灯のと中央生態保護区管理センター
国際基準の運営を求められる生態保護区管理センターだが、外観は数世代も前のままだった。
50年は経過しているだろう鉄筋コンクリートの建物を、ちまちま補修と内部改築を繰り返し、かろうじて現代のシステムを利用出来ようにしていた。
一部の壁には配管が何本も滝のよう取り付けられており、施工業者の努力と苦労が伺える。
10階建ての管理センターの左右からは建物よりも高い柵が遥か先まで続いている。
山の麓にあるセンターから始まり、柵は地形に沿って観察圏を囲んでいる。
だが現在は、近隣の柵は倒れたり、ベコベコに折り曲がったりと、無残な様子だった。
付近にキメラがいるとされていたが、外側からはそれらしき生物を視認出来なかった。
異様な臭いが僅かにする、とタテガミは言った。
センターから数百メートル離れた場所で、警察機動小隊が黙々と大型機材らしきものを運んでいた。
機動隊は村役場を本拠地とし、交代で監視をしている。
警察にキメラを突破する力が無い為、実質傍観だけの状態が続いていた。
特畜達は小隊から離れた地点で一旦立ち止まる。
機動隊が正面玄関と来場者用駐車場敷地の方向にいるのに対し、彼らは側面の職員用出入口を見据えていた。
近付くと幾度もキメラの被害に遭っていることが分かる。
駐車場のアスファルトには点々と穴が空いていた。
壁はヒビ割れ、花壇や外灯は破壊されていた。
「警察が取り付けている体温・嗅覚センサーのハックは出来るか?」
サゴシが建物付近に立っている木を見て尋ねる。
枝の付け根に機器が固定されていた。
特畜達も付近に複数設置されているのを確認していた。
「5分程度ならバレずに可能だ」
陸稲のダウンポケットから出てきたセロリは答えた。
四足歩行姿のまま、陸稲の肩に乗っている。
「建物の中に動物はいるのか?」
タテガミが言った。
「分からない。
事件発生以降、警察もまだ中に入れていないんだ。
キメラが妨害するらしい」
サゴシが答える。
「だとしたらどうやって侵入するんだ?
警察監視下で、キメラが暴れたら嫌でも目立つぞ」
タテガミの言葉にサゴシは頷く。
今回は今まで以上に隠れて行わなければならない。
サゴシは方法を考える。
「今日の警察機動隊の計画が分かった。
大型麻酔弾をキメラに撃つ。
キメラを観察圏から遠ざける為に、先に空気砲でキメラを誘発する。
1回目の空気砲は17分後予定だ」
セロリが言う。
「よし、それに乗じて突破するぞ。
陸稲、視認を誤魔化せるように空気膜を張れるか?
俺達周辺だけで良い。
その状態で、全員身体強化して一気に進む」
「可能だ。しかし身体強化と併用は出来ない」
「では、タテガミが陸稲を背負って進め。
強化してるんだから問題ないたろ?」
「ハァ?!
俺が隊長を背負うのかよ?!
