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シブサワくん家で午後五時にお茶を  作者: 浦出卓郎
第二章 きんしんぞうお

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第二章 きんしんぞうお(3)

 コツコツコツコツコツ。

 外から軍靴の足音がまた聞こえる。

 生徒会代表三島由綺のお出ましである。

 「昨日の今日というやつだな、ね、澁澤」

 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の中の一シーンのように、煙がしゅうしゅう床から立ち上る中で、三島はにっこりと微笑んだ。焼け跡のイエスならぬマリアという感じだろうか。

 「篠田君は君に敗北した。それは確かに間違いがない」軍帽に手を当てて、やや斜めに方向調整をしていた。

 「偶然だろ。そうじゃなきゃ死んでいた」僕は吐き捨てるように言った。

 「三島由綺っ!」簀巻き状態のままぴょんぴょん跳びはねて由良は言った。四方犬がその周りをグルグル回っていた。「あんたねえ、あたしに挨拶ぐらいしなさいよ」

 「篠田を倒したのは澁澤だろ。ああ、君のアドバイスがなければ勝てなかったというのかな。それはそうだ。澁澤はまだ何者にもなっていないのだからね。君のような幼馴染みのバックアップはいるだろうさ」快活な調子で言ったのだが、それが由良を切れさせた。 

 「スカした言い草! 大体あんた生徒会長だか何だか知らないけど、この学校の全権を握っていられるって何かおかしくない? 私たちと同じ一生徒でしかないくせに」

 確かに鼠花火だ。

 「ぼくはぼくを倒す事が出来るやつにはいつでも全権を委譲するつもりでいるよ」と三島は言い放った。

 これはぐう(の音が出ないほど)正論だった。由良は三島の能力を読む事が出来る。圧倒的な実力を持つことはそんな能力のない僕にすら分かるほどだ。

 「だけど、だけど」由良は巻かれたまま頭を下に落として文句たらたらだ。四方犬がそれをぺろぺろ舐めていた。

 「ところで、篠田君だが、君らはどうするつもりだね? あのまま放置していると近いうちに死ぬよ」

驚いて僕は振り返った。簀巻き状態の由良は見る事が出来ない方角だった。

 しかし見ない方がいい。余りにも酷い状態だからだ。

 体育館の一隅に人型の皮のようなものが横たえられていた。その隣りに黒焦げになった竹刀が置いてあった。

 皮膚には焼け焦げた残骸が纏わり付いていたので、これが制服の切れ端なのだろう。何とか身体の部分を再構成しようとしたのだが、間に合わなかったと考えられた。

 皮膚の色は若干白桃色に思わせたが、内側は透けて見えた。心臓らしき赤黒い肉塊が盛り上って、トクトクと動いていた。普通なら止まっているはずなのだが、この辺りが幻想というやつの妙味なのだろう。まだ苦痛を与えられ続け、充分に生かされているという印象を受けた。

 即死ならば救いがあるが、緩慢に苦しみながら死んでいくのは耐えがたい。

 「なんなんだ、これ?」不快さを抑えながら言った。

 「見ての通りさ。『五箇条』の話は流石に聞いてただろ? 『幻想展開をし、受けた精神的乃至肉体的外傷は全て己の責任のみとすべし』だ。篠田君はその通り、肉体的外傷を受けた。だがそれは彼女の責任だ。まあ完全に死ぬまで三時間ぐらいだろうか。その状態じゃ」

 「どうすることもできないのか」

 「どうすることもってどうしたいのさ? 君を殺しに掛かってきた相手だ。自業自得というやつじゃないか」

 「だからといって一応知り合いが、こんなことになって、それを見殺しには出来ないだろ!」我ながら声が異様に震えているのが分かった。

 「ないこともないよ」

 「なんだ! 教えてくれ」

 「龍、なにいってんのよ。そんな駄肉ほっといてさっさと帰りましょ」由良は言った。

 見てないからそんなことを言えるんだ。

 「君がどこまで幻想を使えるかにもよるな。話は簡単だ。君の血を、その心臓へと落としたまえ。小夜啼鳥ナイチンゲールは己の血を注ぎ込む事によって薔薇を真紅に染めたが、君は心臓に血を注ぎ込むことによって、彼女を元に戻すことが出来るかも知れない」

