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シブサワくん家で午後五時にお茶を  作者: 浦出卓郎
第五章 アクアリウムの春昼

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第五章 アクアリウムの春昼(1)

 なぜか篠田はえらくしょげた顔付きを浮かべていた。

 その横では蓮の花が不時着したらしく、煙がしゅうしゅうとあたりに広がっていた。

 「生きてるかー?」急いで声を掛ける。

 「ああ、何とかな」

 半壊寸前の蓮は蕾を閉じ、光を帯びると中から現れてきたのは、かぐや姫ではなく松山だった。そのジャンパーは僅かに焦げていた。

 「全裸でなくてよかったぜ」と冗談を言ったその後に、「怪我はないか?」と聞いた。

 「取り敢えずはな。だがもう暫く蓮の花は使えないだろうな」

 「お前の幻想はなんなんだ?」

 「もちろん秘密だ」

 「随分秘密主義だな」

 「秘密は多ければ多いほどいいんだ、それよりも、由良を助けに行かないのか?」

 そうだ。僕は水族館に行かなければならない。だが、ここから電車を使っても一時間以上は掛かってしまう。逗子から大船までは兎も角、とてもじゃないが悠長に行っていられる訳がない。

 「篠田、君の力を借りるしかない。<<気化>>を使ってくれ」僕は向き直った。

 「龍くん……」その頬が一瞬ぽっと紅くなった。「でも、わたくしっ、いいんですの?」

 「何がさ?」

 「わたくしっ、龍くんを叩きのめそうとしたのですわ。人が言うように殺そうととか……そこまでは思ってはいなかったですけれど、もう死んでもいいやって思いましたわっ。どうして、龍くんはそんなわたくしを助けてくださったんですの?」

 「前、言わなかったか? 知人が苦しんでいて、それを助けないやつがいるか」

 「ん、ですけれどっ」

 僕はでかい身体を引き寄せて、ぽんと背中を叩いてやった。

 何か、温かい。

 「んんっ、はうううっ!」篠田は呻いた。

「んおおおっ、わかったてー! わかりましたわっ。この十一子、龍くんのために死ぬまで粉骨砕身して尽くすわなもしっ」

 えらく興奮しているらしい。ちょっと身を引いてしまったが、かえって篠田は僕を抱きすくめてきた。

 「しっかり掴まっといて下さいですわっ! 実は他の人を<<気化>>させるのは初めてなのですけどっ! 何としてもやり遂げますわっ!」 

 なんと言ったらいいだろう。

 筆舌に尽くしがたい。

 自分が気体になって空中に舞い上がり、そのまま江ノ島まで流れていった。

 そういう前代未聞の経験を描くのは難しい。まあ、視界が広がったというか、より大きな空間を見渡せるようになったのだ。

 普通ならば、それが眼球の範囲内であり、まず己の鼻が見え、それから手と胴体、さらには足が見え、という順番になるのであろうが、それが全て取っ払われたという何とも爽快な経験だった。

