マザリーズ ☆
灯のと中央生態保護区管理センター
来客用駐車場前
警察機動隊 監視班テント
建物の反対側で、衝撃音と振動と鳴き声が連発している。
横幅ある建物の内側で何が起きているのか視認出来ない。
ドローンカメラと嗅覚センサーは動作不良を起こし、その他の通信機器も全く使えなくなった。
屋上に動物が数名いる。
草食か雑食のようだ。
現場の隊員の発言が、風に流れていく。
砂埃をあげ、テントから離れた側の巨大な柵が倒れた。
キメラと思われる鱗の部位を目撃した者もいた。
小隊は後退する。
隊長と隊員数名が報告書と共に、北灯中村役場に向かう。
承認済指示書が出るまで、彼らは待機するしかなかった。
◆◆◆
灯のと中央生態保護区管理センター
屋上
「変形が始まるぞ。
変形時に鱗が伸縮する。
伸びた鱗の隙間に気を付けろ。
縮んだ時にそこに身体や服があると挟まって動けなくなる」
サゴシはワイシャツにショルダーホルスターを身に着けた状態の姿で言った。
脱ぎ落とした緑色ダウンの端切れと羽毛が散っている。
頭を管理センター側に向けて倒れ込んでいるスピカの背中からニョキニョキと棒状の物が無数に伸び縮みし始めた。
その内4本が長い状態のまま左右に移動し、胴体の側面で止まる。
ガクンガクンと関節のように曲げながら、先端を地面に着地させた。
「もしかして……?!」
新しく出てきた棒は、脚の役割を果たし、ガザザザと長い胴体を引きずり始めた。
頭の位置はそのままに、スピカは後進していく。
餡が追いかけようとしたがサゴシは止めた。
スピカの背中の変形が続いていたからだ。
管理センターから離れた後、スピカはその場で方向転換し、頭を保護区へ向ける。
4本の追加脚と前後ろ足でズズズと進む。
背中のうごめきが収まった。
「ブランマンジェに止まるよう命令させろ!」
サゴシは言った。
「俺と餡で頭頂部に向かう。
変形は落ち着いたが、胴体に乗るのは危険だ。
頭の近くまで走っていく。
陸稲はスピカの尻尾が当たらない位置で並走しろ」
「「承知した」」
3人はフェンスを乗り越え屋上から飛び降りる。
間隔を空け、スピカの左側を並走する。
スピカの走行速度は自動車と変わらないものだった。
少し強化した足で走ればヒトでも充分追いつける。
ただ頭までの距離が長い。
『こちら、セロリ。
サゴシからの指示が欲しい』
タグ通信でセロリが話しかけてきた。
「なんだ?!」
サゴシは返す。
長時間の疾走は体力を消耗し、余裕を無くす。
『ブランマンジェが屋上から命令したいと言っている。
止まるように念じているが、全く反応がないらしい。
サエズリによると、サエズリかタテガミが同伴の上、短時間なら可能だ』
「脳に呼びかけるんだから、身振り手振りなんか意味無い!
とにかく何度も言葉を変えてスピカに念じるんだ!」
『それが指示なら、現状のまま続行する。
しかしそれでは解決しない。
ブランマンジェは動揺し、それがスピカに伝わっている。
スピカが保護区方面に向かうのは、生存本能だ。
空腹と負傷と精神不安がスピカを動かしている』
「空腹……」
サゴシは大型客船のような鱗の巨体を見る。
「タテガミ、応答しろ」
『何だよ、こっちはパニクってるお馬さんをおんぶにだっこで忙しいんだよ』
タテガミが気だるそうに返答した。
『
離してくれぇ!
スピカを止めないとぉ!
離せぇーーー!
