第七章 『仮面』の告白(2)
先生、ぼくは自分の気持ちに逆らえなくなってしまい、この手紙を書かせて頂きました。 何の関わりもない貴女になら寧ろ却って正直にぼくの気持ちを伝えられるでしょう。
ぼくは普段、強く、物に動じない生徒会長だと思われていますが、実際はそれはうそです。
時折風呂場などで鏡を見た時は自分の顔を何度も眺め、これは実際のぼくの顔じゃなく、ぼくが演じている仮面だと何度か強く叩いてみるのです。
全てのぼくの言動が嘘くさく、作られた物に感じるのです。
誰もそれに気付きません。ぼくの母親もぼくを突き放します。
ぼくは身の回りに若い同性を置き、戯れ合い、それにつかの間、喜びの念を覚えたようになります。
しかし、それも長くは続かない。
ぼくのねじくれぶりがよくお分かりでしょう。
なぜ、こんなことになったのか。
まるで理由は一つあります。それはぼくの罪悪感です。ぼくは幼い頃に一人の少年と仲良くしていました。
今の幻文部の部長と言えば、お分かりになるでしょうか。
少年には妹がいました。
ぼくは少年と出歩ける時だけが楽しく、その妹と一緒だといつもナーバスな気持ちになっていました。
ぼくは嫉妬していたのです。
三人で歩いていた時、ぼくは彼の妹と口論をしました。
その時、向こうからトラックが来るのを、知っていたのでしょうか。知らなかったのでしょうか。今となってはハッキリ言えません。でも、ぼくは彼の妹を突き飛ばしました。
妹は車に轢かれ、その場で亡くなりました。 彼は妹が好きでした。とても、とても、愛していたのです。
彼は、それ以来自分の殻の中に閉じこもるようになりました。妹が死んだと言うことすら、認められなかったのです。
ぼくは、なんてことをしてしまったのでしょう。ぼくは彼の妹とそっくりな人形を作らせたのです。特注でした。
それだけのお金は、持たされていたのですから。金だけなら、浴びるようにあります。
母親の配慮でしょう。離婚が決まったこともあったかも知れません。ぼくはその土地を離れることになりました。
最後の日、ぼくは彼にそれを手渡しました。
喜んでくれると、思っていたのですね。
でも、彼はその人形の包みを両手に持ったまま、虚ろな目でぼくを見ていました。彼にはもう昔日の面影は見られませんでした。
もうぼくを見てくれないのです。
もうぼくを見て微笑んでくれないのです。 それっきりでした。
それからずっとぼくは彼と逢えるように頑張りました。
どれだけのことをしても、どれだけの代償を払っても。
そして、彼と再び見えることができました。
でも、彼はぼくのことを覚えていなかったのです。それどころか、全ての事に無関心で、何事にも関わろうとすらしなかったのです。 ぼくは彼と関われることを望んでいます。
ぼくは彼と話せることを望んでいます。
それで、この仮面の痛みが離れるとは、思っていません。
肉付きの仮面となって剥がれなくなるとしてもです。
ぼくは彼ともう一度、本当の意味で見えたい。
手が震えていた。何なんだこれは。
一体どうしたって言うんだ。
ここには具体的な固有名詞は書かれていない。
だが、出てくる人が誰であるかは明確に分かった。
これは僕のことだ。僕と三島は子供の頃会っていた。しかも、僕の妹は死んでいて、それは三島が突き飛ばしたからだと?