 そのまま空中を漂っていたのだが、気化している訳で格別寒さを感じるということもなく、ただ凄いスピードで流されていっていることを知覚するのが精一杯だった。

 聴覚すらもなく、視覚が僅かにあるのみなので、まったく死に近い状態であるとも形容できるだろう。

 しかし、その隣には確実に誰かの存在が感じられた。篠田だった。

 だが今回は一切の無駄口を叩かず、水族館に向けてコントロールを行うのが精一杯のようだった。

 シュダダダダダダッ。

 摺り足で着地する音が聞こえた。

 聴覚が戻ってきたのだ。

 それとともに触覚も。

 身体が急速に元に戻りつつあった。手足の感覚がハッキリと認識できた。

 気が付くと、僕は篠田にだっこされたまま、

水族館前にいたのだった。

 さほど経っていない。真昼の光が眼に眩く感じる。腹が微妙に減ってきたが、とても食っていられる時間はない。

 「さあ、着きましたわっ!」一拍置いて篠田は言った。

 携帯の時計で確認すると、まだ十二時もなっていなかった。

 僕らはすぐに入場した。結構料金が高いな。

 大騒ぎが起こっているかと思ったが、そうではないようだ。休日なので結構家族連れの客が多く、皆楽しそうである。

 何かよく分からないが、イルカショーのようなものも行われているらしい。

 ただ今回の目的はそれではない。皆どこへいったのか。

 階段を降りて、アクアリウムへ入っていった。

 少しずつ温度は下がっていく。

 次第に暗くなっていった。青白い蛍光灯のみだ。

 「こ、怖いですわあっ!」震えながら篠田は言う。お前なあ。

 しかし、まるで気配が見えない。人がいないようなのだ。

 普通、こういうことはありえるだろうか。休日の昼間だぞ。もっと見物客で賑わっていなければおかしいところだろう。

 だが普通の人でも感じ取れるほど、この部屋からは、猛烈な殺気が発散されていた。

 何か不気味なものが、この空間の中央にいるのだ。

 強化ガラスの向こう側で、ユックリと鮫の頭がよぎっていく。その眼はギラギラと光っていた。

 無数のクラゲ。

 餌の時間だろうか。何かの肉が投げ入れられて、血が煙のように水の中で無数の糸を引いて吹き上がっていた。

 陰気くさい風景である。

 何か少しは眼を楽しませるものを置けば良いのにもかかわらず、砂利が冷たく敷き詰められているだけの何もない水中だった。

 「本当になにかあるのか?」

 「由良さんの幻想でもない限り分かりませんわっ。わたくしはそういうものを見抜く力は全くないんですの」

 「だが、探さなければならない、二人でな」

 「そうですわっ!」篠田は元気よく言う。

 「どうしたっていうんだ」

 「とうとう、二人っきりですわ。これは完全なデヱトですわっ!」

 「でも由良が」

 「由良さんなんかどうでもいいですわっ! わたくしには龍くんさえいれば他はどうでもいいんですの」

 おいおい。

 「龍……」

 小さな声が聞こえて来た。

 どこからだろう。何かここではない別の空間からのようだった。

 目を疑った。とても信じられないが、空気中に小さな何かが破れたような裂け目が出来ていたのだ。

 そこだけが抉れたようになって、どこか他の風景が覗いていた。

 声が聞こえるのはそこからだった。

 僕は思いきってそこに手を掛けてみた。ポスターを剥がすかのように簡単に、その内側が現れ出た。

 「龍!」クタクタになったカーディガンのまま、由良が飛び出して抱きついてきた。ぴんぴんと飛び跳ねるアホ毛を久しぶりに見たような気になった。

 「あいつが……矢川が……」

 やっぱりそうだったか。

 想像の通り、矢川が何かやったのだ。

 「澁澤くん、ねえ、澁澤くんでしょ!」甲高い声が聞こえて来た。非常に興奮した感じだった。

 僕らは更に歩みを進めた。

 空間の中は更に真っ暗で、人の姿も容易に見えなかった。

 暗室。

 そういう言葉が頭に思い浮かんだ。

 やがて闇になれてきた眼は、うっすらと紫色をした光を捉えた。

 矢川の瞳だった。しかしどこか虚ろな、まがまがしい輝きだった。

 『仕掛けて』こられたのは間違いなかった。

 「澁澤くん、来てくれたんでしょ! わたし、嬉しい。種村さんと由良さんに私が攻撃すれば、来てくれると思ってたんだ。だって、澁澤くんはこの二人が大好きなんでしょ? それで私は大嫌いなんでしょ? 憎しみ抜いているんでしょ! だったら私、この二人を殺して、もっと澁澤くんに憎まれたい!」

 「何を言ってるんだ?」

 「龍! そいつの幻想は<<偽装>>だから! 私も全然気付けなかった。<<幻視>>の力を持つ者でも気付かれずに幻想が使えるの」由良が叫んだ。見るとその袖に血が染みついていた。手傷を負わされたらしい。

 「それだけじゃないよ」と言って矢川は歌うように笑った。「私は二つの幻想が使えるるんだ。もう一つは<<カメラ・オブスキュラ>>これで確実に由良も種村さんも殺せるよ。今なら篠田さんも殺せるね。三人とも殺して澁澤くんに一番嫌われて、憎まれたい!」

 急激に僕らが通り抜けた裂け目が塞がっていった。

 退路が断たれる。真っ暗な空間に取り残されたのだ。

 何か水が流れる音がした。姿は見えにくいが、それは人の形をなしていた。

 全裸の女性である。

 肌は全くの透明で一つの濁りもない。しかし、髪の色、乳房、足の先まではっきりと揃っていた。

 直感的に気付いた。

 種村だ。<<人形師>>の力によって生成したのだろう。

 「『ビビッシェ』、やって」暗がりから声が聞こえた。

 途端にその水で出来た女は矢川に向かって飛びかかった。

 「無意味だよ」矢川は言った。「種村さんだよね。念を入れて人形を二体も鞄に入れて隠し持ってきたのは。だからここでも幻想を使うことができたんだよ。私にとっては一番最適な場所でね」

