第六章 ワイズ・チルドレン(2)
放課後になると、僕は矢川とともに部室に向かった。その途中で、
「なんで髪を切ったの?」と質問する。
「鋏を渡して、髪を切るように教えてくれた人がいたんだ。澁澤くんは髪の長い子が好きだからってことや幻想の使い方を教えてくれたのも、全部その人。<<カメラ・オブスキュラ>>が展開しやすい、水族館に行けばいいと言うことも」
「誰だろう」
「言っていいのかな。生徒会長さん」
三島だと?
驚いた。
だが反面、何となく納得はしていた。
三島の幻想は鋏の影だ。なんで自分から『五箇条』を踏み破るような事を矢川に吹き込んだのか。
よく理解出来なかった。
だが、三島と花田先生が結託して、僕らを二グループに分け、矢川と由良と種村を同じ班に割り振ったのは確かだ。種村が人形を持って行くであろうことも推測した上で。
全ては三島の掌の上で転がされていたのだった。
何故そこまで三島が僕らに拘るのか。
「付いたよ」矢川は部室のドアを開けた。
「龍! 澄香!」由良が声を掛けてくる。二人連れなのを見て、流石に嫉妬心を起こしたのか、頬が赤くなっていた。
べ、別にやましいことはしてないよ!
「はやくっ、座って!」
じーっ。
今度は種村がジト眼になっていた。
「なんだよ」僕は思わず訊いた。
「澁澤、なんで矢川とそんなに接近して座る」
「そ、そうかなあ」
と、矢川が僕に密着するぐらいすぐ横になって腕を組んできた。
「んほおっ」と篠田が水木しげる先生の漫画の登場人物のように鼻を鳴らして、「いきなり矢川さん大胆ですわねっ」と叫んだ。
「だって妹と腕を組むのは当然のことでしょ、お兄ちゃん」
「「「お兄ちゃん!!!」」」」
三人が同時に声を上げた。とても仰天しているようである。
「ちょ、お兄ちゃんって何なのよ」由良は気の毒なぐらい当惑している。
「賢しらげな雌犬」と珍しく種村が毒突いた。
「んまあ、矢川さんは何月生まれですことっ?」流石に篠田は用意周到だ。
「七月」
「七月? 龍くんと二ヶ月しか違わないじゃありませんことっ?」
何でお前が僕の誕生日を知っている。教えていないぞ。
「二ヶ月差って、そんなの無茶よ……」由良はちょっと泣きそうになっていた。
「二ヶ月でも年長ならお兄ちゃんだもん」ちょっと少女らしく矢川は言い張った。
頭が痛くなってきたぞ。
「ちょっとトイレ」逃げ出したい時の常套句だ。少し尿意があったが。
「龍」
「澁澤」
「龍くん」
「お兄ちゃん」
ぞろっと椅子が動き、女の子たちが揃ってこちらを見詰めてくる。いずれもちょっと据わっていて、怖い。駆け抜けるように立ち去った。
トイレには誰もいなかった。静かに用を足そうとする。と、誰かの息が耳に掛かった。
うおおおわあああああっ!
