第四章 『惨虐性』と『偽計』(6)
JR逗子駅の校舎みたいな建物を後にして、徒歩五分ぐらいのところに自然史博物館はあった。
入り口は結構広く、館前の広場には大きな噴水が設置してあった。
僕らはその近くで立ち止まった。
由良はまだ電車の中だろう。一応メールを送っておいた。だがちょっと待っても返事は全くない。
何らかのレスポンスが欲しい。矢川と由良を同じ組に入れるのは余りに危険が大きいのだ。しかも矢川の精神状態が尋常じゃないのは傍目からでもよく分かった。
「それにしてもこんな上玉ゲットできるとはよ。どうやって部活に誘ったんだ?」と松山は篠田の方を見た。
余計な一言だった。
ボッシャーン。友よ、南無。
篠田は待たされたのと、由良にメールを入れる僕を見て相当苛立っていたのだが、とうとうこの一言でカチンときたのだろう。松山を噴水に突き飛ばしたのだった。
「さあ、行きますわよっ!」と鼻息荒く言って僕の手首を捻り上げ、引き摺っていく。これがまた凄い力だった。
既視感を覚える展開ながら僕は全く抵抗できず、博物館の中に連れて行かれることになったのだった。
館内の暖房はもう効いていないようである。四月も半ばを越えたらまあそうなることだろうな。
石器時代の展示など色々見て回ったが、どうも面白くない。僕は博物館類では特別興味があるものがない限り、すたすたと通り過ぎてしまう派である。
「恐竜のコーナーを見に行こうか」と提案してみた。
その時には篠田が僕の手を握る力は弱くなっていた。こちらは反対にかなり熱心に展示物を眺めては、
「んほむほむ」などと呟いていた。見るからにあざといのだが、本人は自覚していないように見える。
「そういえば、二人っきりですわね」
「今気付いたのかよ」
「これは、んふっ、もしかしてもしかすると、んふふふふふふっ、デヱトというものじゃありませんこと?」
「じゃねーよ。というか松山どこ行ったんだ」
「あの様子じゃ暫くしないと渇きませんわっ」やや邪悪な顔付きになって篠田は言った。
エスカレータを降りると、恐竜の骨格標本が展示されている。
いやあ、しかし、いいですねえ。
僕は真っ先にティラノサウルスに齧り付いた。実物を見るのは初めてだったので、えらく感動した。
「ご興味をお持ちのようですね」
いきなり声を掛けられたのでびっくりした。学芸員さんがこちらに近寄ってくる。
とても落ち着いた雰囲気を持つ、面長の優しそうな女性である。
「はっ、はい!」頬が熱くなるのを覚えた。
学芸員さんは心やすくこの恐竜の出土年代や地域、種類や生態について説明してくれた。とても噛み砕いた内容で分かりやすい。
知らなかったことも多かった。図鑑で見ただけだったからだ。相手の名札を見た。
「橘 外女」と記載がある。不思議な感じの名前だ。
「僕、澁澤龍臣って言います。お姉さんの名前はなんて言うんですか?」
「ふふっ、お姉さんだなんて」学芸員さんは笑った。
僕は恐らく赤面していただろう。
「私はタチバナソトメといいます。今年度からの新米ですけど、よろしくお願いしますね。あっ、橘はキチ、外はガイと読めるけど、それで読んじゃ嫌よ。一応、本名ですので」
「はいーっ!」僕は大人のお姉さんに優しくされたので、つい気分が良くなってきた。今までの不安などスッカリ吹き飛びそうだ。 「ところで、一人で来られたんですか」
「いえ、同級生ときました。あそこに居るのが篠田で、あと松山ってのがいるんですが」
篠田は首長竜を見上げて、
「たまげましたわあ」とか言ってる。だが、僕がいることに気付き、さらにその隣りの女性を確認すると、急に足どりを速めてこちらに近付いて来た。
「へえー、高校生?」
「はい、鎌倉の柘榴国高校です」
その言葉を聞いた途端、橘さんの唇がつり上がったのが分かった。ニヤリとした笑みを浮かべたのである。今までの雰囲気が一変した。
「そうなの、それじゃね……
死んで」
「龍くん、避けてっ!」突然篠田が大声を放った。僕は驚いて身体を反らした。
