意思
灯のと中央生態保護区
自由観察圏内、限定観察圏境界付近
イグアナのような風貌。
後ろ足だけで立つ体長約30メートルの巨体。
頭から腰下辺りまで鱗一つ一つを白い毛が覆っている。
黒く硬い5本の尻尾は大人しく地面に着いている。
頭頂部の突起物は後ろに傾いている。
右側は傷が気になるのか、あまり傾いていない。
巨体の頭頂部にいるサゴシと餡は、慎重にしゃがむ。
「耳の内側にケーブルを刺せ。
刺しても、俺が制御してるから、記憶の流入はしない」
餡はサゴシからケーブルを受け取り、尖端を耳に刺す。
サゴシもピアス穴に反対側の尖端を挿し込んだ。
「次はスピカだ」
サゴシは別のケーブルをタグに繋ぎ、片方を傷口に手ごと突っ込んだ。
グワンッ
右側突起物が回転した。
二人はサッとかわす。
「ウッ……!?」
その時不意に餡の脳内に映像が流れ込んできた。
明るいプレイルーム。
お気に入りの絵本を音読する幼い女の子。
場面が変わり、花々が咲く庭。
先程と同じ女の子が、一輪の花を差し出す。
《ぼったん、つぎはこれをおおきくしてー!》
「大丈夫か?」
サゴシの声に、餡はハッと気付く。
「問題ない」餡は応える。
「調整が出来た。流すぞ」
餡は目を閉じた。
◆◆◆
サゴシは、タグに入ったスピカの脳内情報を餡へ送る。
ケーブルを互いに刺しただけでは、記憶を取り出すことは出来ない。
専用機器を使う脳医師か、記憶の化け能力者だけが、ケーブルで取り出すことが出来る。
個体が異なると脳波も異なる為、タグを経由して、ヒトの脳に入りやすく調整する。
共通点がある者同士の方が、やり取りがスムーズにいく。
自分ではなく餡に繋いだのはその為である。
『二人の脳信号に異常は起きてない。
まだ継続して大丈夫だ』
セロリの声が届く。
脳信号が確認出来るということは、自分達の行動は全てキャンディ達が監視し、タグのデータ処理も行っているということだ。
スピカの西側の管理塔がある。
自由観察圏内に立つそれは、カメラを搭載している。
撮れた映像はキャンディ達にも届いているのだろう。
指示が出せない立場にあるが、見限った訳ではない。
サゴシは口元に笑みを浮かべた。
餡は瞼を下ろしたまましゃがんでいる。
その横顔からは相変わらず何も読めない。
「……ろ……」
餡の唇が微かに開く。
「楽に、なりたいなら……破壊させろ。
これは、動物の命令だ……。
お前は……家畜だろ。
家畜は、動物の命令に従う為に生まれてきた……。
お前も……そうだ……」
サゴシは出そうになった声を飲み込む。
餡がスピカに語りかけている。
「それがお前の意思か……。
承知した」
そう言った瞬間、餡はケーブルを耳から外した。
振り返らず、背中の突起部を伝って下降していく。
左手からバチバチと音が発している。
「餡?!」
サゴシはスピカの背中から見下ろす。
餡は跳ね、浮き上がった尻尾の1つに着地する。
それを何度か繰り返し、餡はスピカの右側部に移動する。
尻尾の動きはまるで、餡を案内しているようだ。
その場所近くで、餡は高く飛んだ。
手の平からの音が大きくなる。
指先まで力が入る。
身体を捻り、構える。
「ハァッ!」
スピカの右後足付け根のやや上に、餡は手を押し込んだ。
落下の威力も使いながら化けを発動する。
バチバチバチバチ!
周辺の鱗と皮膚が一気に抉れた。
ビルの壁の様な胴体に、餡が立てるだけの凹みが出来た。
餡はぬらぬらした肉の上に立ち、左腕の発動を続ける。
ジジジジジ……と焦げた臭いと煙が立ち昇る。
『餡が攻撃した部位からの出血がほとんどない。
変形核は移動時の内部出血を防ぐ為に、周辺の血管配置を変える。
出血が無いということは、変形核があるということだ』
セロリの報告がサゴシのタグに届いた。
キエエエエ!
スピカは激痛に鳴いた。
頭部の突起物も直立している。
しかし、大きく暴れる気配はない。
スピカは耐えていた。
「核は身体の奥にあるのか?」
サゴシが尋ねる。
『そう推測する。
しかしどれ位の深さかは、餡にしか分からない』
サゴシは頭頂部から位置を変えて見下ろす。
ここからでは、餡の様子があまり見えない。
『こちら陸稲!
