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シブサワくん家で午後五時にお茶を  作者: 浦出卓郎
第五章 アクアリウムの春昼

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第五章 アクアリウムの春昼(3)

 二日後、待合席で隣り合わせたのは、何と花田先生だった。

 僕はびっくりして身を引いた。流石に自分たちを嵌めた人間を目にするのは、快いものではなかった。

 「花田先生!」

 「ごめんなさい」

 花田先生は起ち上がってこちらを向き、頭を下げた。大きい乳がそれとともに揺れて、どきっとした。

 「なんで、あんなことしたんですか?」

 「話します。けれど由良さんの前の方がいいでしょうね」と花田先生は微笑んだ。

 なんか調子が狂うな。

 最初から僕の連れ扱いになろうという策略だったらしい。

 病室に入った時、由良はまた声を上げようとしたが、その後ろに花田先生が続いたので、すぐ様黙った。手元には昨日僕が持ってきた「ざ・しぇーびんぐ・おぶ・しゃぐぱっと」なる洋書が栞を入れられたまま置かれている。

 「なんで、あなたが……」とやっと声を絞り出した。

 また花田先生は謝った。

 「さあ」と僕は花田先生を促す。

 「それ自体に対する答えは簡単よ。あなたたちなら矢川さんを止められると思ったから、それだけなの」

 「そんなの簡単すぎるんじゃありませんか」出来るだけ神妙に言ったつもりだ。

 「だってそれだけなんだから」また韜晦された。柴田先生もそうだが、花田先生はもっと掴み所がない。「結果として間違いはなかったんだから、それでいいでしょ」

 「そんな、由良がどんな目に遭ったと思ってるんだ!」

 由良の頬に朱が差した。

 「でも、矢川さんはあのままだといずれ暴発していたわよ。部員に入った以上、そういうことはいつでも起こりうる」

 痛いところを突かれた。

 「問題は一つずつ解決して行かざるを得ないじゃない、そうでしょ? 澁澤くん」といけしゃあしゃあと返してくる。

 「じゃあ、質問ですけど」僕は言った。  

 「そもそも柘榴国高校って何なんです」 

 花田先生は高らかに笑った。

 「それは、あなたたちが通っている学校じゃない。なんで聞きたいの。そんなことはどうでもいいんじゃない?」

 「よくないんです。僕の言ってるのは裏の意味です。何故、先生は魂を漁っていたのか。またこの学校の生徒が死んでも、それが話題にすらならないのはどうしてなのか。いくら考えてもハッキリしないんですよ」

