第六章 ワイズ・チルドレン(4)
二十四時三十分。盛大なイビキを掻いて篠田が熟睡している事を扉越しに確認すると、すぐに連絡を入れた。種村は例によって部屋に閉じ込められている。
由良はすぐにやってきた。歩いて数分で来れる距離だからな。
自室へ導く。
ダイニングから持ってきた椅子に座らせてやり、僕はベッドに掛けた。
「明日でも良かったんじゃない? だって私の番だし、一日交替って約束でしょ」
「今日聞きたかったんだ」ときっぱりという。
退院したのが日曜で、今日は月曜だから、火曜には本来ならば交代をしなければならない。
しかし、篠田は由良が入院中、連日入り浸ってたので、由良と交代できるか怪しい部分があった。 母さんの部屋へも自分の本を持ち込んでいるような状態である。
「えええっ、それって」また由良は頬を染めた。身体を捩らせる。
なんで、こんなに反応してるんだろう?
「由良、僕が聞きたかったのは、あの水族館で由良が使った幻想のことだよ」
「あああ」ちょっと気落ちしたようになって由良は言った。
「よく、分からないの。自分でも全く無我夢中で、今使えって言われてもとてもできない」
「うーん、そうなんだ。何か三島はえらく感心してるようだったぞ、由良のこと」
「ええっ、マジで?」
「うん、世界を没落させるとかなんとか」
「なんかいやーっ。三島はちょっとどうかしてるんじゃないの」
「どうかしてるんだよ、矢川のことも言ってた。もうクラスには居場所がないだろうって」
由良は暗い顔になった。本気で矢川のことを心配している様子である。
「澄香は学級委員長だけど、どうなったの?」
「ああ、それなんだが、今日――というか昨日確認したら、別の奴が学級委員長になってた」
「なにそれ酷いっ!」由良が立ち上がって、僕の首を締めた。
「ぐ、ぐるじい」
「あ、ごめん」と手を離す。
「はあっ、はあっ、ど、どうも、呉の差し金のようだ」
「呉がああっ! 私、談判してくる」
「あいつのことだ、聞きはしないよ」
と、その時だ。どこからか視線を感じた。普段、僕はそれほど察知能力に優れているということはないのに、この時は妙に勘が働いたのだった。
窓に掛けたカーテンの隙間から光るものを見付けた時はビックリした。
「篠田かっ!」
僕は走り寄ってカーテンを開いた。
矢川だった。じいっと息を殺してこちらを見ていたのだ。ちょっと鬼気迫る形相である。
しかも、そのフリルのついた服装が異様だった。
『不思議の国のアリス』のコスプレではないか。でも、驚いたことに黄色である。アリスと言えばブルーではないか?
「矢川っ」僕は窓を開けて、自室に入れた。「なんでこんなとこに! それにそんな格好を!」
「ごめん。お兄ちゃんが由良さんに耳打ちしてるとこを盗み聞きしたんだ。それとね、お兄ちゃんの家だから、そういう格好をしていくのは当然でしょ?」
「ううむ、訳が分からないよ。でもなんでアリスなのに黄色なんだ?」
「これがオリジナルだよ。テニエル卿はアリスをもっと子供向けにした『子供部屋のアリス』という本の中でアリスの服を黄色に彩色してる。でもやっぱりアリスはブルーもいいよね」
「澄香っ、大丈夫?」しばらく固まっていた由良が駆け寄ってくる。
「うん、全然平気、夜風が気持ちよかったし。美玖も出てみるといいよ。それにしてもやっぱり私じゃここの服に合わないよね。そうそう、三島さんなんかがぴったりじゃないかな。あの金髪の髪に服を着せたら、まさにアリスそのものじゃない? 凄く可愛いと思うよ」
うーん。女子力の高さには恐れ入るものがあった。
「お兄ちゃん、私全然構わないよ、学校中全部に嫌われたって、私、お兄ちゃんのことが好きだもん」
由良があたふたとし始めた。
「だから決めたの。明日から私もお兄ちゃんの家に泊まることにする」
えええええええええええっ! なんだって。
ただでさえ人が増えた家にまた新しい客人が加わるとは。
「だって、あの家にいてもずっと一人で居るだけで、辛い思い出しかないし。父さんは滅多に帰らないからね」
「それなら、私の家に」
「もちろん、美玖の家に泊まらせて貰うよ。『当番の日』以外はね」
「う、うん」由良は力無く頷いた。
色々ややこしいことになってきたな。
しばらくバタバタとしたが、なんとか二人を帰らせて寝ることにした。
翌朝になって。
「んむむむむっ!」
朝の食卓で、篠田は腕を組んで渋面を作っていた。
「だって当然でしょ、毎日交代だっていう約束なんだから、退去するのは当然よ」由良は指で差して難詰する。
