第六章 ワイズ・チルドレン(3)
幻文部に戻ると、独特な匂いが部屋中に立ち込めていることに気付いた。
そう、洋書である。
皆それぞれ出版後、何十年も年経たような横文字の本に読み耽っていたのだ。
それでも僕が入るとまた一斉にぞろっとこちらの方を見た。
ちょっと見たところ由良は英語、種村と矢川はドイツ語、篠田はフランス語だった。
「お前ら凄いなあ……」ほとほと感心した。
「龍くんは外国語はなさりませんのっ?」と篠田。
「英語ちょっとと……、フランス語が出来るようになればいいかなって」焦って答える。
「それならこれがオススメですわ」と篠田は読んでいた洋書を手渡す。「アルフォンス・アレーのコント集になりますのっ」
「あ、それなら確か図書館で『悪戯の愉しみ』を見たな」
僕は振り絞れる限りの知識を搾った。
「一作品が短いので読みやすいですわっ。入門篇にいかがですことっ?」
「ちょっと駄肉、なによっ。龍嫌がってるじゃない。いきなりパンピーに洋書を読めとか無理な話よ、まず英語の基礎の基礎から私が龍に懇切丁寧に教えて上げるんだからっ!」と手を掴んできた。部員数が増えて追い詰められたためか、随分積極的になってきたようだ。
「ふーん、ですかっ、由良さん」篠田はジト眼で見てくる。「わたくし、実は由良さんが英語しか出来ない疑惑を持っておりますのよっ。今まで英語の本しか持ってこなかったじゃありませんかっ」
「バカじゃない? 哲学をやろうと思ったらドイツ語は必須よ。それにフランス語ぐらい出来るんだから! ラカンとか、もじょもじょ……」と口籠もった。やはり得意不得意はあるらしい。
「澁澤、これ読もう」と種村が袖を引いてきた。
ドイツ語の本だ。こうなるとほんとげんなりである。
「なんだこれは……?」
「リヒャルト・ヒュルゼンベック『ビリッヒ博士の最期』。ダダイズムのトリスタン・ツァラの協力者」
ううむ、ダダイズムぐらいだったらそりゃ何となく分かりますが……。
矢川は詩集のような本を捲っている。これは読みやすそうだ。ドイツ語だけど。
「矢川も読めるんだ」
「少しだけ。ドイツ語と英語、後フランス語も。父さんが選んだ家庭教師に教えてもらったんだ」
それが少しかよ。しかも、どんな家庭だ。 「どんな内容」
「ブレンターノとアルニムの『少年の魔法の角笛』、ドイツの民謡だね」
「古るそうだなあ」
「元本は古いけど、これはレクラム文庫、日本で言うなら文庫本みたいなもの」
まあ、ちょっとは意味が分かった。
「種村、これならもっと古い版持ってる」この種村の口調には矢川への対抗の意志が感じられた。
「そ、そんな金どこで手に入れたんだ。それに、種村の家って……」危ない危ない。種村も皆の前で家庭事情の話はされたくないだろう。
「種村バイトで稼いだ」
意外すぎだ。
由良と篠田はなお交戦中である。
「大体あんた、スペイン語ができないでしょ! 知ってるんだから。こないだボルヘスのコレクティッド・フィクションズとか読んでたでしょ。ぷぷぷっ、笑える。あれの英訳はなってないとか評判よ。なのに読んでますってねえ」
篠田がカチンと来たようだ。
「んんんんんっ、よっ、読めますわっ、そ、それがどうしたっていうんですわっ、英語は参照するために使っているだけですのっ」
「へーっ、そういや前フアン・ルルフォの『燃える平原』、日本語訳で読んでたわね?」
「んぬぬぬぬうっ、由良さんのフランス語はどうなんですかっ」
「分かりますよーだ。私にわかんないことなんてないんだから!」
「大きく出ましたわねっ、んじゃっ、これ読んでますのっ?」
と、会議机の上に何やら紙の束をぼんと投げ出した。
「世界の十大小説素案」とタイトルにある。
ああ、「わたくしのかんがえた……」って前のやつはこれか。
由良は胡散いものを見るようにぺらぺらとそれを捲った。
「これが、何だっての?」
「わたくしはこの作品全部、原文で読みこなしたわっ」
「イマドキ、モームじゃあるまいし、こんなもん流行らないわ。私は作品への批評理論に基づいた読解しか信じないわ、ポール・ド・マンすら読んだことないでしょ、あっ、しかもこれ、ボルヘスがラインナップされてるし」
「読んでますけどっ、そういう批評理論こそ前世紀の遺物ですわっ、批評とは結局愛、ですわっ、最後に残るのは作品への愛だけですのっ」
「ぷぷぷぷぷぷっ、愛ってあんた、笑わせんじゃないわよっ!」
全く理解出来ない会話が進んでいたが、また取っ組み合いの大喧嘩になりそうな予感がし始めている。
「まあまあ、抑えて抑えて」僕は二人の間に割り込んだ。
「それにしても、皆、凄いんだなあ、こんな作家や批評家について、誰も知らないし、聞いた事もないよ。読書量も僕じゃとても追いつかない。そんなに賢かったら人生苦労しないんだろうなあ」
ふっと、由良が顔を伏せ、声を落とした。
