治療 ☆
灯のと中央生態保護区
自由観察圏内
陸稲は四足歩行姿に戻る。
身体が小型自動車程の大きさに膨らんだにも関わらず、服は一切破れない。
大型動物専用の加工服だと知っていても、着たまま元に戻る様は、滅多に見るものではないので、サゴシも思わず声を上げる。
餡は陸稲の背中ポケットに入って横になった。
左腕を外に出している。
腕全体が赤くなっていた。
長時間発動し続けた腕にはまだ余韻が残り、陸稲の黄色いダウンの表面がチリチリと焦げていた。
サゴシは陸稲の首上に跨がり、ダウンの襟を掴む。
後ろで寝る餡を視認した。
陸稲は四足で走り出す。
速度は原動機付自転車と同じくらいだ。
身体強化して走るよりは遅いが、歩いて帰るよりもはるかに早い。
何より楽だった。
サゴシは灯のと中央生態保護区に来るのが初めてだった。
興味深く周囲を見渡す。
北島の方が広々とした印象だが、山が近い分ここも非常に迫力があった。
サゴシは束の間の観光を楽しんだ。
「強化しない場合、四足歩行の方が速いんだな」
サゴシは陸稲に声をかけた。
「ヒト以外の大半の動物がそうだ」
陸稲は返す。
「確かに。
ヒトが四足歩行姿に化けられたら、世の中の効率はもっと上がるかな?」
サゴシはフフッと笑った。
『
凄かったですね!
本当に良かったぁー!
これで公安に良い借りが出来たわ!
若葉、今日休みなの後悔しそう!
セロリからあの映像のコピー頼めないかしら?
今晩呑みながら、もう一度観たいわ。
』
突然タグ通信で、複数の雌の声が入ってきた。
聞き覚えのある声達だ。
『そろそろ静かにしなさい。
今こちらのマイクをオンにしたのよ』
『
ええっ?!
少佐、先に言ってくださいよ!
』
サゴシの口元が緩む。
『サゴシ、応答しなさい』
「こちらサゴシ。
俺と陸稲は問題なし。
餡が化けの発動で疲弊している」
「問題ない」餡がすかさず言った。
振り向くと、右手で携帯栄養ゼリーを吸っていた。
「今は管理センターに向かっている。
残り数分で到着する。
以上だ。少佐」
『分かりました。
よくやりましたね。サゴシ』
キャンディの声は穏やかだった。
「実行したのは餡ですよ」
『その指示をしたのは貴方です。
あと1時間程で夏達が到着します。
着地地点は西灯中村付近なので、センター到着後、身支度してに移動しなさい。
ブランマンジェは、貴方達の記憶を消してから、正面玄関に行かせて、警察に引き渡しなさい』
「承知した」
サゴシは通信を終え、管理センターを見上げた。
◆◆◆
灯のと中央生態保護区管理センター
正面玄関前
「今、正面玄関から動物が出てきました!
雄のサラブレッドと思われます!」
「嗅覚センサー復旧しました!
逃走中のブランマンジェです!」
ブランマンジェはパジャマ姿のまま、一斉に集まった機動隊に囲まれる。
「ブランマンジェだな。
お前を保護する」
隊員の一人が言った。
ブランマンジェは黙ったまま頷く。
目から涙が溢れ出していた。
◆◆◆
西灯中村飛行場
ヘリポート兼広場
特畜専門運搬プロペラ機を傍で、夏と冬が立っていた。
「来た!」
冬が道路ではなく山の方を指差す。
特畜達がガサガサと茂みから現れた。
「あー、やっとおネンネできるぜ」
タテガミが腕を上に伸ばす。
セロリとサエズリは、それぞれ陸稲とタテガミの背中に収まっている。
タテガミ、陸稲に次いで、サゴシと餡が進む。
夏と冬が到着したタテガミ達に声をかける。
サゴシは広場手前で立ち止まる。
「餡、お前は先に夏達のところに行け」
「駄目だ。
私にはお前の護衛任務がある」
餡はサゴシを見る。
左腕の赤みはひいている。
「命令だ。行け」
餡は黙って従い、プロペラ機の方へ進む。
途中で一瞬止まる。
嫌な視線を感じたのだ。
サゴシは周囲を注意深く観察する。
神経を集中し、僅かな気配を察知しようと試みた。
奴は動物を巻き込まない。
しかし、家畜は例外だろう。
餡達と距離を置いた方が良い。
攻撃は一度のみ。
化け能力者同士の戦いはこれからが本番だ。
サゴシは息を潜める。
奴を見つけられたら、自分の勝ちだ。
「あれ、サゴシどうしたんだろう?」
特畜達にドリンクを渡していた冬が言った。
夏がハッと気付く。
「サゴシ! 俺達から離れるな……!」
ドーン!