ビックリして僕は叫んで飛び上がった。
振り返ったその場にいたのは生徒会書記橋川文その人だった。
「澁澤氏」
「はっ、はしかわああ! なんでおまえがここにいるんだああああっ」
動揺が収まらない。思わず怒鳴り返してしまった。
「澁澤氏、由綺様が貴殿に御用で御座いまする」
「おい、ここどこだと思ってるんだ、男子便所だぞっ!」
僕は叫んだ。ほっ、漏らしはしなかったようだ。
「えええっ」
今度は橋川が動揺する番だった。頬が急激に火照り始めたようで両手で押さえていた。 「あわっ、あわっ」
承知で入ってきたようではないようだ。案外抜けてるなあ……。
「ちょっと先に出て置いてくれ」急いで用を足して、チャックを締めた。
手を洗い、外に出ていた橋川と向かい合った。
「やはり、な。僕も思ってたよ。こっちも話したいことがあるんだ」と出来るだけ威厳を取り繕って返した。
「それでは、拙に付いてきて下さりまするか」まだ息遣いが乱れている。
「もちろん」
生徒会室は三階にある。階段を登りながら、
「なあ、なんで橋川はそんなに古風な言葉遣いをするんだ」と質問した。
「えっ、あっ、それは、左様であれば由綺様がお喜びになるかと存じまして……」
「あいつ、そんなんで喜ぶのか」
「はい、由綺様は詩歌を好んでいらっしゃいます。幼い頃は書かれていたようでありますが、ある時を境にきっぱりと書かなくなったそうであります」
なるほどね。それらしい趣味だ。
「かたぐるっしいだろう、普通に話せよ」随分女の子に対して、話慣れたもんだと我ながらびっくりしていた。
「どうも身に染みついてしまいますると、身から離れなくなってしまうので御座います」
と非常に緊張しているらしく、肩を震わせていた。
「実は殿御と二人きりで階段を登るのはこれが初めてであります」
そこまでか。
余りの意外さに呆気にとられた。
そんな人、今のこの社会に存在してるのか。深窓の令嬢レベルじゃないのかよ。いや、橋川の武人の誇りとその浮き世離れ感から見て、その可能性は充分に有り得るところだろう。
「だって、生徒会だったら他にさ」
「生徒会は皆、女人で固められているのであります……」
そうだった。柘榴国高校生徒会役員の選挙は完全な出来レースだ。だって三島由綺と三島が選んだ生徒しか立候補しないのだから。
形としてはもちろん、どの生徒にも立候補件はある。しかし、こと生徒会役員に関しては三島の意志に反して立候補しようというツワモノは存在しない。
実質、各委員会から他の生徒にも被選挙が与えられているようなものである。これは暗黙の了解だった。流石の僕でもそれぐらいは覚えている。
三階の西棟コの字のドン突きもドン突きにある生徒会長室の扉は他の部屋と比較して非常に壮麗である。
木彫りであり、金の枠が嵌められており、ドアノブまで凝ったかたちをしている。
獅子の顔を象ったドアベルがある。何とも西洋趣味だ。
中に入ってみるとロココ調の家具が設置されていた。
詩歌を嗜み、軍服を着込む娘の部屋としては余りにもミスマッチだ。
紫煙が立ちこめていた。三島だ。
螺鈿細工が施された机の上に両足を掛けて、左手の指先に煙草を挟んで吹かせていた。三島が缶ピースを愛飲することは全校中に知られている。
生徒会長が煙草だぞ。これだけでこの高校の異常さが分かるだろ?
「橋川、下がってくれ。澁澤とだけで話したいんだ」
「はっ、了解致しました」
カタッと脚を鳴らして揃え、敬礼をすると、橋川は身体を廊下の方に向け歩き去っていった。
三島は微笑みを浮かべながらこちらを向いて言った。
「やはり君ならすぐ来てくれると思った、ね、澁澤」
「僕から行こうと思ってたところだ、三島、お前、なんであんなことをしたんだ」
「あんなことって?」と空惚けられる。煙草を灰皿に潰した。
「意図的に矢川に『五箇条』を破らせるようなことだよ。それに花田先生と共謀して、自然史博物館と水族館に班を割り振ったこともだ」
「うーん」とちょっと頭に手をやってその金色の髪を掻き上げる。「由良君は実に面白いものを見せてくれたそうだ、ね、澁澤。全ての幻想を終わらせる幻想とか」
僕はどうも人から話をはぐらかされやすいらしい。人の話を聞かないからか? それとも、お人好しなのだろうか。
「なんで知ってるんだ?」
「ぼくは何でも知ってるさ。アハハハハハッ、なんてね」と首を傾げる。
なぜだろう、その仕草がかわいいと思ってしまった。三島なのに。
「実は水族館の方に『も』生徒会役員を送り込んでいてね。名前は言うまでもないだろ。ちゃんと報告してくれたよ。細大漏らさずね」
やはり見張りがいたらしい。用意周到なことだ。