 「やるよ! やればいいんだろ、それで篠田が助かるなら」

 「龍……」由良が情けなそうな声を上げた。四方犬が哀れげに吠えている。

 「その言やよし、刀をやろう」と言って三島は腰に下げていた脇差を手渡した。 

 おっかなびっくりそれを受け取った。しずしずと鞘から抜き払うと、鋭利な光がギロギロと目の前で輝いた。

 「ちょっと当てるくらいにしな、ね、澁澤。全部切れてしまうから。左手の薬指にしたまえ。心臓に直接繋がる指だと慣習上は言われてるからな。結婚指輪もそれだろ」

 「けっこん、ゆびわあああっ!」なんか由良が叫び声を上げている。

 だが今はそれどころじゃない。思いきって左手の薬指に刀身を当て、軽く引いた。途端に傷口が開き、血が溢れ出る。

 腥い臭いがプーンと空気中に漂った。

 途端に三島の瞳はきらきらと潤み始めた。朱が指した頬を両の掌で抱きしめるように持ち、肉厚の唇を開け放っている。恍惚のポーズだった。

 「これだ……血の匂いだ……」感極まったような声で叫んだ。

 痛さよりも三島のここまでのリアクションにびっくりした。

 だが、今はそんなことに構ってはいられない。

 僕は篠田の元に近付くと、その心臓に向かって、己の血を注ぎ込んだ。薄い皮膚越しであってもそれはゆっくりと中に染み込んでいくように思われた。

 「さて、どうだろう、ね、澁澤」

 変化は直ぐに来た。心臓から血管が伸び出て広がっていく。皮が僅かに盛り上がり、姿を隠していた各種の臓器が少しづつ形成されていった。肉がそこに流し込まれたように満ちてきて、瞬く間に皮膚の下で波打ち始めた。

 そう、現れたのは全裸の女だったのである。 

頭がクラクラしてきたぞ。

 鼻血が出そうだ。少しの欠損もなく、篠田の身体は元通りになったのだ。

 それにしてもこの乳は。

 先までくっきり見えるではないか。

 この草叢は。

 目の毒過ぎるぞ。僕はブレザーを脱いで、その上に掛けてやった。危ない危ない。由良は簀巻きでなくてもそんな配慮はしないし、三島は到底するとは思われない。僕がやらなければ。

 篠田は何も知らず瞼をしっかり閉じている。呼吸の音もやがて聞こえてきた。

 一安心だ。死んでしまったら、後悔が残り続けただろうから。

 「龍ー!」由良が呻いている。あのままの状態にもしておけないな。僕はそちらに近付いて布ごと由良を縛っていた紐を脇差で全て切り離した。

 軽くたたらを踏みながら、布から飛び出すと、由良は元気にちょこまかと体育館中を走り回った。特に焼けているところは、ジャンプで飛び越えながら。じっとしているのが余程苦手らしい。

僕は元の場所に戻って三島に脇差を返す。

 「君は案外器用だな、ね、澁澤」三島は鞘に収めた刀を受取りながら言った。

 「折角だから使わないと損だろ」

 「ハッハッハ、そこまで機転が効かないやつも多いんだよ」三島の高笑いが響いた。

 「龍、もうさっさと行きましょ。こんなとこに用はないわ」由良は叫んだ。

 と、その時篠田が目覚めた。僕はそれと眼が合う形になった。直ぐにその頬には赤みが昇った。

 「んはうううっ!」篠田は呻いた。

 「わたくし、一体……」

 「大丈夫か、何かおかしな事になってないか?」

 「胸が苦しいですわ、澁澤くんの顔を見てると心臓が痛いですわ……」髪の毛を掻き上げ、魘されているような口調で言ってくる。風呂上がりのような顔付きである。

 「心筋梗塞か? どうしたんだよ」

 三島がまた笑い声を上げた。

 「澁澤、君はもう一人前に『重症者の兇器』を振るえるようになったんだな。見事な価値観の顛倒が行われたんだよ」 

 へっ? どうしたんだろう。僕は見詰めた相手に胸痛を起こさせる能力を会得したという訳だろうか。でも、それで何かが変わったというのか?