 「裏も表も知りたいのよね。じゃあ、柘榴国高校を作ったのは由綺ちゃんだって知ってた?」

 そんなこと初耳だ。

 「それなら三島は十才の時に作った事になるじゃないか」

 「実際は十一歳の時ね。由綺ちゃんは小学校の入学が一年遅滞していたの。だから澁澤君より一歳年上の換算になる。昔は病気がちでね」

 これも初耳だ。あの体育会系な三島が病弱だったなんて。

 「十一歳で高校を作るなんて普通の人は出来ませんよっ!」僕は慌てた。

 「そう、普通の人なら作る事は出来ない。これは確か。だけど、ひるがえって考えて見ると、由綺ちゃんは普通の人じゃなかった。だから作れたという訳」

 「そりゃまあ、そうでしょうね……」僕は溜息を吐いた。

 「魂が必要になった。そして、その際に知り合いの大学生にその蒐集を頼んだとしたらどうなるかしら」

 「それが花田先生なんでしょう?」

 「勘がいいわね。まさにその通り」

 「先生だけが全部集めたんですか?」

 「もちろん、由綺ちゃん個人も尽力したわ」

 「幻想を使ってですか」

 「そうね」

 「でも、幻想っていうのは確か、この学校内でだけ使われているんでしょう」 

 僕は種村の言ったことを思い返していた。 

 「いや、厳密に言うとそうではないの。近年我が国が諸外国と交戦の可能性も視野に入れ始めているということは知っているでしょう?」

 「まあ、一応は……」なんでそんな話を。

 「幻想を使える者を兵隊として育成し、戦場に繰り出させると言う計画が水面下では行われていた。つまり、国家が魂を蒐集を行っていた。これは事実よ」 

 「そんな重大機密を」

 「あなたも関わっている以上、当然秘守儀無はあるので念のためにね」

 「も、もちろんです」他に漏らしたりしたら大変なことになりそうである。

 「数年越しの計画で、由綺ちゃんのお母さんである梓さんも関与している事なの」

 何となく話が見えてきた。

 「つまり、幻想を使える兵士の訓練の実験場として、柘榴国高校が作られたと」

 「何だかんだ言ってもやっぱり澁澤君は頭がいいわね。その通りよ」

 「僕らは勝手に訓練生にされた訳かよ」また怒り始めていた。

 「澁澤くんの場合はちょっと事情が違うようだけど……全部由綺ちゃんの提案」

 「でも、親とかが色々言ってくるでしょう?」

 「あの高校は一応国の管理下にあって作られた施設なのよ。それに、保護者と比較的疎遠な子を選別して入学させることにも成功しているし。だから、死んでも上手く誤魔化すことができているの。今のところはね」と謎めいた笑いを浮かべる。

 何はともあれ、僕らはモルモットということだ。

 由良の顔が暗くなった。

 「何よ、それ……」

 「由良さん、あなたは澁澤くんよりよく知ってるでしょ。それに、あなたも親御さんと繋がりが薄いからこそ、彼と同じ学校に入れたんじゃない」

 挑発的な態度である。これが本来の花田先生なのだ。なるほど、『惨虐性』と『偽計』である。

 「……ざけんなっ!」

 いきなり由良は叫んだ。半身を伸ばし、両の拳骨をシーツの上で突いている。その顔から血の気が引いていった。

 「お邪魔だったようね。私も子供のところにいかなくちゃだし。それでは」と言ってするりと退散した。

 「由良」

 僕は由良の手を握って、また由良の気分が落ち着くまでずっとそうしていてやった。病室の窓から見渡せる、江ノ島の海の夜景がとても綺麗だった。

 

 

 「んもおおっ、由良さんばっかり、ずるいですわっ。毎日毎日、龍くんに看病していってもらってるなんて」と篠田。

 そういう自分は完全にうちに寝泊まりするようになっていた。

 母さんの部屋を占拠し、パジャマと寝具、その他の私物も持ち込みである。

 寝る前に自室の扉はしっかり締めて、窓の内鍵もちゃんとしておかないと安心して眠られやしない。また、夜這いに来られるかもしれないのだ。流石に遠慮しているのか窓が割られる事はなかったが……。 