 さっと手を上げる。

 途端に『ビビッシェ』は地面へと押さえ付けられた。急激な力が加えられたかのようである。

 「この暗室の中では私には勝てないよ」

 「んほほほほほっ、それぐらいならわたくしだってできますことよっ」篠田は高笑いした。

 「やめて駄肉、そんなコトしたら死ぬわよ」

由良はそれを制止した。

 「な、なんでですのっ?」ちょっとムッとして返す。

 「この空間では全てが矢川の意図によって動くようになってるのっ……うっ」

 と傷口を由良は押さえた。その下からなおシトシトと血が垂れてくる。かなりの傷を負ったと考えられた。

 「由良、大丈夫か!」

 僕はそこに駆け寄った。

 「させない」と矢川。

 何か大きな力によって身体がはじき返されるのを覚えた。よく分からないが、この暗室の中で矢川の許可なしに動く事は出来ないらしい。

 矢川の手には鋸が握られていた。由良に傷を負わせたものだろう。

 「あははははははは」表情を変えないまま笑い続けて、由良の元に迫ってきた。

 「由良さんっ!」普段の対応と違って篠田は真っ先に駆け出そうとする。ところが影がその周りに這い寄り、篠田の四肢は絡め取られた。

 ズルズルと蔦のように影が太腿を縛り上げ、両腕を締める。肉の叩かれる音が鳴り渡った。

 「んうううっ、うごけないですわあっ!」 今度は種村が走り出した。

 しかし、さっきから押さえ付けられていた『ビビッシェ』が突如急激な力でそこへぶつけられた。

 「ううっ!」

 種村の小さな身体はそのまま水の塊に吸い込まれて、隅の方に追いやられる。

 ネコミミフードを被った頭を水の上から出して、呆然とこちらを眺めてきていた。

 だめだ。皆身動きがとれなくなっている。 「さあ、誰から殺そうかな」

 と、矢川は鋸を持ったまま、ぐるりと辺りを回った。

 「そうだ、由良さんにしよっ!」

 と言って、やや軽やかな足どりになって由良の元に近付いた。

 そして、思いっきり兇器を振り上げる。

 「ゆらああああああああああ!」声を限りに叫んだ。 

 「……なめんな」

 小さな声が漏れる。

 「なめんじゃないわよおおおおおおおおおっ!」

 振り下ろされそうになった鋸の動きが僅かに止まった。

 かっとばかりに見開かれた由良の瞳は炯々と光っていた。野心的な輝きが戻ってきたのだ。その顔は土気色に近くなっていたが、相手を睨み据えていた。

 しかし、それは単なる眼光ではなかった。何か奥深くまで続くような炎が垣間見えていたのだった。

 破幻の瞳。

 その時、僕が思い出したのはこの言葉だった。『甲賀忍法帖』に出てくる忍法の一つだが、これは作中で出てくる他の忍法とはまったく違う。

 相手の忍法を無効化する忍法なのである。

 幻想を終わらせる幻想。

 全ての幻想の頂点に位置するこの幻想を、由良は体得していたというのか。

 全ては僕個人の直感だった。

 だが何故か分からないが、それは確信にも近くなっていた。

 事実だんだんとこの暗室は崩落を始めていた。周囲を覆っていた黒い幕のようなものがぐずぐずと瞬く間に下がっていく。蛍光灯の薄い光が入り込んできて、再び元のアクアリウムがその中から姿を現した。

 矢川の鋸を持つ手はゆっくりと下りていった。その兇器も幻想によって作り出されたものだったのだろう。徐々に透明になっていって、終いには消えてしまった。

 それを見届けると由良は倒れた。僕はそこへ走って行って、その身体を抱いた。

 「おい、しっかりしろ!」

 「り、ゅー……」力なく首を曲げる。その唇は色を失っていた。傷口から血はもう止まっていたが、顔色は元には戻らない。

 「誰か!」僕は叫んだ。

 館員さんが急いでこちらへやってきた。以前までの殺気が消えたので、他の客も入り込み始めている。

 「き、救急車を呼んで下さい!」出せる限りの声で言ったつもりだ。

 大騒ぎになった。多くの人がこちらに駆けよって大丈夫ですかと世話を焼いてくれ、変なところで世間の暖かさを感じたものだ。

 救急隊員の人が入ってきて由良は担架に乗せられた。僕はそれに付いていこうとした。

 「龍くん!」

 「澁澤」

 篠田と種村が近付いて来たが、

 「二人は矢川の面倒を見てやってくれ」と押し留めた。

 矢川は床に膝を落として、頭をがっくりと垂れていた。

 「それはないですわっ! いくら何でもわたくしたちに襲いかかってきた人を……」

 「篠田っ!」僕は篠田の目を見た。

 ここに来る前にした会話を思い出させようとしたのだ。

 流石にハッとなったようだった。

 こくんと頷くと、すぐに矢川の方へ向かった。

種村が近付いてくる。相変わらず余り表情に変化は起こらなかったが、僅かに身体が震えているのが分かった。

 「た、種村が、人形を持ってきたから、由良が……」

 自分を責めていることが、痛いほどよく分かった。ちょっと恥ずかしい常套句だけど。

 ポン。

 種村の頭に手を置いて撫でてやった。

 「すぐ、そうやって子供扱いする」ぶつぶつと言った。

 けれども、僕は見た。その眼の縁が僅かに涙で光っているのを。

 「矢川……」

 声を掛けた。

 だが、少しも返事がない。まるで人形のようだった。一度決意した篠田は、寄り添って優しく揺すぶっていた。

 気になったが救急車が出発してしまう。同乗する必要があった。

 「誰も不幸せにはしないよ!」突然、僕は叫んだ。

 いたたたたたた。言った後で心の中で転げ回った。先日まで、そういうことを言う柄ではまるでなかったのに。

 担架の後を追った。

人工呼吸器を付けられた由良を見た。その眼はなお瞑られて、色の白さはまだ変わらない。僕はその側に付いた。

 車が走り出す。

 由良は昏々と眠り込んでいた。微動だにもしない。その手を強く握った。

 このまま死んでしまったら、どうなるんだろう。

 そして、彼女がいない明日のことを考えた。

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