その時である。
シュッ。何か激しい音が耳元で響いた。頬を擦ったものがある。
「龍くん、後ろっ!」
僕は床にうずくまった。また風を切るような音がした。
橘さんの手には骨が握られていた。尖端が鋭利に尖っていて、額を貫通出来る長さがあった。
「何をするんですかっ!」僕は叫んだ。
橘さんはチッと舌打ちをした。その目は女豹のようにギラギラと光っている。
「流石に柘榴国の生徒は直ぐには殺せそうにないねぇ!」と言って、その骨を舌で舐めた。
「龍くん、そいつは幻想が使えますわっ!」篠田が掛けよって、僕の前で両手を広げ、守ってくれた。
「アタシは待ってたんだよっ。三島由綺の手下が殺されに来るのをねぇっ!」
「手下じゃねえし! でも、なんで魂を込める人形がないのに幻想を使えるんだ」
橘さんは狂ったように笑い出した。さっきまでとはまるで異なる、怖気が立つほど甲高い声だった。
「魂? それならある。ここにある骨の中に、たっぷりとねぇ。アタシの幻想は<<骨操>>。読んで字の如く、殺した連中の魂を骨の中に込める。そしてそれを自由に操れるのさ。自給自足でやっていられるという訳だ。三島家の世話になろうとは思わないからねぇ!」
僕らは『仕掛けて』来られたのだ。
突然、展示してあった小型恐竜の標本が音を立てて弾け飛び、ばらばらになった。それを形成していた骨が宙に浮き上がり、グルグルと輪を描いて回り出した。骨と骨が擦り合って、研ぎ澄まされていく。大腿骨は斧のように尖り、背骨の突起は鋭くなり、全て人を殺傷できる形状に形を変えていった。
やがて骨が劃然と五列に並べられて、こちらに向けられた。
「龍くんっ!」篠田は叫んだ。
まずい。
橘さんの攻撃方法は分かった。骨を弾丸のようにして高速射撃しようと言うのだろう。あれだけの量を浴びたら身体が蜂の巣になるどころか、肉塊になり果てることだろう。
学校外での幻想展開を禁じられている身としては何もできない。しかも、地下に魂を込めた人形がない以上、展開出来るかどうかすらも怪しい。
命運ここで尽きるか。
轟音を立てて、骨が一斉に発射された。ガラスケースなどを打ち砕く音が響いた。
僕は目を瞑った。もう終わりだ。リアルが充実しない一生だった。
あれっ。
死んでない。
しかも痛みもない。どうしたのだろう。
「俺を忘れて貰っちゃあ困るなあっ!」松山だ。
眼を開くと、驚くべき事が起こっていた。目の前に壮大な曼荼羅の模様が浮かび上がっていたのだ。こちらに向かって射撃された骨が全て曼荼羅の中に吸い込まれる形で浮き、停滞していた。やがて力なく、骨が床に落ちていく。
「貴様っ!」橘さんは吠えた。
松山はびしょ濡れでここまで走り込んできたようで、息を切らしていた。
「遅かったじゃないか」僕は叫んだ。
「わりいわりい、だが、噴水の底にこんなものを見付けちゃな」
その片方だけの手に握られていたのは髑髏だった。まだ綺麗な骨の色を保っていたので、新しいものだと考えられた。
「貴様ぁ、アタシの骨をっ!」橘さんは怒鳴りながらこちらに駆け込んできたが、曼荼羅によってはじき飛ばされた。
「お前、なんで幻想を使えるんだ」
「こんな時のために、前以て展開しといた。もちろん学校でな。ただ、あんまりはもたねえ。二時間続けばいいところだろうな。その間に、お前らは学校に早く戻れ。そこまで行けば勝機はある! 俺はこいつをそこまで誘い出す、後は任せろ」
「松山!」
「友達だろっ、なんか水臭えが」と松山は鼻を掻いた。そして、髑髏を丁寧に床に置くと、懐から義手を取り出し、それを装着する。
「さあ、一戦行こうじゃねえか、骨女っ!」
僕は蹌踉めきながら起ち上がった。
「龍くんっ! 一緒にっ」と篠田は叫んで、僕の手を掴んだ。
二人はエスカレータを突っ走り、廊下に出た。他の客が迷惑そうにこちらを睨む中をただただ喘いで駆け抜けた。
博物館を出てもなお走り続けた。
逗子の風景なんか見ていられる暇もない。駅まで辿り着いて一息吐き、振り返る。