 由良は、もう由良は僕以外面会しないとか言い始めた。

 その後由良への来訪者はいなかった。ところが、安心しきっていた退院の前日、最後の来訪者がやってきた。

 多田満津だった。下校前に靴箱のところで突然話し掛けられたのだ。

 「由良の病院、連れて行ってくれないかな?」 

 多田は今日は普通に制服を来ていた。

 「なんでだよ」僕はびっくりして言った。

 「一言謝りたくてさ」

 「多田は関わりないだろ?」

 「でも親友がやったことだし。それに伝えたいこともあるんだ」

 僕は由良に連絡すると、多田だったら会ってもいいとのことだった。

 それを伝えると、

 「特別悪感情もたれてないようで、良かった」と胸を撫で下ろしていた。

 二人で電車に乗ると想像以上に緊張した。篠田の時もそうだったが、あの時は急いでいたし、十分程度だった。

 今度はちょっと疎遠になっていた女子と一時間近くも電車に乗ったのである。ちょっとキョドってしまったのは仕方がない。

 「澁澤、なに読んでるのさ?」いきなり話し掛けられてびっくりした。

 『シルトの岸辺』にはブックカバーを掛けていたのだった。もう三百頁ほどに達している。

 僕はカバーを退けて表紙を見せた。

 「あ、読んだことある。『アルゴールの城』と『陰鬱な美青年』『半島』あたりは読んだ?」

 知らないタイトルばかりだった。

 「グラックはシュルレアリストと目されてることが多いけどさー……」

 んー、僕より遥かに詳しい。ちょっと驚いた。ビッチで体育会系バカと思っていた多田がここまで詳しいとは。

 「そうだ。この本やるよ」

 と言って鞄から一冊の本を出した。ジョルジュ・ランブール『ヴァニラの木』と書かれている。古い本だ。

 「面白いの?」

 「この本より短いし、読みやすいと思う」とオススメされた。

 「いいの?」

 「もちろん、高い本でもないから」

 僕は素直にそれを鞄に入れた。

 駅から病院までの道は意識して離れて歩いた。他から恋人同士とか見られるとかなり恥ずかしい。

 由良は今度は準備していたのか、快く迎えた。

 反対に多田は由良の顔を見ると、少し身構えて、落ち着かない表情をし始めた。何か罪悪感を感じているのだろうか?

 「由良、澁澤、ほんとごめん。置いておいた方がいいなんて言って。澄香のことはもっとちゃんとあたしが見ておくべきだったんだ。そうしとけばこんなことには……」

 「いや、多田が謝ることじゃないよ」

 「そうよ、悪いのは矢川よ。多田じゃないわ」と由良も呼応する。

 多田は眼を伏せたまま続ける。

 「でも、澄香は可哀想なんだ。あいつには昔兄さんがいた。その兄さんが目の前で亡くなってしまって、それから澄香はおかしくなっていった。夏の日の踏切で、小さい澄香が歩いて行くところを庇おうとして轢かれたんだ」

 僕はなぜかぼんやりとし始めていた。その話を聞いて、デジャビュのような感覚を覚えたのだ。

 どうしてそんなことになるのか、よく分からなかった。話を聞こうと努めるのだが、どこかでそれを聞きたくないと言う意志が働いているような、妙な二律背反する感情に駆られた。

 「それ以来、ずっと矢川はお兄さんを探してるんだ。喪失感を埋め合わせてくれるような存在を求めている。でも、それがかえって自分に完全に心服してくれる下僕を求めているように見える時もある。でも、そうなってくれる存在が現れたからといって、矢川は満足出来るはずがない。それは下僕であってお兄さんじゃないから。それの繰り返しでずっと来たんだ」

 「でも、だからといって許されるって訳ないじゃない。本来だったらもっと大事になってもおかしくないんだから」と珍しく由良が言葉を濁した。

 <<幻視>>の力を持つ由良には多田が幻想のことを知っているのか、また使えるかどうかがよく分かるだろう。

 その上で相手にどこまで情報を伝えればいいのか思案しているのだと思われた。

 事実、市街地を荒らした橘外女の姿はリアルタイムで撮影された動画がいくらかネットで話題になっただけだし、水族館での一件は女子高生が緊急搬送された程度にしか世間には伝わっていないようだった。何か意図的に情報が拡散するのが妨げられている。そういう感じを覚えた。

 「だから、ごめんなさい。あたしは施設で育ったから、兄弟いないし、親の顔も知らないけど、それが中学から進学した普通校で矢川と仲良くなれた理由かも知れない。共通する基盤がなかったからかえってよかったのかも」

 何となく多田の一歩引いたような態度が気になっていたが、そういう生い立ちなら納得するところもあった。本をくれたのも謝罪の意思表示の一つなのだろう。 

 なんか変だけど、胸が熱くなった。前、多田に怒った自分を不甲斐なく思った。

 「それで」と戸惑っているようすが多田に見えた。ちょっと髪を整えた後で、「退院したら、由良と澁澤には澄香に会って貰いたいんだ。会って、話し合って貰いたいんだ」

 「なによそれ、なんであんな奴に、嫌、嫌々、絶対にイヤっ!」由良が感情的になって叫んだ。

 「……分かった」僕は言った。それを聞いた由良がビックリして、眼をぱちくりとさせている。

 「龍!」咎め立てるような目付きで由良は僕の方を見た。

 「行くしかないだろ。そうしないと物事は進まない」

 きっぱりと言った、つもりだけど……。

 「イヤよ、私はイヤ、龍だけで行って」と由良は断乎反対した。

 「じゃあいいよ、僕だけでいく」

 「ええっ!」その通り言ってやったのに、最初は驚いたような表情を浮かべ、かなり不満そうな顔付きになった。「なんで?」

 「行きたくないんならいいよって」

 ぷーっと頬がまた膨らむ。

 「行くわよ、付いてけばいいんでしょっ! 一度だけよ、もう二度と行かないんだから」

 こんな、操作が簡単に出来てしまう幼馴染みでいいのだろうか。

 多田は一安心したのか、ほっと溜息を吐いた。

 

