第六章 ワイズ・チルドレン(6)
「続きましては、わが部より幻想文学部に移籍した篠田十一子と百目鬼元恭の一戦です」リング脇で丸谷が続けた。
二人はすぐに対峙した。
ゴングが再び鳴る。
百目鬼は長身である。でかい篠田と並んでも引けをとらないぐらいだ。
「十一子先輩、あなたとお手合わせするのは初めてですが、存分にやらせて貰います」
「んほほほほほっ! いくら元恭君でも、わたくしに勝てる訳はございませんわっ」
美食部の連中は皆下の名前で呼び合うらしい。仲がいいんだな。
しかし、幻想が展開される場に及んでは、お互い容赦しないだろう。
「「幻想展開!」」
二人同時に叫ぶ。
たちまち篠田の姿は見えなくなった。
百目鬼の方はといえば、その周囲に小さな竜巻を発生させ始めていた。
「先輩、俺にその手は効きませんよ」と百目鬼は鼻で笑う。
「んほほほほほほほっ、わたくしの姿を捉えられてっ!」どこからか篠田の声が聞こえる。
百目鬼は己の周りに張り巡らせた竜巻の輪を更に広げていった。物凄い轟音が体育館中に響き渡る。
「んっ! んぬほほほほおおおっ!」
たちまち篠田の狼狽えた叫び声が耳を突いた。
発生した竜巻が、空中のある一点を目掛けて集まり始めたのだ。なんと百目鬼の発生させた風は篠田の気化した身体を捉えたようであった。
そのまま物凄い風圧が掛かり、地面に篠田は叩き落とされる。
元に戻ったようだ。すっかり伸びてしまっていた。
あっさり試合終了。
「もちろん、このまま四散させてしまうこともできました。しかし、元副部長を流石にそのようには扱えませんので」落ち着いた声で百目鬼が言った。
「奴のは<<風>>よ。そのままね。空間にある風をそのまま支配出来るの。駄肉には相性の悪い相手だったと言えるわね。駄肉も他にも幻想を使えるようになったらいいのよ。一つだけじゃ、とてもじゃないけど多くの敵に太刀打ち出来ないわ」
「おや、随分と親切じゃないか。見放すような態度をとっていた癖に」
「べっ、べつに親切になんてしてないわよっ。ただ、どうやったら勝てるか、戦略的効率的な方法を……」ぶつぶつと繰り返している。
僕らは四人掛かりで篠田を抱え起こし、パイプ椅子に座らせた。完全に気絶している。
これで勝ちゼロ、負け一。
次の勝負で、全てが決まる。
僕はリングに上がる。由良もその後から付いてきた。
「がんばれ、がんばれ! りゅうにいちゃん!」
どこからか、舌っ足らずな声が聞こえてくる。僕は驚いて周りを見回した。
リングを取り囲む人混みの中に小さな女の子が紛れ込んでいた。
呉智恵だった。
その両手にはなんとチアリーダーの使うポンポンの小さなやつが握られているではないか。
「智恵!」幼女を探す声が聞こえて来た。我等が担任教師である。
「智恵ちゃん、そんなところにいたら危ないよっ!」
僕は叫んだ。
「ちえ、りゅうおにいちゃんをおうえんするもんっ! そのとなりのひとも、おまけでおうえんしてあげる」
「こっ、このメスガキっ!」相変わらず沸点の低い由良が怒鳴り付ける。
「おい、由良、大人げなさ過ぎだぞ」僕は宥める。「それに、丸谷が待ってる」
「それでは一戦するとしようか」丸谷は笑って、フェンシングに使うフルーレを手に持つ。その先は人体を傷付けないよう加工されていたが、それでも当たったら痛そうだ。
「わたしのルールでやらせて貰うよ」と言って、もう一つのフルーレを僕の足下に投げた。
なるほど、篠田のあのやり方は丸谷の模倣なんだな。形だけはフェアネスを主張するらしい。
僕はフルーレを握った。
「ちょっと言うのは癪だけど」と丸谷は前置きする。
「幻想展開」
あれっ。
途端に丸谷の影が長く伸び始めた。黒い色がリング全体に広がって、ヒタヒタと満ちていく。
眼がおかしくなったのかと擦ったが、どうもそうではないらしい。大きな木の陰が、僕の足下を越えて、リングの外にまで浮かび上る。
途端に足が動かなくなった。見ると黒い影に太腿まで吸い込まれていた。
「龍、丸谷の幻想は<<樹影>>。自分の影を操って、その下に相手を封じ込めることが出来るの。矢川のと似ているけど、こっちは影があればどこでも展開可能。その代わり範囲が搾られる事がネックとなる幻想ね。しかも、その間本人が行動出来るのも限られてくる。なんかちょっと三島を意識してるわよねっ。勿論それだけじゃないわ、丸谷も複数の幻想を使える。もう一つの幻想は、<<時雨>>、これはねっ、痛っ!」
と、由良は太腿を押さえた。丸谷の攻撃だった。後ろ側からの不意打ちだ。
「うしろすがたのしぐれてゆくか」と丸谷は笑った。種田山頭火の句ぐらい、僕でも知っている。
激しい勢いでフルーレが、突いてきたのだった。
ビックリした瞬間に僕の背中にも痛みが走る。丸谷は僕と由良の間を数秒の間に何十回も移動しながら、攻撃を叩き付けてきた。
防ごうにも、足が動かせないのだから、出来る事は限られてくる。
「ぼけっとしてると負けちゃうよっ」丸谷は身体の速度を早め、影の上を残像を残しながら、僕らの目の前へと移動した。