遠方の自然史博物館から、物凄い爆発が起こった。
建物の天井が突き破られて、そこから一匹の竜が飛び出してくる。
確かにそう見えた。しかし、その竜は血肉を持たなかった。
それは様々な恐竜の骨を合成して作り出された存在だったのだ。
頭部はティラノサウルスから借りてきていたし、首はさっき篠田が見ていた首長竜のものだろう。羽根は二対の翼竜の骨が使われて合計四枚である。到底それだけでは飛べないように思えるが、骨の中の込められたと言う魂の力によって幻想が展開されていたのだった。
腕部は草食恐竜のものが使われているように見えたが、遠方なので分かり辛い。他にも名状しがたい幾つかの骨が、容易には分解されないよう緊密に合わさっていたのだった。
その首元には一人の女性が跨がっていた。橘さんだ。苛立った調子で辺りを見回している。
「クソガキがあっ! どこにふけやがった?」
竜はその巨躯を震わせ、尾を左右交互に振って何かを探していた。それは容易には見つからないようだった。
ただ僕らはそれを直ぐに発見することが出来た。竜の直ぐ傍らに小さなものが何か浮遊しているのだ。
それは蓮の蕾だった。
松山だな。何となく分かった。曼荼羅からの連想である。
「おー、ここだぞ」
ふざけた感じで蕾は竜の周りをちょこまかと跳ねた。
竜はそれに噛み付こうとした。ところが蕾はするりと抜けて向こう側にいってしまう。 上手いこと高校まで誘導していってくれてるようだ。
僕らは改札に切符を通した。
今は一大事だというのに、こんな風に電車に揺られて悠長にしていいいのだろうか。
暫くして走った疲れが収まると、まず僕はそう思った。
「龍くん……」篠田が力なく言った。その顔は青白くなっていた。走って疲れたのだろう。貧血の症状を起こしたようだ。そのまま凭れ掛かってくる。
前もあったな、このシチュエーション。だが今度の篠田は本当にしんどそうである。唇の色はなくなり苦しそうに喘いでいた。
と、篠田は舌を出した。
舐められている。
僕の頬が舐められている。というより、骨によって付けられた傷口が。
震えを感じながら、身を固くした。最初は弱々しい動きで、やがて血を飲むと、より元気になって篠田は僕を舐め始めた。
「れろおおっ。おのちょおしでくちひるも……」何かそれと一緒に叫んでいる。
「止めてくれよ、もういいだろ。ここは列車内だよっ!」
遠くの乗客が恐ろしく引いた眼付きでこちらを眺めていた。眼が合うと、急いで逸らされた。
僕は何とか篠田を引き離す事に成功した。このまま許していたら、確実に唇を奪われていただろう。
篠田はすっかり元気になっていた。
「いつもちょっとだけなんて、龍くん酷いですのっ! たっぷり血が欲しいですのっ」
「もう十分飲んだだろうが!」思わず怒鳴ってしまった。
「んひっ、龍くん怖いですわっ!」本気で怖がってはいない声である。
傷口を触ってみた。やや渇いてきていたのに、血が再び流れ出している。篠田の涎がべっとりと掌に付いた。
「龍きゅうんん……」
「ところで」突然姿勢を正して、僕の方を見詰めてきた。まるで賢者モードに入ったかのようだ。
「なんだよ」
「恐竜の竜の字って、龍くんの龍の字と違いますわ」
「そうだけど、何か?」
「何故龍くんは竜って書かないんですの、ノートとか見させて貰ったのですけど」
「なんだって」
「龍くんの鞄の中にあるものは皆チェックしてますわっ。わたくしだけじゃなく、由良さんもタネさんも同じ事をやっているのを見ましたわっ」
おいおいおいおい。何、人のプライバシーを侵害してくれてるんだ。
「どうしてですのっ?」
「竜ってなんか、ドラゴンって感じじゃなくて、カメに足が生えたみたいじゃないか」
嘘だった。実は小学生まで僕は普通に『竜』
と書いていたのだ。中二ぐらいから『龍』と難しい字を使うようになったんだ。
察してくれ。
「字に拘りがあるのですのね」変に納得したのか、篠田はコクコクと首を動かしていた。
うわあ、信じちゃったよ……。