「んううううむ、仕方ないですわねっ、でも、わたくしの荷物はそのまま置いていきますわよっ」
「本だけじゃなく服まであるじゃない。何なのよ。ここはそもそも龍の家なんだから、ちょっとは自重しなさいよ!」
「んですけれどっ! しょーらい的にはわたくしの家になるかも知れませんことよっ」と言って篠田はニヤリと笑った。
「なっ、なああによ、そ、そんなこと、天が落ちても地が裂けてもあり得ないんだからッ!」由良は叫んだ。
「あ~ら、わかりませんわよぉ。先に既成事実を作ってしまえば宜しいのですわっ(ハァト)そうなればもう由良さんも一切の介入が出来なくなりますわっ」
「何言ってるの、お兄ちゃんは最終的には私と暮らすんだよ」大人しく座っていた矢川があっさりと言った。
「矢川さあん、貴女えらい自信ですわねえっ。今まで手加減してきましたけどっ、争奪戦に参加されるようならっ、もう、容赦は致しませんわっ」
何の争奪戦だ。
「篠田さんじゃ、大きすぎてベッドの上ではダメでしょ」
なにげに生々しいこと言ったぞ。
「賢しらげな」また種村が口を挟んだ。どうも矢川が気に食わないらしい。
「んぬぬううううっ、人が気にしていることおっ」
「取り敢えず、もういいじゃないか、朝食が冷めるぞ」
「そうね、早く皆で食べましょ!」珍しく由良が応じてきた。
六合もご飯を焚いた。篠田が一番食べるのだ。味噌汁に鮭の塩焼きである。納豆は各自好きなように。由良と矢川は食べないようである。
食費は各自から供出という事になり、その意味では何とか助かっていた。金だけはみんな、僕よりも持っているようだったからだ。
親からの仕送りが待ち遠しいよ。
種村はもう食べ始めていた。僕はその肩を軽く叩いてやる。
「「「「「いただきますー」」」」」
こうして、今日もまた騒がしい一日が幕を開けた訳だ。
「なるほど、分かった。君たちのチームワークがうまくいっていないんなら、そういう手を使うのもありかも知れない」と丸谷三才。
「そこのとこ、何とか頼む、組み手はそっちの自由でいいから」僕は手を合わせた。
「それも君の望む通りでいいよ、それでも我が美食部が負ける訳はないんだ。でも、野良幻想使いを校庭まで誘い出して撃破した手腕、まことに大したもの。その実力、今度の試合でも出せるかしら?」
「ううん、分からないんだ。実は僕自身の幻想についても」
「己の事は他人よりも、もっと詳しく知っておくべきだ」と丸谷。
「ケッケッケッケッケッ」ヨシケンが鳴いた。
僕は他の四人には内緒で、こっそり美食部に試合ルールについて話し合いに来たのだった。丸谷は快く応じてくれた。
なぜ一人で来たのかって?
たいしたことではないのだが、このことを話すと怒る仲間がいたからだ。
「ところで丸谷はさ、なんで、三島が嫌いなのに、その三島が主導しているらしい幻想を使って僕らと試合したいと言い足したんだ?」
丸谷はちょっとばかり恥ずかしそうな素振りをして、視線を反らし、言った。
「ま、使えるものは使わなきゃ損だと思ったわけさ。それに澁澤くん」
とクールな目付きで再度こっちへ向けてきた。
「君が面白い人だと思えてきたからね」
ほとんど接点ないはずの人にこんなこと言われてもビックリするよな。
部室を辞して歩き出すと、何かがこちらに向かって突進してくる。
それは高く積み上げられた漫画だった。
驚いて身を躱わそうとしたが、もう遅い。
地面にひっくり返った。思わず柔道の授業で習った受け身をしたので、後頭部を打つことは免れたらしい。広げた両手の間に暖かなものを感じた。このシチュ、何度目だ?
それは幼女だった。僕の胸の上でちょこんと正座している。それでも苦しくならないぐらい軽い身体だった。
呉智恵。担任の姪である。
僕は智恵を胸から降ろすと、起き上がって、漫画を拾って纏めてやった。身体の節々が痛い。明日、大丈夫かな。
「ちえ、ひとめぼれしたの」何か呟いていた。えっ、なんだって?
「すべからくの幼女か、俺、しぶさわたつおみ、まあ覚えといて」幼女になら気楽に俺って言えますよ。
「うん、おにいたんはしゅべからくのつかいかた、ちってるの?」年上の男は『おにいたん』扱いなのだろうか。
「そりゃもちろん、すべからく~すべしだろ、バカにすんない」
「きゅーん」智恵の小さな頬が赤くなったが、これは小さい女の子にはよくあることである。
「それじゃ、呉、というか智恵ちゃんの叔父さんには何も言わないから、帰りなっ!」
と言って僕は漫画の山を預けると、さっと走り出した。見知らぬ幼女と歩いているところをうちの部活の連中に見られたらどんなことになるか、怖気が走るものだ。