「賢いからと言って、幸せなわけじゃないわ」
種村と矢川も顔を暗い顔付きになっている。篠田だけがぽかんとして周りをきょろきょろと見回していた。だが、こいつも親から離れて一人暮らしだ。親と疎遠な生徒か。
言っちゃ拙いことを言ってしまった僕の知的コンプを恥じる。
「ごめん、皆」
「龍が謝ることじゃないわっ! 話す必要のない話をし始めた駄肉が悪いのよっ」
「んなんですとおっ!」
と、また争いが再開されそうになったその時。
コンコンコン。
ノックの音が三回響いた。
はい、こういうのは僕の仕事でしょ。立ち上がってドアを開ける。
そこに立っていたのは背が高く、髪も肌も透き通って銀色をした少女。アルビノっていうんだろうか。珍しいな。同じ校内にいるのに、今まで擦れ違ったこともない。
「初めまして、新しく美食部副部長になりました川村二葉と申します」
「川村」と種村。
「二葉さんっ!」と篠田。
「十一子さん、ちょっと久しぶりです。いきなりの移籍驚きましたけど、そんなに楽しい部活なんですか? それに、あらあら、季菜まで」
種村はくるっと後ろを向いた。
「何だ知り合いか」
「はい、季菜とは小学生の時同じ学校で、友人でした。わたし、こんなんでしょう。だから、いじめられてたんです。それで同じく孤立していた季菜と仲良くなって。当時からこんな感じでしたけど。何故か中学だけ別々になって、高校は同じなのに声も掛けてくれない(笑)」と透き通った声でいう。
「種村過去は捨てた」随分と素っ気ない。
「捻くれ者なんですよ、でも実は結構素直なとこもあって」と川村はくすりと笑った。
「んほほほほっ、案外世間は狭いものですわねっ」篠田はノー天気に笑う。
「それで、何の用なんだ? ここに来るからには、何らかのやることがあるんだろ」
「澁澤君、でしたっけ。鋭いですね」前も誰かに言われたぞ。本当にそうなのかな?
「実はうちの部長が、一つ、幻想文学部の皆さんと試合をしたいと言ってまして」
「文化部同士で試合?」僕は声を上げた。 他の連中は総じて固まっていた。
また自分の軽率さが恥ずかしくなる。これは『仕掛けて』来られたということなのだ。
幻想展開を行って勝負をする。ずばりそういうことだろう。
「もちろん、命の取り合いをする訳ではありません。うちの部長はそのようなことは嫌いますので。やるのはただ純粋な勝負。それも観客を多く集めた上での、盛大なものにしたいとのことです」
「いかにも三才の考えつきそうなことですわっ」と篠田が嬉しそうに叫んだ。
「でもっ、そんなのって」と由良。
「わたくしの親友ですもの、恥ずかしいことはないですわっ、由良さん。それとも、んほほほほほっ、怖じ気づいたんじゃございませんことっ!」と口元に手を当てた。
「いえっ、やる、絶対にやってやるわ。これを機会に丸谷の鼻を明かす!」カチンときたのか一気に吹き上がった。野心的な光が眼に宿り始めた。
「大丈夫、問題ない」と種村。
「ルールは簡単で両部から三人ずつ主将・副将・三将を選び闘います。コートは体育館になります。美食部からは三才――いえ、丸谷部長・私、百目鬼くんになることはもう決定しています。余りお待たせしても申し訳がありませんから、明後日を予定しております。幻想文学部からも三人選んで下さい」
「それだとこっちも、もう決まってますわっ! 由良さんは一人じゃ戦えない能力ですので、除外っ。矢川さんも体育館では暗室を作り出すことは無理ですし、まだ落ち着いておられないようですから除外されますわっ。と、いうことはタネさん、龍くん、わたくし、この三人と言うことになりますわっ」
「ちょっ、なに勝手に決めてんのよ!」由良は焦った。
「んですけどっ、反論は出来ないですわっ」
「ぐぬぬ」由良は黙った。確かにその通りだからだ。由良に実戦能力はなかったし、矢川を前に出すのは危険すぎた。
「仕方ないわねっ!」ぷいと顔を背ける。
「お受けになる、と言うことで宜しいですね」と川村はこちらの意向を確認してくる。僅かに口の端が動いて笑みをなした。
本当に抜け目がないな。これは侮れない相手になりそうだ。
「ああ、受けて立つよ」
「それでは」と挨拶をして、川村は去っていった。
「種村、見送らないのか?」
「過去は捨てた」と前言ったことを繰り返した。
「矢川は、これで良かったのか?」僕は一応聞いてみることにした。
「もちろん、謹慎中の身だし」肩をすくめ、ぺろっと舌を出した。なかなかお茶目なとこもあるんだな。
その日は何事もなく終わり、下校前になって、僕は由良に耳打ちをした。
「今夜、家に来れるか」
話はしておかなくちゃならない。
破幻の瞳のこと、そして三島の言ったことも。部長で幼馴染みである由良にはそういうことは一番話しやすい。
だが何を勘違いしたのか、由良は背中をびくっとさせて顔を真っ赤にしていた。
「うん」と由良は答えた。