「<<時雨>>は攻撃の速度を増す幻想よ。普通のっ! いたっ! 防御じゃっ! いたっ! 対抗できないっ! いたたたたああっ!」と由良は涙目になって叫んだ。痛みを堪えているのだ。
なるほど、丸谷と篠田が手を組めば、自分たちは攻撃を受けることなく、相手を完封することは十分可能だった。
幸か不幸かこの二人の戦いを見たことはないのだが……。
「さ、澁澤くん。君は幻想を見せないのかしら」丸谷は余裕の笑みで間合いを詰め、二人を何十回となく突いてくる。その勢いは篠田の比じゃなかった。
「い、いつぅ! 龍、今初めて言うけど、龍の幻想は四大元素が関わるのよ。サラマンドラ、ウンディーネ、シルフェと来たら、最後はノームだわ。これは『ファウスト』の中で出てくる呪文よ。龍はその四つを唱えてっ! そうすれば、ああっ、いたいっ!」由良は必死になって叫んだ。
それを聞く僕もとても普通じゃいられない。
「ノームよ、耕せ!」また言葉が自然と口を突いて出たのには驚いた。
しかし、ノームは土の精霊だ。ここは土などないではないか。
いや、あった。
これだけの観客がいるのだ。そして、校庭を通ってきている者も多い。靴の裏側に突いた土があるじゃないか。
それがぞろぞろと蟻のように体育館の床を這って、リングの上に集まってきたのだ。<<樹影>>が大きく広がっているにも関わらず、その影を間をすり抜けながら僕の足下に向かってくる。
それと共に気付いたことがあった。丸谷の動きが突然ユックリと見えたのだ。
それでも<<時雨>>によって倍加されているので、動画サイトで動画を見るぐらいの速度である。
何とか避けることが出来た。丸谷はちょっと驚いているようだった。そりゃそうだろう。さっきまで攻撃を受ける一方だったのだから。
以前、橘外女と戦った時と同じ現象が起こったのだ。
丸谷は何度も突きを繰り出すが、僕は何れも交わす。
「面白い」丸谷が微笑んだ。
「だいたい話が違うだろっ! 何だあの川村戦は、お互い殺す気で戦ったぞ」交わしながら怒鳴った。
「それは彼女たちの抑えが効かなかっただけではないかしら。わたしの責任にされても知らないよ」
「この戦いでも、僕らを殺す気か!」
「さあ、少なくともわたしはそんな野蛮なことはしないね。再起不能にはするかも知れないけど」
その瞬間である。真っ黒な樹影を突き破って、無数の砂の柱が天井へ突き上げられた。鯨が潮を吹くみたいだ。
ピンとリングの上に張られていた影は、穴だらけになり、緊張を失ってだらんと垂れた。
それとともに脚は解放され、僕らは自在に動けるようになった。
こっちのもんだ。剣を使ったことなど今までろくにない僕だが、この機に乗じてフルーレをめったやたらに丸谷に打ち込んだ。
しかし、相手もさるもの、巧みにかわしながら、隙を見て突きを放つ。半笑いになっていたが、丸谷はまだ余裕を保っていた。
「りゅうおにいたん、そんなやつやっちゃえ、やっちゃえ!」智恵が叫ぶ。
呉后一がそこに駆け寄り、智恵を抱え上げた。
「ダメじゃないか! 幾ら姪だっても今度という今度は容赦せん。お前の親に言いつけてやるぞ」ちょっと大人げなく怒鳴っている。 だが、そこに関心を振り向けてはいられない。
丸谷の突きは速さを増し、油断すると一撃を浴びるまでになっていた。
「澁澤、やはり君には何かがあるっ!」丸谷にしてはやや興奮して叫んだ。「君の幻想は、この学校の他の連中とはひと味違う! ただの妄想の具現化じゃないだろう、それは!」
「そんなのなにも分からんよっ! ただ、僕は守りたいだけだ!」
「守りたい? 何を?」
「僕はみんなを守りたい! この部活を! 幻文部を!」
驚いた。こんな臭いセリフを自分が吐けるなんて。
ただ本を読むだけの部活。
確かにその通りだ。
由良を除いて、そんな長い付き合いのやつらでもないだろ。
否定はできない。
にも関わらず、だ。
ここ二、三週間で、これまで覚えたことのなかった感情を、こいつらは与えてくれた。
これまで知りもしなかった事を知ることもできた。
大した繋がりじゃなくても、それだけは確かだ。
――なら、それを守ろう。
今、ここにしかないものを守ろう。
誰にも奪わせはしない。
フルーレが激しく空中で打ち合う。
「大分慣れてきたようじゃないか」丸谷は言った。
「慣れはしない、だがっ」
切っ先が丸谷の胸を突いた。先が尖っていれば致命傷にもなりかねない一撃である。
わああああああああああああああっ!
割れるような歓声が体育館全体にどよもした。
「参った、よ」
と言って丸谷はフルーレを地面に落とし、両手を挙げて華麗に降参のポーズをとった。
「完全な負けだよ。幻想も破られたからね。勝者、幻想文学部!」
どこにマイクを隠していたのか。審判の勤めもちゃんと果たした。
歓声は更に大きくなる。物まで飛ばされ始めた。
ここまで大騒ぎになるなんて想定していなかった。
由良の方を見ると、突かれた痛みで未だに身体を震えさせていた。
相手と直接戦える幻想を使えない由良にとっては、こう言う時何ら防ぎようがないのだ。
悔しそうに両手を強く握り締めていた。




