一章
「…うっわ…。」
正直語彙力なんて存在しなかった。
ネットで見た事のある高級ホテルなんて比にならない。床は綺麗な大理石で出来ており、壁はローマ風のお洒落な感じなもので、見た事も無いような綺麗な花や歴史を物語る素晴らしい絵画が沢山飾られて居た。上には今の日本では滅多に見られないシャンデリアが僕らを照らしている。
ロビーに居るのは受付係らしき人のみで、館内はどこかから聞こえるピアノのBGMがその空間を埋めている。恐らくもう来た人は部屋に居るのだろう。
「アル、206号室と207号室ってどこだっけ?」
こんなに凄い空間で比較的平然と楽しんでるこいつはやっぱりアホなんじゃないかとつくづく思う。
「えーっと…多分二階じゃ───」
「すいませーん、206号室と207号室ってどこから行けますかー?」
こいつ後で絶対シバく。
「そちらの階段を昇っていただき、右に曲がっていただいた突き当たりに御座います。」
「あざっす!アルー、そこの階段登って右だってよー。」
「…あー、うん…はいはい。」
「ん?アルどしたん?」
「…いや、なんでもないよ。」
「お?そか。」
翔太は僕の鍵を持ったまま、階段を大股で登っていった。僕もその後を追う。
「…よいっ、しょっ…とぉ。っておいおい、アルおせぇぞ?」
「うるさいなぁ…。」
「ったく、そんなんだからモテないんだぞ?」
「それは関係ないよ!…多分。」
「ははっ、お前ほんと面白いよな。」
「…。」
そんな事を言いながら何とか長い階段を登った。
部屋にはもう人がいるのか、廊下を歩いていると左右から微かに声が聞こえる。
「あ、ここじゃね?206って書いてある。」
「隣は207って書いてあるわ。翔太、鍵ちょうだい。」
「あれ?俺もってたっけ。」
「うん。僕の鍵もってったよね。」
あれぇ?とか言いながらポケットに手を入れる。
「…あー、持ってたわ。すまんすまん。」
「んーん、ありがと。」
「んじゃあ、30分後にここ集合な。暇だし色々回ろうぜ。」
「はいよ。んじゃまたね。」
「おう。」
そう言うと、翔太は鍵をかざしてドアを開け、さっさと入っていった。
意外とここまで歩くだけでも疲れる。スマホを充電するくらいしかやることは無いので、少しだけ寝ることにしよう。
僕も翔太と同じように鍵をかざし、部屋に入った。
綺麗な部屋だ。一人が入る部屋にしてはやけに広く、少し落ち着かない。テレビや冷蔵庫、ポットなどの一式は揃っており、特に不自由もない。
玄関先の引き出しがある棚の上に荷物を置き、助けを求めていたスマホを充電し、僕は大きめのふかふかなベッドにダイブした。
…ぼふっ
めっちゃ気持ちいい。恐らく低反発何だろう。体がどんどん飲み込まれていく感じがする。
「…あぁ、寝そう…。」
自分が感じている以上に疲れていたのだろう。ベッドに入るなりそのまま僕は寝てしまった。
30分後にアラームをセットするのを思いっきり忘れて。
「…おーい…おーい、アル!」
ドンドン、とドアを叩かれ目を覚ます。
「…あ、アラーム…。」
寝ぼけ眼の僕はベッドから出てふらふらとスマホを取る。
時刻はもう定刻を5分ほどすぎていた。
「あー…。」
ボサボサの髪の毛も気にせず、僕はそのままスマホをポケットに入れ、玄関に向かった。
「おーい、アルー!」
「待ってー!」
多少フラフラしながらも靴を履き、ドアを開けた。
「ったく、寝てたのか?」
「うん…疲れて寝てた…。」
「寝過ぎると体がスッキリしないって言うし、さっさと行くぞ。」
「…うみゅ。」
…眠い。
だが、翔太に置いていかれて迷うのだけは勘弁だったので、何とか着いていくことにした。
「うぉ…やべぇなここ…。」
「すごい…。」
僕らはビリアード場に来ていた。まぁ普通の学生だったら本格的なビリアード場なんて滅多に行かないと思うし、僕らもビリアード場に来るのは初めてだった。
「俺、ビリアードとかWllでしかやった事無かったからすげぇ新鮮だわ…。」
「棒で白い球を突いて他の球を数字の順番で入れるんだっけ。」
「あー、それそれ。そんな感じ。まぁとりあえずやってみようぜ。」
ビリアード台は5つあり、一番奥の台にパッと見60代ぐらいの身長の高い老紳士が居たが、それ以外は全て空いているようだ。