サゴシ! 応答しろ!』
突然陸稲が通信を始めた。
「どうした?」
『すぐに餡の元へ向かえ!
表面の鱗の傷口が塞がれようとしている!
俺の空気操作では、力が足りない』
サゴシは息を飲んだ。
餡は変形核がある体内へ突き進んでいる。
出口の傷口が塞げば、彼女は閉じ込められる。
「承知した。
陸稲は引き続き遠隔でサポートしろ。
俺も引き込まれそうになったら駆け付けて、二人共引きずりだせ。
その場合、変形核破壊の確認はしなくていい」
サゴシはそう言うと、滑るように駆け降りた。
◆◆◆
生温いブヨブヨとした肉の中に、餡は左腕を突っ込んだまま少しずつ歩む。
発動を維持しないとすぐに飲み込まれてしまいそうだ。
ジジジと熔かすように餡の腕はスピカの奥へ進んでいく。
厚みは想像以上だった。
グニャンと足元が歪む。
餡は一瞬振り返る。
表面の傷口が狭まっている。
景色と射し込む光の量が減っていく。
餡は視線を戻す。
呼吸を整え、発動を続ける。
何が起ころうと、自分は命令に従い行動するまでだ。
視界が暗くなっていく………
◆◆◆
ベキベキベキ!
再び餡は振り返る。
空が先程よりも見えている。
サゴシがナイフで皮膚を切り取り、傷口を拡げていた。
遠くから鳴き声も聞こえた。
「許してやれよ。
これはスピカの意思とは関係ない。
変形核の防衛本能で、勝手に修復するみたいだからな。
セロリの通信を聞いてただろ」
餡は黙ったままサゴシを見つめる。
「さっさとしろよ。
穴掘りは得意だろ?」
サゴシはニヤリと笑った。
反対側の傷口が動き出したので、身体強化した状態でナイフを刺し、グリグリと刃を肉に入れていく。
「承知した」餡は言った。
餡は一層集中した。
左腕全体で化けを発動させる。
バチバチバチバチ!
熔けて柔くなった肉を、右手で引きちぎる。
奥が見えてきた。
「核を発見した」餡が言う。
サゴシも餡の後ろでそれを見た。
それはまるで眼球のようだった。
大きさはサッカーボール位だ。
緑色の液体が入った球体の中に黒い球体が入っている。
球体は赤肉を纏い、上半分だけを剥き出しにしていた。
タプンと黒球が動き、こちらを見る。
「破壊する」
餡は左手を伸ばし、球体を掴む。
体内とは思えぬ程冷たい。
硬さも、水晶のようだ。
黒球がグラグラと球体内で振れる。
バチバチと左手から音が出る。
周囲の肉が餡を押し潰すかのように寄ってくる。
サゴシは背後からその肉をナイフで何度も突き刺した。
肉は少し怯んでまた動き出す。
バリンッ!
グシャァァァ……
餡は外側の球体を壊し、中の黒い球体も潰した。
緑と黒の混ざった粘液がダラダラと流れていく。
キシャアアアア!
スピカは叫んだ。
今度は身体を内側に丸めていく。
頭を下げ、尻尾はダラリと落ちていく。
「出るぞ!」
サゴシは傷口に向かう。
餡も続けて外へ出た。
しかし、力尽きたのか、踏ん張りが効かず倒れる。
「餡?!」
サゴシが呼んだのと同時に陸稲が餡を抱えていた。
スピカの足元付近で待機していたようだ。
餡をひょいと肩に乗せて、サゴシも反対側に乗せる。
「スピカから離れる」
大柄な体型から想像つかない程の速さで管理センター方面へ走る。
充分離れた地点で立ち止まり振り返る。
サゴシは一旦降りた。
スピカは前屈みになり、やがてそのまま横に倒れた。
砂埃が舞い、振動が地面に届く。
巨体はどんどん小さくなっていく。
まるで身体の細胞が風に散っていくようだった。
「変形核を壊しただけで、身体も消えちまうのか?」
サゴシが呟く。
「スピカが教えてくれた。
変形核の黒い塊が、心臓らしい」
餡が陸稲の顔にもたれたまま言った。
「あんな小さいのが心臓だったのか。
キメラは化けと合成細胞で出来てる。
生命停止して、身体の維持が出来なくなったのか」
スピカの姿は見えなくなった。
風が何かを運んできたのが見えた。
目を凝らすとそれは、白毛だった。




