10話 未来を見据えて考える事は色々とあります
「上尾さん、昇進おめでとうございます!」
上尾篤は、メンバーに課長になった事を祝われていた。彼自身は昇格を目指していた訳ではなく、仕事を片付ける事を一所懸命にしていただけだった。
「期待してくれているところ申し訳ないが、これからは俺の判断が皆の行く先を左右する。だから、俺が間違った方向に行くなら殴ってでも止めてほしい」
上尾篤は素直に思ったことを言った。だが、メンバーはそんな彼をみて笑っていた。
「上尾さんが来てくれてから仕事が良く回るようになったのは事実ですよ。もっと自信持ってください。そして、これからも僕たちを支えてください」
上尾篤は、『これからも』という言葉に意識がいった。彼は息子の手術が終わって落ち着いたら、家族を呼んでも良いかと考えた。
◇
「先生、よろしくお願いします」
上尾夫妻は、手術室の前で頭を下げていた。
上尾篤は息子の2回目の手術が行われるので会社に事情を話し、有給休暇を取って病院にかけつけていた。病院に彼らは泊まることはできないため、息子が寂しくならないように朝早くから通う必要があり、妻の負担を彼は減らしたかった。また、長期休暇の取得にも限界がある為、地方ではできない本社との調整業務の仕事をスケジュールし、夕方には病院に寄れるようにしていた。
彼らは手術台に載せられて手術室に入っていく息子が不安にならないように「大丈夫だから」と笑顔で送り出した。これも彼らが事前に話し合って決めたことだった。
◇
「手術はとてもうまくいきました」
手術の結果を上尾夫妻は医者から聞いていた。
「最初の手術の時にも言いましたが、この子は大人になった時には、殆どの人が傷などはわからないですね」
上尾篤は、先生の言葉を聞いて家族を呼ぶことも出来るのではと期待した。
「上下の顎に影響が出ると思いますから、これからは歯科に定期的に通うことになります。乳歯が全て抜けて永久歯になったら矯正をすれば大丈夫ですよ」
上尾篤は、先生の言葉を聞いて違和感を感じた。
「先生、それはどれぐらいの期間の話なのでしょうか?」
「そうですね。永久歯の生え換わりは10才ぐらいで終わりますので順次矯正をしていけば、成人になったときに問題ないでしょう」
上尾篤は時間軸の認識の差に愕然とした。息子は成人になる前に最後の手術があるかもしれないと聞いていたが、今回の手術の後にまだ数年の治療が控えているとは思っていなかった。
◇
「まだ、しばらく家族一緒に住めないね」
上尾洋子は夫と一緒に病院を後にしながら呟いた。すると夫は彼女の手をそっと繋いできてた。彼女が夫の顔を見ると彼は優しく悲しそうに微笑んだ。
「治療が落ち着いたら、向こうで一緒に暮らそう」
彼女は夫の言葉に黙って頷いた。
◇
息子の様子を見るため二人は病院に一緒に行く生活をしていた。上尾篤はずっと休んでいる事はできない為、病院に行ってから本社に向かい、仕事が終わったら病院に戻るという生活を送っていた。
二人は今までの時間を取り戻すように会話をするようになった。ある日の夜、病院から家に帰ってきた時、上尾篤は妻から息子の事を含めて言われた。
「治療が落ち着いても、転校させるのは子供に取って大変なことだから、子供が中学生になったら一緒に暮らそうね。その時は確実に落ち着いていると思うから」
どちらかと言うと自分の意見を言わなくなった妻からの提案に上尾篤は嬉しくなった。
「そうだね。そういう考え方もあるね。それまでは苦労をかけるけど、一緒に頑張ろうね」
上尾篤は家族をいつ呼び寄せるか迷っていたが、妻から言葉を聞いて一緒に頑張っていけると思った。
「それでね。お願いがあるんだけど、子供が小学生までは私が頑張るけど、中学生になったら篤さんに頑張ってほしいの」
一緒に頑張っていくと思った途端の妻の言葉に上尾篤は困惑した。その表情を見たのか彼女は言葉を続けた。
「私は育児を放棄するって言ってるんじゃないの。ほら、子供も中学生になったら、私では力が敵わなくなるでしょう? 反抗期になったら手がつけられなくなるの。それに恋の相談も男の子の気持ちわからないし。あと、精通とか私にはわからないし……」
言った内容に恥ずかしそうにする妻をみながら、上尾篤はそのような事まで考えていたのかとビックリした。
こうして結婚記念日8年目は過ぎていった。




