迷い
西灯警察病院
1階ロビー飲食可能スペース
朝の面会時間前なので、動物はほとんどいない。
院内コンビニも閉店している。
「おはようございます。
警部」
シンバルが椅子から立ち上がり、挨拶する。
「早いな。
昨日は休みじゃろ。
家族との時間は1秒でも長くとれ」
典巻が言う。
「警部。
家族の時間は量より質ですよ。
朝飯はお済みですか?」
「儂も昔はそう思っていたよ。
朝飯はそこのコンビニで買おうと思ってな」
「まだ閉まってますよ。
おにぎりどうです?
娘が握ってくれたんですよ」
「では、甘えようかの」
典巻はシンバルの隣一人分空けて座る。
シンバルが二人の間の席に巾着を置く。
典巻が除菌シートで手を拭いていると、シンバルがラップに包まれたおにぎりを差し出した。
とても綺麗な三角形だった。
味付け海苔が3方向から貼られている。
「娘も随分上達したでしょ。
将来は弁当屋になりたいって言ってます。
おかずも娘の手作りなんです」
シンバルがニカッと笑う。
嬉しそうに娘の話をする部下に相槌を打ちながら、典巻はおにぎりをかじる。
シャリシャリとリンゴの酸味が白米と混じる。
バナナの唐揚げを箸でつまみ口に入れる。
割り箸と取皿を二人分出してきたあたり、始めからこのつもりでシンバルも早く来ていたのだろう。
「また、嫁さんと娘にも会ってやってくださいね」
シンバルはにこやかに言った。
ロビーは静かだった。
シンバルはスマートフォンで連絡事項の確認をする。
ペットボトルのお茶をゴクゴク飲み干す。
「タグが無事に戻ったみたいですよ」
シンバルが言った。
「そうか」典巻は返した。
◆◆◆
キャンディが貸すことのできたタグの枚数は、4枚だけだった。
典巻は部下に捜査をさせ、最終確認時に、タグをつけた自分・シンバル・未来が対応するという手段を取った。
部下達は「関係ないモノを調べてどうする?」という様子で3人を見ていた。
並行して、もう1つの壁に、典巻はぶつかっていた。
行燈山施設と灯キ協に関する資料が全て第1ブロック公安管理となり、入手出来なかったのだ。
表向きは連携を図るとしているが、第1ブロック公安は他ブロックを見下し、まともに協力しない。
加えて、灯キ協関連は自分達に都合悪いからだろう。
わざわざお固い言葉で「口を挟むな」と通達までした。
くだらない理由で捜査が出来ないことに、典巻は怒りを超えて呆れていた。
その時、ある動物から連絡が入ったのだ。
◆◆◆
西灯警察署
屋上
※時系列は先骨を逮捕した日の夕方。
典巻はスマートフォンでテレビ電話をかける。
『はいよ』
画面に写ったのは雄ハツカネズミだった。
毛並みが老いた雰囲気を伝える。
ワイシャツとスラックスを履いた全身が写っている。
物干し竿のようなものを持っているが、それはタッチパネル用ペンだった。
「典巻です。
身体を小さくしてるんですね」
『見逃してくれ。
年を取ると10倍も身体をデカく維持するのはキツい。
室内では、こっそりこうしてる』
雄ハツカネズミはペンを持ち上げ、スマートフォンの隣に立てているらしいタッチパネルを叩いた。
『で、何か用か?