容易には信じられない。
だが今までの話と符号するところはあった。 三島の努力が何なのかは具体的には分からない。ただ学校を作ったと言う花田先生が話したことを、この手紙は裏付けていた。でも、もっと事実を知りたい。
「先生」
「あたしゃ、これ以上のことはなんも知らんよ。生徒会長さんはたまに保健室に来ることがあって、その時にこっそり貰ったんさね。あの娘、ひ弱なところもあってね。だから、あたしになんも期待せんどくれ」
「ありがとうございます、こんな」
「ありがとうもどうしたもないよ。生徒会長さんとあんたは昔の知り合いさね。あの人が内心一番読んで貰いたがっているのはあたしじゃなく、澁澤くん、君だよ」
「はあ……」少し口籠もる。
「生徒会長さんとは一度話をしてみるべきじゃないのかね。過去の事を含めて、洗いざらいね」といって首を傾けて微笑んだ。
「でも、どうやって……」
「その日は、そう遠くないかもしれぬよ」と式場先生。「……なんちゃって」
茶目っ気のある先生だな。
最近一人の時間がめっきり少なくなった。
どこか出歩くときは、必ず部員四人が付いてくるようになった。何人か欠ける事もあったけれど、一人で、という事は滅多にない。必ず二人以上である。
やれやれ。
まあ仲が良くなったのは確かだろう。事実引っ切りなしにこの四人は話すようになっていた。
四月は、過ぎていく。
種村の家はあれ以来ウンとも寸とも言ってきていない。
矢川は委員長を辞めさせられ、クラス内では孤立していった。だが本人はそれを気にも留めていないようだ。
篠田と言えば相変わらずで読書を続けている。
「何読んでるんだ?」僕は聞いた。
「これはヴィトルド・ゴンブローヴィッチの『フェルディドゥルケ』ですの。こちらは『ポルノグラフィア』『トランス=アトランティック』『コスモス』『バカカイ』、そしてこちらが最近出た『ブルグント公女イヴォナ』ですわっ」と何冊も本を積み上げて指を差して説明する。
「へー、相変わらず読んでるんだなあ」
「全部日本語訳でしょ」由良はすかさず指摘する。
「んなっ、ゴンブローヴィッチはポーランドの作家ですわっ。由良さんは読めますのっ?」
「そ、それは……読めないけど」些か気まずげに言う。「重訳なりなんなりで……」
「んほーら、やっぱりですわっ! 重訳で読んでも意味がないって、由良さん仰っていたではないですかっ」
「あれはボルヘスの翻訳に限っての……むにゃむにゃ」と口籠もっている。
「んで、このゴンブロなんとかってのはどんな作風なんだ?」
「それはそれは変わった作風ですわ、えぐい作風ですのっ。『バカカイ』所収の『ねずみ』を読めばそれとなくわかりますわっ。ですけれども、一言でいうなれば『成熟の拒否』ですのっ!」
『成熟の拒否』。
何故かその言葉が耳に残った。
「ナチスにポーランドが侵略されて、亡命してもなお徹底的に成熟を拒否した作風の持ち主なのですわっ。大人に対して子供のままでいることですの。例えばボルヘスに向かって『ボルヘスを殺せ』と言ったりしてるんですわっ」
「それはまた随分と過激派だな」
「過激なんですわっ! わたくしは過激なのは大好きですわっ!」
と言ってどこから持ってきたのかCDプレイヤーのスイッチをオンにして、チャイコフスキーの『1812』を大音量で流し始めた。
「こらっ! うるさい! 読書が進まないじゃないのっ!」由良は叫ぶ。
「わたくしはむしろ、これがないと読書が捗りませんのよっ」
やれやれ、と思いながら僕は椅子に座ったが。すたっとその後ろに滑り込んできた奴がいた。
「これでお兄ちゃんと背中合わせだねっ」矢川だ。
種村が突進してきた。矢川はすかさず身を退けたようだ。
「種村が背中合わせ」と多少緊張気味なのが、後ろ側からだが伝わってくる。
言い争いで忙しく、遅れを取った由良と篠田が、ビックリしてこちらに近付いてくる。
「タネさ~ん!」と両手をぽきぽき。暗い炎が吹き上がっている。
「タネ、お願いだから、私に譲って」とこちらは反対に伏し拝んで頼み込む。
大分経って種村は立ち上がると、ぷいっと顔を背けて向こうへ行ってしまった。
ドタドタドタドタ。
二人が椅子を取り合って、その周りで乱闘騒ぎである。両手を掴み合って一歩も引かない。
仕方ない。
僕はもう一つ椅子を取ってきた。
「おい、二人で座れ」
「「はーい(ですわ)」」」
なぜだかよく分からないが、僕は二人の少女と背中合わせになって坐ることになった。ずっとその後は本を読んで過ごした。身体の接触が妙に温かく感じた。