特に料金も要らない、という感じっぽいのでとりあえず一番手前にある台を使うことにした。
様々な長さの棒が8~9本ほど壁にかかっており好きに使っても良さそうなので、僕は短めの、翔太は少し長めの棒を取り出した。
「えーっと…ここに置いてある球はどう使うんだっけな?」
「三角の枠みたいなやつそこら辺にない?」
「んー…あ、これか?」
翔太の手には黒色のプラスチックで作られた三角の大きな枠みたいなものが握られている。
「あー、それそれ。それを台に置いて。」
「おけ。」
「…それ反対。」
「あ、まじか。」
「それでおっけ。んでそこに球を詰めるんだけど…」
「置き方は分かるぜ。ボーリングのピンみたいな感じだろ?」
「置き方知ってんのになんで枠は反対向きに置いたんだよ。」
「…まぁ、一種のボケだな。」
「はいはい、始めますよー。」
「少しはツッコめよ!」
僕は翔太のボケなのかもよく分からないボケを容赦なくスルーし、三角の枠に球を詰めていく。
翔太は「まったくよー」などと言いつつ、何気に楽しんでいるようで、僕もまぁこの状況を楽しんでいた。
まぁ色々ありつつ球詰めも終わり枠を外して、白い球を定位置にセットする。
「よーし、じゃあ先行後攻決めるか。」
「じゃんけんでいいよね。」
「おし、いくぞー!」
「「最初はグー、ジャンケンホイ!」」
「あ、やった!勝った!」
「ぬおぉぉ、なんで俺はこういう時に負けるんだ…」
「よーし、じゃあいきまーす。」
「ほいほーい。」
僕は棒を持って三角形の形をした球の塊と向かい合う。そして棒を構えて白い球に狙いを定めて…
コンッ!
カンッ、カッ、カン…
白い球は勢い良く放たれ、一番の球の真ん中を捉える…事もなく、辛うじて一番の端っこに当たり、右側の球が少し崩れるぐらいで終わった。
「…あれぇ…?」
「え、そんな難しいもんなの?」
「いや、僕は力ないからこうなっただけかも…。」
「んじゃあ次俺行くわ。」
「うん、頑張ってね。」
翔太も僕と同じような体勢で棒を構え、白い球を一番のボールに向けて打った(因みに、白い球を打つ時は最初にその白い球が盤面にある球でもっとも小さい数字から順番に当てないとファウルとなってしまう。)。
コンッ!
カッ…カッ、カン…
白い球は真っ直ぐ行かないどころか、他の球に当たりまくって、最終的には白いボールが台の縁の穴に入ってしまった。
「うわぁ…これ難しいな。」
「でしょ?」
「力だけではどうにもならねぇつーか…。」
「やっぱ素人だから最初は難しいかもね。」
「うーん、どうやったら───」
カァンッ!
その弾けるような音に、僕達は思わずそちらの方を向いた。
部屋の一番奥。さっきまで棒を杖のように持ち、じっと盤面を見つめていた老紳士が、その容姿からは想像も出来ないフォームで球を打っていた。
正直僕達はあまりビリアードを知らないので、ただかっこいいとしか言えないが…そんなビリアードを知らない僕らでも「凄い」と思えた。
打ち出された球は物凄い速さで8番(色で分かった)を捉え、壁に跳ね返った後、見事に穴に入った。
「…すげぇ。」
翔太も相当驚いていたんだろう。口が思いっきり開いている。
「…翔太、あんな感じにやればいいのかな…?」
「多分そうじゃないか…?」
「出来るかなぁ…。」
若干、いや、かなり自信の無くなっていた僕達に、後ろから声がかかった。
「大丈夫かい?」
「えっ」
振り向くと、さっきまでの表情とは全く違う、優しい顔をした老紳士が立っていた。
恐らく、さっきの僕達の会話を聞いていたんだろう。もしかすると、自分のせいで自信を無くさせてしまったと思わせたかもしれないと、今になって思う。
「あ、あの!」
翔太が突然声を上げた。その顔は少し焦りもあったが、それ以上に目が輝いているように見えた。
「ビリアード、教えて下さい!」
何となく予想していた。翔太は初対面の人とも仲良くなれる人だ。こういう時に素直にお願い出来る勇気が僕にも欲しいとつくづく思ったりする。
「ふむ。いいぞ。」
一瞬考える素振りを見せたが、老紳士は意外にも快諾して下さった。
「ありがとうございます!!」
「あ、えと、ありがとうございます…。」
「いえいえ。それじゃあまず持ち方からだな…」
その後、僕達は老紳士にビリアードを教わった。終わった頃には時計が夕食の時間の5分前を指していた。