとりあげて、称賛するという《神聖化》がはじまった。または教育業界に籍を置く卒業生たちが優秀な生徒に対して積極的に母校への受験を勧める《神聖化》も起こり、さらには一流企業の採用において母校卒業生を優遇するといった《神聖化》も横行した。
各大学の関係者は何かにつけて校歌と校旗を振りかざして自身たちの《神聖》を顕示して、他校に対して排他的に振舞う行為も見られた。たとえば名門大学(主に《白人亜種》大学)により構成される野球リーグに他校が加盟を打診した際も、その大学が《黄色人種》の大学であることを理由として(暗黙の裡に)拒否されている。
かててくわえて過激な《神聖化》も発生しており、それは治安教育局に賄賂を贈って母校の《偏差値》を操作してもらうというものである。これには、かつての『Q大学の悲劇』――《白人亜種》輩出校から《黒人種》排出校への転落――を防止することが第一の目標であると考えられる。または「あわよくば《黄色人種》排出校から《白人亜種》輩出校へと《神聖化》させたい」というより大きな目標も見え隠れしている。
ここまで来ると、もはや入学時の学力というよりも、その大学に属することそのものが《偏差値|》《・》の根源となっているということを、皆さまにはお分かりいただけるだろうか?
何にせよ、N国人民はこうして《偏差値》という呪縛から逃れられなくなってしまった。たしかに戦後のN国の歴史の中で《白人亜種》や《黄色人種》の首相が現れたこともあった。だが、彼らの政治行動一つ一つの評価に《偏差値=人種》の偏見が付きまとうことを避けることはできず、またその《人種》を理由に様々な侮蔑的扱いを受けることも少なくなかった。これは政権運営に多少なりとも影響を与えた。
さらには《大学》同士の闘争に発展することもあった。この現象は主に治安教育局により評価を受けて《偏差値》が上昇しつつある《黄色人種》大学と、逆に《偏差値》の逓減傾向にある《白人亜種》大学との間で顕著に勃発した。N国の憲法以下諸法律により暴行行為は禁じられていたので、彼らは主に言論をもって互いを罵りあった。
※
このようなN国の国家宗教にも等しい《偏差値》概念は、世界各地で恰好の研究材料になったのはもはや必然である。
S国出身のジャーナリストΘ氏もまた、N国の《偏差値》に興味を持った一人であった。彼の母国S国には《偏差値》の概念は当然ない。それどころか試験によって大学入学資格を取得すれば、あとは希望する大学に内申書を送って書類審査を受けばそれで足りる国家であった。進学する大学の志望理由についても(存在のしない《偏差値)ではなく)大抵は「立地」や「希望する専攻の有無」、または「先生のメンバー」であったので、出身校を重んじる風潮は希薄であった。(注:社交としてのOBOGの集まりはあるが、N国的な排他主義は取らない。すなわち《神聖化》を行わない)
Θ氏はN国での奇妙な《偏差値》の《神聖化》を取材のつどメモにまとめ、そして後年一冊の本を世界的に上梓した。そのタイトルは『《偏差値》神話の誕生』である。
内容として大きく第一部と第二部に分けられている。
第一部は今まで私が述べてきたようなN国の《偏差値》の発生過程とその《神聖化》を――時に具体例を混ぜながら――時系列的にまとめたものである。いわば序論にあたる。
そして本論にあたる第二部において、第一部を踏まえた上で、Θ氏の私見が述べられている。その訳文を以下に見てみることにする。
『N国は古来より読み継がれてきた「学問のすすめ」という書物がある。そこには次のような一節がある。少し長いがここで引用してみよう。
「かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。(中略)賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」
この文面から分かることは、昔からN国において《学ぶ=偏差値》という基準によって人間を分けるということが、もはや当然至極の真理として受け入れられて来たという事実である。先の引用では「賢人と愚人」、「富者と貧者」、「貴人と下人」といった二項対立が列挙されている。しかし《偏差値》の《神聖化》が進んだ現代N国社会ではさらに進んで、「左翼と右翼」といった政治的イデオロギー、「理知や情念」といった心の動き、「善人と悪人」といった人格レベルでの相違、さらには「社会的逸脱行為の評価」までも、この《偏差値=学ぶ》に基づいて評価・区分されている。これはまさに宗教的であると言わざるをえないだろう。
賢人で、富者で、貴人で、左翼で、理知的で、善人であるはずの高偏差値者――N国人民はこういった者たちを《白人種》と呼んでいる(原注:なんと忌まわしい!)――が、このような宗教的な《偏差値》概念を真理として受け止めてしまう――これこそがN国における《偏差値》の《神聖化》の帰結であった。
(略)
とりわけ私が深刻かつ滑稽に思われるのは上に挙げた内の「政治的イデオロギー」にまつわる部分である。N国における右翼人とは一般に次のような評価を受ける。一つは『黒人種』であるということ、すなわち《偏差値》が低い人間が右翼になるという。(原注:N国の某《白人種》精神科医によれば「学の無い者は情動的であり、冷静な視線を持たないから、破壊的な右翼になる」という。)しかしながら時には《白人種》でも右翼になることがある。このような状況については次の二つの見方があらわれる。一つが「彼は学びすぎて頭がおかしくなってしまった」という病人説であり、今一つが「奴は経歴詐称によって《白人種》を騙る《黒人種》である」といった詐欺説である。しかしながらN国人民の左翼は「リベラル」で「弱者救済」をうたっている者が多い。しかしながら彼らのいう「弱者」とはまさしく『貧者』や『下人』であり、すなわち『《偏差値》の低い《黒人種》』を指している。けれどもその《黒人種》は右翼であるので、《白人種》たる左翼は政治的に彼らを打倒しなくてはならない……。
この滑稽な循環体系からN国は抜け出すことができるのだろうか。そもそも解決策そのものはシンプルである。(読者諸君には容易に分かるだろう。)すなわち《偏差値》の《神聖化》を禁止し、《出身大学》と《人種》の関係性を打ち壊し、18歳から22歳で彼らの《人種》が決定してしまうという因習を止めさせるだけである。
けれどもN国の人民にはそれが分からないし、もし分かっていてもやろうとはしないだろう。そもそもN国の支配層は《白人種》および《白人亜種》であり、自らの特権を自分から投げ出すようなことは期待できないからだ。
ただしそれでも一つの希望も残っている。それはこの《神聖化》された《偏差値》に対して人民が革命を起こすことに他ならない。かつて《神聖化》された《王権》を倒し、市民社会へと移行した西洋のように……。
(略)
上に挙げた『学問のすすめ』の冒頭には『「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」』と書いてある。しかし恐らくN国人民の圧倒的多数は、この冒頭部分を見ないようにしている。そして我々としても理念としては分かっているが、いつでもこのN国民のようになってしまうということを肝に銘じておかなければなるまい。歴史を振り返れば「西洋人はアフリカ人や東洋人より生物学的に優れている」という優生思想があったし、「西洋文明は先進的でアジア文明は後進的」という西洋至上主義もあったのだから……。』
だがΘ氏の著作はN国人民には黙殺された。
今日でもN国人民は治安教育局の下、自分の能力を保証してくれる《偏差値》を求めつづけている。N国において、お墨付きが無くても自尊心を持つことのできる個人が現れるのは、一体いつになるのであろうか。
※
注:なお《偏差値》を付与する治安教育局とは、現行法における民間の「大学受験予備校」を指す。
文部科学省監督局資料課 課長代理 B.B 《名誉白人》
(了)