  

 

 モノレール線の湘南町屋駅から歩いてしばらく行くと団地群がある。その中に矢川は暮らしているらしい。

 駅の左手にも存在しているが、そこは廃墟のような趣があり、取り壊し作業が進んでいる。

今日は日曜日。ちょうど一週間後だ。由良は退院したその足で僕らと共に矢川の家に向かっていた。

 相変わらず後ろでぶーぶー言いながら付いてくる。だが、付かず離れずで、置いてかれるのはごめんだとでも言った具合である。

 帰りにペットショップによってずっと預かって貰ったままになっていた四方犬を引き取りに行こうと話したので、少し機嫌はマシになってはいたが。

 小学校と中学校を通り過ぎたが、庭に植わった桜の花が散り始めている。地面に花弁が砂利のように敷き詰められていた。もう四月半ばを越えてしまった。

 ゆっくりとお花見をしてる気にもなれないしな。

 これらの学校に矢川も多田も通ったのだろうか。気になりはしたが敢えて聞くにはなれない。

 多田は一足先に歩いていた。

 やっと到着。案外疲れた。意外に狭いところだなと思った。矢川のイメージからすると豪邸に住んでいてもおかしくないと考えていたのに。

 団地の鍵を開けて多田は中に招じ入れる。鍵を預かっているくらいだから、よっぽど二人の繋がりは深いのだろう。

 父親は帰ってきているのだろうか。それほどこの五LDKには矢川の他に人が生活しているという感じがしない。

 部屋は真っ暗だった。灯りを自主的に点けないからだ。ベッドの上で、弱々しく矢川は横たわっていた。

 それにしてもすげえ女の子っぽい部屋だ。兎のぬいぐるみもあったし、毛布は花柄が描かれていた。壁紙までがピンクである。ただ矢張り年齢と比べて幼い感じもした。

 由良の部屋はよく行くのだが、到る所本の山で、少しの色気もないのである。由良の好きなみみずくの置物が幾らかあるぐらいだった。

 当人は未知との遭遇のように興味深く部屋の中を見回していた。癖が出てちょっとものを摘まみ上げたり、机の上を覗いたしている。

 止めさせようと思ったが多田の手前、大声も出せない。

 「澄香、由良と澁澤が来てくれた」と多田が声を掛ける。

 「澁澤くん」ゆっくり矢川が起き上がった。

 パジャマを着ている。その眼はまだ虚ろなままで、心ここにない感じである。

 群青の髪はあの時断たれたまま、少しの手入れもされていない。妙に生々しさを覚えた。

 目は閉じていたが、眠っていなかったようだ。

 机を見ていた由良がいきなりはっとなって静止していた。

 「矢川」僕は言ったが、なかなか後が続かない。こういう時にちょうどいい言葉が選べない自分が恨めしい。

 矢川はなお虚ろな眼をこちらに向けてくるが、僕は視線を逸らしてしまった。

 どうにもしようがなくなった時、たっと由良が矢川に駆け寄った。

 そして、突然ハグしたのである。

 なぜ由良がそんな行動を示したものか分からなかった。

 だが、答えは机の上にあった。

 立てかけられた写真には親子連れが映っていた。父親とまだ幼い矢川、それに男の子。矢川の兄だろうか。由良はこれを見たのだ。

 「バカね」

 由良は矢川の耳元で囁いた。

 「寂しいのは、誰だってみんな一緒じゃない。私もそうだし。あなたもそう。そんだけのことよ」

 その目から涙の滴が流れていた。音もなく由良は泣いていたのだ。

 多田もつられて眼を覆っている。

 不意に表情のない矢川の瞳から涙が流れ始めた。静かにゆっくりと。

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