第四章 『惨虐性』と『偽計』(3)
その後、僕らはジュースを飲み、晩飯としてピッツア(SMバーの癖にこれが結構美味かった)などを食べた。
気が付いたら二十三時を越えていた。これから車で鎌倉市に向かうとなると、到着は一時を越えてしまう。
「夜道に一人で帰ると怖いですわ」と股を合わせ、身を捩らせる篠田はなかなかの貫禄である。あれっ、前に終電に間に合わせるとか言ってたのは誰だっけ。
おかわり? 勿論していた。ピッツア五枚を平らげ、コーラは十杯である。柴田先生の自腹で。
「弱虫ね、今時小学生でもそれぐらいの時間一人で出歩くわ」と由良は相変わらず毒舌である。こちらは反対に食べる量は少ない。ちなみに頭を使う際には絶えず空腹でなければいけないと言うのが由良の持論である。
種村と言えば、まだピザを一切れ残していた。とんでもなく食うスピードが遅い。何か考え事でもしているのかと思わされるほどだった。
「連れてきた責任もありますし、私が宿代を出すしかないようですねー」と柴田先生が囁いた。既にニコチンの隷奴と化し、灰皿には吸い殻と言う名の亡骸が幾つも並んでいた。
なんというか、こういうとこは非常に気っ風のいい先生なのである。あの陰気な授業さえ改めれば、もっと人気者になれるのになあ……。
幸い、僕も由良も篠田(この時訊いたのだが両親は岐阜県在住らしい)も種村も親に連絡する必要はなかった。
――しかし案内されたのは安っぽいビジネスホテルだった。
寝具にはたばこの臭いがたっぷり染みついている。柴田先生は構わないのだろうが、未成年を泊める場所としてはあまりにもお粗末な場所ではないだろうか。
とは言え、僕は疲れていたのか、ベッドに倒れ込むと暫し眠り込んでしまった……。
はっと気付いて時計を見ると、AM0時ジャストだった。それほど寝てはいなかったらしい。
まあ、一風呂浴びるか。洋式だが。
と、寝台から降り立つと、その下から手が伸びて、僕の足を掴んだ。思わず転びそうになった。
これが幽霊というやつか。
だがすぐに顔がぐいと突き出されてきて何者だか分かる。
種村だった。相変わらず無表情だが、眠そうな目付きになっている。
「何でこんなところに?!」
「種村、一度夜這いしてみたかった」
おそろしい子! あっさりと物騒な事を言う。
「種村、暗いところ嫌いじゃない。何時間でもいれる」
「目が悪くならないのか?」
「ならない」
「風呂いって寝ろよ」あらかじめ申し添えておくが、自室に帰って、と言う意味である。
「種村温泉がいい」
会話が途切れそうになるところに、
「んほほほほほほほほほほほほほほほほほほほっ!」と天井から声が響いた。
ビビって見上げると篠田が守宮のように張り付いていた。
目を擦ったが、やはりそう見える。よく観察すると嵌めている手袋と穿いている靴下には粘着剤が塗られており、それで天井に張りついたと考えられた。
「どこから入ってきたんだよ!」僕は叫んだ。
「窓からですわ!」
見ると窓が開きっぱなしになっている。ガラス戸が壊され、内側から鍵を外されていた。
こ、これは、はんざいこういですぞ。
どうも、思い込むと余り考えずにやってしまう面も持ち合わせているらしい。
「わたくしも夜這いに来たんですわっ!」
「……」呆れを通り越して、言葉が出ない。
「さあっ、真夜中の民族学を始めますわよっ!」
と、篠田は動きを始めたが、でかいお尻を突き出したまま、
「うっ、ぬっ、抜けないっ! 抜けないですわ!」とか呻きだした。何度も屈伸を繰り返しているが、やはり動けないようだ。
「どうしたどうした」
「粘着したままとれなくなったんですの。さっきまでそんなことなかったのに、どうもおかしいですわっ」
そりゃ、常識的に考えて長時間ずっと張りついていたら渇くでしょ。どういう類いの粘着剤を塗ったのかよく知らんけど。
後先考えないバカが一匹。
やれやれ。僕はベッドの上に起ち上がってその篠田を天井から降ろしてやる事にした。
粘着剤はもうスッカリ渇いてなかなか取れにくい状態になっている。
しかも、天井の各所に点々と付いていて、一部では手の形に塗装がはげかかっていた。
ぐにょっ。
大きなお尻が身体に当たる。とても柔らかい。そして温かい。たぷんとした肉が揺れている。篠田はパジャマの短パンしか穿いていない。
先ず手袋を外して指先が桜色に染まった両手首を自由にしてやる。意外に長くすらりとしている。
続いて両足に取り掛かった。
太腿の艶がぷるぷると光っている。急激に運動したからだろう、汗も滴っていた。
足首もほんのり桜色を帯びていた。皺も少なくつるんとしていた。片方を下ろしたその瞬間である。
「だ、に、ぐ、があああがああ!」
怒鳴り声が深夜のビジネスホテルの廊下に響いた。
ドアが蹴り上げられて、留め金が弾け飛び、見事に真っ二つに砕け、全壊した。
怒りに燃えた眼で由良がのしのしとはいってきた。その両手は憤りの余り震えており、顔は修羅の如くであった。
そしてどこから取りだしたのか箒を凄い勢いでこちらに放り投げてきた。
僕は辛うじて避けたが、柄がベッドに足を降ろしたばかりの篠田のミゾオチへと命中。
「グエッ」とか声を上げて蒲団の上に倒れ込み、その豊満な身体を七転八倒させ始めた。 「龍!」由良は叫んで、僕に飛びついてきた。
転げ回る篠田を足蹴にして、抱きつく。
僕の鼻の上でアホ毛がぴんぴんと跳ねる。くしゃみが出そうだ。
「大丈夫? 何もされなかった? ちょっと目を離すと、開いた窓があるばかりでもぬけの空になってたの」
そういう由良は薄緑色にみみずく柄のパジャマ姿で、やっと髪が乾いたというところ。シャンプーのいい匂いが襟元から漂ってくる。
「いや、別に何ともないけど」
由良の瞳から涙が一杯溢れ出した。
「ほんとに何もされてない? 大丈夫? 私、私、龍が、なんかされてたら、ほんとにどうしようっておもって、それで、それで、うっうぇええええええーん」
子供のように泣きじゃくり始めた。
僕はその頭を撫でてやった。
「やれやれ。これ以上、ホテルの人に迷惑かけんじゃねえぞ」
「ひっく、ひっく、はーい」こくりと由良は頷いた。
その姿は日頃のものとは似ても似つかず、素直で可愛いと思ってしまう。
篠田は枕に顔を埋め、胸を押さえ、なお苦しがっていた。
種村はどうしたかと見ると、ベッドの下から顔を出したまま、掌を胸に当てすやすやと眠り込んでいるではないか。
ホテルの職員さんが、驚き呆れた顔で壊れたドアから覗き込んでいた。
それだけじゃない。眠りを覚まされた他のサラリーマン風の客達もえらく苛立った顔でこちらを睨み付けていた。皆、朝が早いのだ。
僕らが平謝りに謝ったのは言うまでもない。