俺の背中には既にサエズリがいるぜ?」
タテガミが大袈裟に自分の背中を指差す。
「サエズリ、こっちへ」
サエズリが四足歩行姿でタテガミの背中から出てきて、サゴシの懐にジャンプした。
「俺がこいつを抱えていくから、お前は陸稲を運べ。
セロリも一緒だから慎重にな」
「俺は膜を張っている間、体格調整が緩むから、体重が60キロ程増えるぞ」
陸稲はタテガミに言った。
タテガミは不服そうに牙をガチガチ鳴らした。
「餡はドアの開錠を頼む。
電子ロックであっても、強引に開けるしかない。
破壊しても良い」
「承知した」
餡は左手を掲げる。バチバチと音が響く。
◆◆◆
警察機動隊が拡声器で現場指示を出す声が聞こえてきた。
『空砲、第一回、発砲!』
ザラザラした雄の声が微かに届き、その後ボンボンッと太鼓を叩いたような音が空に響いた。
勢いよく飛び出した空気の名残りが、特畜達の足元に枯れ葉を落とした。
「来たぞ!」
サゴシは身構えながら言った。
年季の入った外壁の向こうから、壊れた柵の隙間を通り、それは姿を見せた。
鱗がついた長いもので、トカゲの尻尾を思わせた。
緑と灰色が交ざり、日に当たると虹色に反射した。
幅は約2メートルで、二足歩行姿の動物を越えるだろう。
尻尾は、ズズズと壁を這い、バシンッと地面を叩いた。
地面から砂埃が舞う。
しなりのある動きは、筋肉と関節の存在を窺わせる。
動物に当たれば致命傷であることは目に見えた。
尻尾は1本だけではなかった。
折り曲がっている別の柵を乗り越え、別の尻尾が現れた。
メキメキと柵は音を立て、やがて倒れた。
職員用出入口側からも尻尾が現れた。
『空気砲、第2回、発砲!』
ザラついた音声と、空気砲の音が再度響く。
尻尾3本は、音に反応したのか、先端を機動隊へ向けた。
「行くぞ!」
サゴシ達3人は身体強化状態で駆け出した。
餡、陸稲を背負ったタテガミ、サゴシの順で進む。
10秒経たずで難なく玄関に辿り着いた。
餡が右手でドアノブを握る。鍵がかかっていた。
3本の尻尾は機動隊の方へ勢いよく動いていた。
機動隊は3度目の空砲と麻酔弾の準備をしていた。
2台の警察用大砲が、動く尻尾と対峙している。
「このままだと機動隊が襲われる。
すぐ戻る」
餡はそう言うと、職員用玄関ポーチから跳ねて離れた。
尻尾の陰になる位置でしゃがみ込み、駐車場のアスファルトに左掌を押し付けた。
ビシッ!
バリバリバリ!
アスファルトが割れて筋が入る。
その筋は正面玄関の前と職員用出入口まで延びて消えた。
そして数秒後、周囲の地面が幾つも陥没し始めた。
特畜達も玄関ポーチに集まる。
外壁にも深いヒビが入った。
尻尾の動きは止まり、その場で巨体を左右に揺らした。
機動隊では、態勢を戻す指示が拡声器から飛んでいた。
餡が戻るとタテガミが口を開く。
「派手にやってくれるな。
軍の家畜がやったってバレたらどうするんだよ」
「負傷者の数は少ないに越したことない。
どうせ世間の認識だとあのキメラも軍のせいなんだろ?
キメラがやろうと、私がやろうと一緒だ。
それに」
餡は少し腰を落とし、左拳を扉に向けた。
「周りも壊れた方が、キメラがやったように見えるだろ?」
そう言って、扉の中央目掛けて正拳突きをした。
化けを発動した拳が当たった瞬間、ガラスのように鉄製の扉が割れる。
厚みのある破片がゴトゴトと落ちた。
「キメラはドアノブなんか握らないだろ」と餡は言った。
「調子良いな! 餡」とタテガミが言ったが、彼女は無視して、足元の扉の残骸を踏み越えた。
◆◆◆
建物内は暗かった。
廊下にある非常灯の明かりだけが、ポツンと浮かぶ。
下水の臭いが漂い、埃っぽい空気が淀んでいる。
しばらく動物に使われていない雰囲気がした。
「システムをハックするなら、どこに行くべきかな?」
サゴシはセロリに尋ねる。
セロリは陸稲の肩の上にいる。
サエズリはタテガミの背中ポケットに戻った。
「現状把握優先なら管制室だ。
非常灯が消えてないということは、自家発電は生きているのだろう」
と、セロリ。
「承知した。
管制室は5階だ。階段は右手を曲がったところにあるな」
サゴシは小型ライトで廊下の先を照らしながら言った。
「サゴシ。
スキャンしたところ、生物反応が5階にある。
外のキメラとは違う。
恐らく哺乳類、動物だろう」
陸稲が言った。
「行燈山で俺の脳がバグってなかったら、その動物は、白毛の雄サラブレッド。
灯キ協副会長のブランマンジェかもな」
サゴシは自分の頭を指で叩いた。
特畜達は身体強化はせず、通常の足取りで階段を登った。
外から大砲の音が再び聞こえてきた。