 「やはり君はウブだな。よろしいならば保健室だ。無事に送ってやりたまえ。体育館? それはこちらで何とかしよう。そうだな、十分もあれば何とかなりそうだ」

 オーデマ・ピケを確認中の三島に促されるまま、僕、由良、篠田の三人は外に出た。四方犬は飼い主に付いてくる。

 廊下を歩きながら。

 由良はやたら不機嫌だった。唇の先を尖らしてぶーぶー言ってる。

 「龍、なんで自分の血を駄肉に与えた訳? わざわざ指を切ってまでして」

 まだ指先が痛い。保健室でこちらの方も処置して貰う必要性があるな。

「それはさっき言っただろ、後味が悪い思いなんてしたくないからさ」

 「でも、全部否はそいつにあるのよ? 龍は何も悪いことしてないし、私もひどい目に遭ってるし」

 「まあそんな事もないさ、そもそもこいつを挑発したのはそっちだしさ」

 「そりゃ、そうだけど」

 篠田はすっかりおとなしくなって廊下を歩いていた。

 息を呑んだ。男物のブレザーでも合わないほど篠田の身体はデカかったのだ。

 普通は股間ぐらいまで隠せるのだが、ギリギリでお尻が見え、余った肉が下にせり出していた。勿論太腿は全開で見えている。

 「やーい、半ケツお化け、妖怪腿出しー」と由良は冷やかす。 

 しかし、篠田は言い返してこない。これはよっぽどだな。

 「大丈夫か?」

 その背中を軽く叩いてやった。するとびくっと電撃が走ったように震える。

 「んあうう!」

 篠田は前のめりに倒れそうになった。僕は若干ドキドキしつつ、それを後ろから腕を入れて押さえてやった。

 あっ。

 たっぷりとついた肉が密着する。何て柔らかいんだー。

 俗にウォーターパッドなるものがあるらしいが、その感触はこんなものなのだろうかと考えてしまったほどだ。

 つい、いい気持ちに浸っていると、後ろの方でメラメラと燃える炎を感じられた。

 ここではサラマンドラを呼び出してはいないはずだけどなあ。

 違った。由良の頭の上で炎がメラメラと燃えているのだ。

 「り・ゅ・う!」

 拳骨で頭を殴られた。だがそのままどうして良いか分からずあたふたしたままでいると、体勢を立て直した篠田が思い切ったように言った。

 「あのう、由良さん、わたくしのことは幾ら言ってもいいですわっ。でも澁澤くんに無駄な暴力を振るうのはやめていただけませんこと」

 どうしたことだ。こいつからこんなセリフが出てくるとは。

 「なんとしてもやめていただきたいんですの。わたくし全力で澁澤くんを守りますわっ」 

 僕が驚いて腕を退けると、篠田はそこから走り出て、由良の前に立ちはだかった。

 「一度たりとも澁澤くんに触らないで下さいませ」

 二人は顔を近付け、睨み合った。

 「何よ、駄肉風情が! 最初に龍を倒そうとしたのはそっちじゃない」

 途端に篠田の顔は曇る。罪悪感に打びしがれているようだった。

 「もういいだろ。過去の事は蒸し返さない。俺はもう篠田を許した。それでこの一件はおしまい」

 篠田の顔が輝いた。

 「澁澤きゅううん」甘い声で言う。

 由良は不満タラタラでいった。

 「まあ、龍が言うなら、もう私はいいけど……」

 保健室に到着。机で書類の整理をしていた養護教諭の式場隆が驚いてこちらを振り返った。

 三十代独身で「おたかさん」の仇名で呼ばれている。少し古風な話し方をするが、白衣を着たボブカットの普通の女性であった。

 「おやおやまあまあ、こんな時間にまた大勢で、何かようかね」

 「ちょっと友人が貧血を起こしまして。それに僕も怪我をしたんですよ」

 「そりゃあ大変だねえ。手当てしてあげよう。しかもこの娘さん、裸じゃないかね。服はどうしたね?」

 「それが大人の事情がありまして」