「それが何なんだよ」
「全ての幻想を終わらせる幻想、と言うのは実に素晴らしいものだよ。まあ、仮に<<破幻>>とでも呼ぼうか。この世界を終わらせられる可能性があると言うことだからね」
「はあ……」
言いながら不思議に思った。何で三島は僕が思ったことを知っているのだろうか。
「ニヒリズムの極みのようなものじゃないか」
「よく分かりかねるんですが……」
「何となれば、この世は一つの幻想だからさ。誰もがこの世は確実に存在していると思ってるが、それはそいつの脳内のことだけにしか過ぎない。政治も、決まりも、結局は人間の取り決めにしか過ぎず、全て幻想だろ? 人類のそういう幻想が終われば、この世界は見事に没落する」
また両手を頬に当てて、恍惚のポーズを取り始める。この人も大概間が抜けてるよなあ。
「おいっ! 矢川はどうなるんだ。お前のせいで『五箇条』を破ったんだぞ」
これだけは何としても訊いておかないと。
「矢川君か、まあいいだろう。もう罰は受けている。彼女、もう君の部活以外に居場所はないよ」と軽く笑った。
ちょっと胸が苦しくなった。クラスメイトが矢川を引いた眼で眺めていたのを思い出したからだ。
「もっとも、それは由良君たちについてもそうかも知れないけどね。まあいい、澁澤、ぼくからも君には見て貰いたいものがあるんだ」と言って、机の上に設置してあったベルを鳴らした。
すると隣りの部屋へ通じるドアが開き、ずらずらと他の生徒たちが入ってきた。
びっくりした。
全て水着を纏った乙女ではないか。
しかも、それは殆ど紐状であり、恥部を隠すところだけが面積の狭い布が当てられていた。
皆僕の顔を見て驚いているようで、表情が凍っていた。だが三島は静かに、
「並びたまえ、諸君」と言う。
三島の命令は彼女たちには絶対だ。各々唾を飲み込んで、縦隊に整列した。
三島は椅子からスタイリッシュに足を回転させて外し、その女の子の一人に近付くと、何と思いっきりキスをした。
しかも舌を絡めるやつ。かなり深い。
これはどうも以前にも行われたことがあるらしく、女の子も覚悟していたようだが、僕の前という事が緊張をもたらしたのだろう、目付きがとろんとなって潤み始めている。やがて睫毛を越えて、涙も溢れ始めた。
それを攻める三島も、なかなかな執拗さではある。
ちゃんと一人一人にやっているようだった。随分と勤勉なことである。三島の律儀さには恐れ入るものがあった。
しかし、そうはいっても僕はちゃっかり興奮していた。
何を示したいのだろう。全く意図が読めなかった。
一通り終わると三島は僕に向き直って、
「どうだい?」と自身ありげに訊いてきた。そのプルルンとした唇にはまだ唾液がたっぷりとついている。これが三島のドヤ顔なのだろうか。
「どうと言われても」
ちょっと三島の顔に不満げな色が浮かんだ。
「何か感じなかったかい?」
「そりゃ、僕も男だし、興奮はしたけどさあ……」
恥ずかしいこと言わせやがって。
すると三島が少し上気したのが分かった。どうも僕の反応を引き出したかったようだ。 相手の意図に乗せられたようで、何だか悔しいな。
「それで、何なんだ。三島は自分がレズだということを見せたいのか?」
「えっ」三島はいきなり虚を突かれたような顔になった。なんだか普通の女の子みたいにもじもじとしている。
「そ、それはっ! べっ、べっ、べっ、別にそう言う訳でもないことはないけど、そうでもないみたいなっ!」
言葉を濁す。全くらしくないな。
「じゃあなんで、あんなもん見せるんだよっ! 女の子と戯れ合ったりして」
ここは反転攻勢に出れる! 僕は思いきって切り返した。
「えええええっ、もういいっ! 澁澤、もう用はないので下がってくれっ」
三島は叫んだ。
ここは人前である。
なので顔を赤らめるのも抑えているらしく、全身を震わせている。
「さあっ! さあっ!」
両手をぱっと前に出し、平手で僕をどんどん突いて外へ押し出していく。これが痛いのなんの。手袋をしていなかったので、その手にたこが出来ているのに気付いた。剣道の修行の結果だろう。
ガチャッ!
急いで扉が閉められた。内側でわーわーと女の子達が騒ぎ出す声が聞こえた。そりゃそうだろう、あの三島がこんなに取り乱すなんて、前代未聞のことだ。僕もとても信じられない。
「さあっ、澁澤、早く出てってくれ。何とか収拾しなくちゃ。ともかく、今日はこれでお別れだっ!」と叫ぶ。
訊きたいことも教えてくれずに、何だこの態度は。
僕は頭にきたが、流石に今は従った方がよさそうだ。何しろ三島の手が腰の関孫六に触れていたのだから。
足早に廊下を歩いて、階段を下りた。