』
タテガミのタグが、ブランマンジェの喚き声を拾う。
「お前、空腹訓練を受けているか?」
肉食動物には、幼少期の頃から空腹訓練を受ける決まりがある。
空腹状態でも、草食動物を襲わないようにする為である。
しかし個性権侵害や成長への支障も指摘されており、近年では形骸化・行事化している。
特殊任務に携わる等、条件を満たす肉食動物・家畜に限り、本格的な空腹訓練を行っている。
『それがどうした?』
「スピカに伝える言葉を、お前がブランマンジェに指示しろ」
『ハァッ?! 何で俺が?!』
「兵用家畜のお前は、ガキの頃から空腹訓練してるだろ。
その時に言われて、我慢出来た台詞を教えてやれ。
気分にムラっ気あって、暴れん坊。
お前とスピカ、気が合いそうだからな!」
『ふざけんなよ……!』
サゴシはもう喋らなかった。
命令は済んだからだ。
少し息が乱れる。
今の指示は願掛けみたいなものだ。
このままスピカの頭へ向かうしかない。
「餡、行くぞ」
サゴシと餡はペースをあげた。
◆◆◆
ようやく一番先頭の腕まで辿り着く。
周囲の景色が変わっていく。
手入れされていない草木が視界に入る。
『もうすぐ限定観察圏内に入る。
スピカの頭部から肩にかけては、伸縮が見られない。
着地しても問題ないだろう』
セロリの声が届く。
「承知した」
サゴシは応えた後、餡に視線を送る。
合図して二人は大きく跳ねた。
左肩の付け根に着地し、可動していない箇所まで進む。
そこで一旦呼吸を整える。
その間に管制室のやり取りの音声がタグから届く。
『
ねぇ?! 僕はどうしたらいいんだい?!
』
ブランマンジェの半泣きの声も入ってくる。
「鱗の上を歩くのは危険だから、ジャンプして一気に突起物まで行くぞ」
「承知した」餡は返答する。
「サエズリ、質問だ。
餡が頭を破壊すれば、動きが止まるんじゃないか?」
サゴシはふと気付いたことを尋ねる。
タグ越しに素早く吠える声が聞こえる。
『絶対に駄目だ。
変形核を壊さないと変形は止まらない。
核は脳を失ってもそれ自体で内蔵と筋肉と骨を動かすことが出来る。
頭部を破壊し、核が無事だと、スピカと意思疎通は不可能になる上に、核の場所を探ることも出来なくなり、完全に制御不能状態に陥る』
セロリの声は機械的だったが、緊張を感じるものだった。
「承知した。予定通り進める」
サゴシは餡と視線で合図し、足の強化を始めた。
まずはサゴシが頭頂部に跳ねて到着した。
右側突起物の傷口を確認する。
周辺は塞ぎかけていたが、一番深く抉れた傷はまだ残り、赤い身が見えている。
サゴシは餡に手を振る。
餡もその場で踏み込もうとした……
「うわっ?!」
スピカが大きく動き出す。
身体を起こし、後ろ足だけで立とうとしているのだ。
「餡?!」
餡は着地地点を失う。
サゴシは左手で鱗を掴み、右腕を餡へ伸ばす。
しかし、餡はそれを払うように身体を捻った。
「おいっ?!」
餡の身体は落ちる途中で止まった。
陸稲が受け止めたのだろう。
餡はトランポリンのように身体を飛ばし、サゴシの隣に着地した。
「徹底しているな」
サゴシの棘のある言葉に、餡は無反応だった。
動きが落ち着いた。
スピカは身体の向きを変えていた。
遠く離れた管理センターを見つめているようだ。
「横になったまま止まってほしかったが、まぁいいか。
ブランマンジェの指示が成功したんだな」
緑を水分を含めた風が、サゴシの頬に触れた。
◆◆◆
灯のと中央生態保護区管理センター
管制室
ブランマンジェはすっかり小さくなったスピカを見つめていた。
見つめ合っていると自覚した。
セロリとサエズリの横に並び、機器の前で立ちながら、フーっと息を吐く。
タテガミは数歩離れた位置に立ち、腕を組んでいる。
顔を片手の平で覆って、窓やその場にいる者達から背けている。
耳の毛先がピンと立っていた。
「僕は、スピカのことを自分の分身、或いは忠実な召喚獣のように考えていた。
でも、そうじゃないのかもしれないね。
僕とスピカの関係は……」
ブランマンジェはタテガミの方を向く。
「君のおかげだ。ありがとう。
さっきのは、君の保護者が言っていたのかな?」
「うるせぇ」
タテガミはそのまましばらく黙ったままだった。