 「ほほう、そうか、なるほど年頃だからねえ」式場先生は鷹揚に微笑んだ。

 「ちがう、そんなんじゃないですっ。こんな駄肉オンナと! 龍は断じてそんなヤラシイ仲じゃないです」

 何を思ったのか、由良は顔を赤くして、両手を上げてぶんぶん振り回しながら叫びだした。

 「まだそこまでいってないと、最近の子にしては珍しいねえ」

 式場先生は僕の左手薬指に手当をしながら、 

「それにしても大きな切り傷だね。何か刃物のようなもので傷つけたのかね」と聞いた。 

「ええ、実はちょっと工作してまして……」

 「そもそも駄肉は貧血じゃないし、龍も工作なんかっ……」由良は正直に叫びだしそうになったところを後ろから篠田に手で押さえられた。

 似たもの同士だが、頭が回転するのが由良で、とっさの機転が利くのが篠田という訳で一長一短である。

 「ところで、澁澤君は幻想建築に興味があるかね」

 「何ですかそれは」

 「ピラネージの版画、モンス・デジテリオとかの絵のようなものもあれば、フランスだとシュヴァルの理想宮、日本でも二笑亭のようなもんがあるでよ」

 「そういえば前に図版で幾らか見たことがあります」

 「自分の頭ん中の妄想を、そのまんま現実に顕しちゅうと言う神をも恐れぬ所業さね。そもそもそんな建築不可能なもんをなぜかこういう人らは現実に作ってみせるもんよ」

 なるほどそれが幻想展開か。僕は頭の中で手を叩いた。そういうことを試みた人は有史以来数多くいたんだ。

 「ただ、日本だとすぐキチガイキチガイいうて、取り壊しおるからな。絵の人らは勿論、シュヴァルも残ってるんだが、二笑亭だけは現存せん。本にもったいない、もったいない、もったいない、もったいない、もったいない……」

 と、物狂いにも思われるほどに式場先生は繰り返し残念がっていた。もったいないお化けが出て来そうだ。

 「この学校はそれらと比べて遥かに見劣りするけんども、何か不穏な空気はビンビンに感じるもんよ。外観と言うより、その底からさね」

 些か気になるセリフだった。

 そう言ってるうちに指の治療は終わり、綺麗に包帯は巻かれた。

 「そういえば澁澤君、君に話したいことがあるんよ。ただ、今はちょっとね」

 「えっ、なんです?」

 先生は顔を真っ赤にしている由良の口をなお押さえ付けている篠田を眺めると、凄い速い動きで首を反転させ、僕に耳打ちした。

 「可愛い生徒会長さんの件で」

 なんだというのだろう。三島由綺と式場先生はどういう関わり合いがあるのだ。

 式場先生は篠田に予備の白衣を貸し与えると、寝台に寝かせ、僕と由良を外へ送り出した。

 「私は初めて会ったわ。変わった先生ね」自分の事は脇に置いて、由良は客観的に言った。

 「おたかさんはこの学校ではまともな方だよ」僕は言った。 



 部室に戻ると、もう種村は『詐欺師の楽園』を読了していた。今はスマホでネット検索をしているようだった。

 既に十八時半になっていた。

 「結局今日も部活できなかったな。と言っても本を読むだけなんだが、今のところ」

 「部員が集まればね」由良は業腹ぎみに呟いた。

 「種村は今のままでもいい」相変わらずそっけないやつだな。

 ともかくこれで帰りましょうか。

 「そうだ。部長は誰にする? まだ決めてないとか笑われるぞ」

 「それなら私に決まってるわ、副部長は種村で」

 僕は平かよ。

 「さいですか」

 「篠田には大丈夫かってメール送っとくよ、前に聞いたあのアドレスでいいんだっけ」

 「駄肉のメアドなんて知らないわよ」妙に苛立った声だった。

 敢えて教えないようにしている訳ではないだろう。見ての通り、由良は正直者なのだ。

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