タグは明日発送で包み終えたぞ』
「本日が最後だと聞いておりましたので。
ご挨拶にと思いまして」
『フン。
定年直前に、あんなに怒られることも中々ないわな。
俺一人の責任で、部下に迷惑かからないようにしてもらうさ』
「本当に、この度はありがとうございました。
警部が我々に行燈山の資料を渡してくれなければ、ここまで辿り着けませんでした」
雄ハツカネズミは、第1ブロック公安所属だった。
行燈山騒動後すぐに情報請求したが、あっさりと退けられた。
何度も試みても第1ブロックは見向きもしない中、彼の方から典巻に連絡してきたのだ。
典巻はハツカネズミに残り1枚だったタグを渡した。
行灯での情報収集は主に彼が行った。
『おかげで退職金はかなり減ったがな。
海外旅行の日程を減らさないといかんわ』
ハツカネズミはヒヒヒと笑う。
だがすぐに表情を変えた。
『典巻さん。
俺はあんたをまだ許しちゃいないよ。
自分より先に死ぬ同期がいるなんてね。
考えられないよ。
タノイチは良い奴だった。
研修生の頃、一番小さくて細っこい俺ともあいつは親しくしてくれた。
あいつは将来もっと活躍出来る男だった』
典巻は頷く。
『保護区のキメラは消滅。
ダイダイ主犯容疑で先骨先生逮捕。
これで終わりじゃねぇからな。
特に先骨先生は手強いぞ。
とことん法の下で悪事を暴いてくれよ。
それがタノイチへの弔いだ』
「もちろんです。
勝負は、これからです」
典巻は強く強く答えた。
◆◆◆
西灯警察病院
1階ロビー飲食可能スペース
※場面戻る
「逮捕から3日経ちますけど。
先骨先生への反応は保護区キメラよりもデカいですね。
マスコミですら、フェイクニュースだと、警察のことばかり叩いてやがる」
「それだけ、あの先生が築いたものは巨大で深いんじゃな。
だが、世間がどう思おうと、事実は事実じゃ。
儂らが迷っちゃいかん。
行燈山含めてダイダイ案件は、第3ブロック公安が全面的に捜査することが改めて決まった。
この機は絶対に逃してはならん」
「そうですね。
動物用の催眠予防カードを軍から正式貸与されましたし」
背広の内ポケットから、黒いカードを取り出した。
キャンディから借りたタグと異なり、脳信号を監視されず、催眠発動する化けを察知するだけのものだった。
「そろそろ行くか」
典巻は使った箸などをビニール袋に入れる。
シンバルは空になった弁当箱の蓋を閉じた。
「ところで、警部。
あのタグも、このカードと同様に、ポケットとかに入れておくだけで、遮断効果があるんですよね。
何故、先骨先生のところへ行く時、わざわざ俺達に耳につけるように指示したんですか?」
シンバルはエレベーターの中で、足元の典巻に尋ねた。
「それはな。儂なりの敬意を示したかったからじゃ」
「あの、女王様へ、ですか?」
一瞬シンバルは朝に相応しくない想像をした。
典巻は笑いながら首を振った。
◆◆◆
典巻とシンバルは一人用病室に入る。
ベットの上に、痩せこけたヴァランがいた。
四足歩行姿で寝ていたが、典巻達に気付き目を開ける。
先骨と接触した記憶を戻した後、彼はそれ以上の記憶を探るのを怖れ始めた。
無理もない。
何を忘れさせられているのか、分からないのだから。
考えること自体が怖くなり、彼は生活意欲をどんどん失っていった。
食事もまともに摂らなくなり、身体を動かさなくなった。
「今日は少し顔色が良さそうじゃな。
先日のニュース速報は驚いたじゃろ」
典巻は椅子に乗る。
ヴァランは首を少し上げて、典巻を見た。
「君にとって、少し苦しい話をする。
君に破壊装置を取り付けた脳医者が西灯留置所に移ることになった。
儂らが取り調べをすることになっている。
そして、儂らの手元には、君のカルテ情報がある。
君からどんな記憶を奪ったか、分かるはずだ。
それに、まだ確定ではないが、破壊装置の取り外しも出来るかもしれん。
今、ウチの脳捜査チームと調整中だ」
ヴァランの瞳に、再び光が戻る。
「記憶が戻ることは、恐ろしいと思うかもしれない。
しかし、その中に、君の黄歴史研究の成果もあるらしい。
破壊装置を取り外して、テキスト記憶として戻せば、君は再び研究を続けることが出来るはずじゃ」
ヴァランの身体は少し震えている。
「君がしたことの罪は大きい。
でも君なら、罪を償いながら学問を究めることだって可能じゃ。
装置を外す手術を受けるには、体力をつけてもらわないといかん。
まずは食事を摂るのじゃよ」
ヴァランは頭を下げる。
小さく呟く声で言った。
「ありがとうございます……」
完結まで残り2話位になりました。
典巻さん登場はこれで最後ですね。
お疲れ様でした。