夏が言い終える前に、爆発音が響く。
爆風と砂埃が起きる。
サゴシがいた場所が煙で埋もれる。
「サゴシ!?」
特畜達もザッと構える。
煙が少しずつ薄れる中で立ち上がる影。
先程とは少し離れた場所に、サゴシはいた。
「ウウウ……。
あ、餡?」
サゴシは言葉を失った。
自分が居たはずのところに餡は倒れていた。
その姿は無惨だった。
左腕が裂けて骨が剥き出しになっている。
左側を中心に身体が赤くただれている。
顔には無数の破片が刺さり、鼻と唇が飛び散っていた。
「餡ーー?!」
サゴシが餡に駆け寄ろうとしたが、素早くタテガミが後ろから羽交い締めした。
タテガミの背中ポケットからサエズリが飛び出す。
二足歩行姿になり、餡の傍でしゃがむ。
「治します」
サゴシはハッとその声を聞く。
陸稲もやって来た。
「これより家畜番号HNT*********7号の緊急回復治療を行う」
サエズリは白いダウンを脱ぐ。
上半身裸の状態で両手のひらを合わせる。
バチバチバチバチ
背中の黄土色の毛並みが立ち上がる。
「隊長、空気膜を」
「承知した」陸稲は手を前に出す。
「安心しろ。餡は僕が必ず治す」
サエズリはサゴシを見て微笑んだ。
サエズリと餡は、空気膜に包まれる。
シャボン玉のように周囲を映すが、中は見えなくなった。
「餡?!」
サゴシは困惑して叫ぶ。
タテガミの腕を解こうと身体を動かした。
「ジッとしてろって!
大丈夫だ!
サエズリには俺達を治す任務がある。
それを実行する時の為に、普段は喋ることすらしてないんだ!
全ての化け能力を俺達の回復に費やす為にな!」
タテガミはサゴシを抑えながら言った。
それでもサゴシは落ち着こうとしない。
「サエズリなら餡を完璧に治すさ。
ミストレスから特に強く命令されているからな。
絶対に元通りに戻せって。
だからいつも餡にくっついて、身体の観察をしていた。
ムギもそうだっただろ!
完璧に化ける為に。
お前にずっとベタベタしてただろ!」
サゴシの動きが止まる。
舐められた頬の感触が蘇る。
バチバチバチバチ
膜の内側から破裂音が響く。
時折、白く光った。
スゥーと膜が下がり始めた。
白いダウンを胴体にかけられた、裸の餡がいた。
眠っているようなその姿は傷一つない。
美しい一枚の肌が、全身を覆っていた。
サエズリは傍で荒く呼吸している。
ボロボロになった毛並み姿のまま両腕を挙げる。
「なおしました!」
そう言うと、四足歩行姿に戻りながら倒れ、餡と横並びの状態で眠りについた。
サゴシもその場で崩れるように座り込む。
夏と冬がタオルシーツを持って来て餡を包み、陸稲と一緒に餡を運ぶ。
タテガミがサエズリを抱える。
「行くぞ」
サゴシは頷き、立ち上がった。
◆◆◆
兵機庁西灯支部
遠隔家畜管理用モニタールーム
「少佐! 元帥からメッセージです。
『サゴシの処分は完了。
結果、失敗』」
黒猫のマコが大きな声で読み上げた。
ダイダイ主犯疑惑で、先骨が警察の同行に応じたニュースが、速報で流れて間もない。
キメラ退治の報告もしたが、サゴシの処分が取り消されることはなかった。
「良かった……皆、戻って来るのね……」
キャンディは力が抜けたように椅子に座る。
デスクのキャンデー立てに、未開封が一本残っていた。
手を伸ばし、ビニールを外した。