空白
兵機庁西灯支部家畜棟
サゴシ用飼育部屋
雄トラネコの冬と、雌チーターの医師が入室した。
行燈島退避後、サゴシを診察した医師が、そのまま担当医を務めていた。
冬がカーテンを開ける。
朝の明るい光が窓を照らしていた。
「気分はどう?」
サゴシは黙ったままベッドから身体を起こす。
冬と医師は、サゴシの世話と体調チェックをする。
「少佐、サゴシの体調に異変は見られません。
予定通り、特畜との合流も可能と思われます」
『では、サゴシを食堂に連れて行きなさい』
デスクのパソコンで医師とキャンディは通話を終えた。
冬は優しくサゴシに声をかけ、部屋を出るよう促す。
「じゃあ、冬。
あとはよろしくね」
医師とは飼育部屋の前で別れた。
◆◆◆
西灯に戻ってから、サゴシの検査はずっと続いていた。
検査を始めてすぐの頃、サゴシはダイダイが保護区を狙っていると訴えた。
「俺の記憶を見てくれ!
ジャッカルの思考を覗いた記憶がまだ残っている」
ヒトへの記憶施術は、体質的理由で難しいとされている。
記憶の化け能力者でもあるサゴシが、自身の記憶を見ろと言うのは、有り得ない事態だった。
しかしキャンディは冷静を貫いた。
「あなたの脳が混乱状態だったことが確認出来ました。
異物が頭蓋骨付近まで侵入し、脳神経や血管に影響していたようです。
よって行燈山侵入後のあなたの行動発言は一切無効です」
背もたれを上げたベッドに身体を任せているサゴシと目線を合わせる為に、キャンディはかがんで彼と顔を近付ける。
「もう黙りなさい。
あなたが警察がいる場で『リジェクト』と叫んだことで、こちらは余計な証拠隠滅に追われているの。
元帥のご配慮もあって、あなたの失態は見送りになった。
でもそれは今回限りよ。
次、問題行動を起こせば、私の独断で処分が開始される。
あなたの場合、処分方法は特任と同じです。
元帥もお許しです」
サゴシは出そうとしていた言葉を飲み込んだ。
その後はされるがままに、サゴシは無言で過ごした。
そして今日ようやく食堂に移動することが出来た。
◆◆◆
兵機庁西灯支部家畜棟
食堂
ダイニングテーブルで特畜達は無言で食事していた。
冬とサゴシが入ってきたので、夏は空いている席に食器や料理を運ぶ。
サゴシが座った席の斜め向かいに餡がいた。
かつてはムギが座っていた場所だった。
サゴシの隣は、サエズリ・タテガミと並んでいた。
タテガミが明らかに不機嫌そうにサゴシを見ている。
「まだ処分されてねーとはな。
流石、動物様だぜ」
タテガミの言葉に反応せず、サゴシは食べ始めた。
「俺がお前だったら、とっくに解体されて、別の家畜のプロテインにされていたぜ」
「タテガミ、静かにしろ」陸稲が言った。
「ケッ、何でミストレスはこいつに甘いんだよ?
お前のせいで、ここ数日大変だったんだぞ。
カンサブとか言う連中が家畜棟にも来やがったし」
タテガミは鬱憤を晴らすのを抑えられないようだった。
「俺は、自分のやるべきと判断したことをやっただけだ」
サゴシは味噌汁椀を置いて言った。
「それが、間違いだったんだろうが。
お前が行かなきゃ、ムギは静かに隠れて自爆したさ。
海の近くだったしな。
お前が『命令』したから、ムギは上空で爆発した」
「俺は別に上空で爆発しろとは命令してない。
それはムギが自分でやったことだ」
サゴシの冷たい口調が、タテガミの癪に触った。
「んだとぉ?!
ムギが悪いって言うのかぁ?!」
タテガミは机を叩き立ち上がる。
唸声を響かせ、サゴシを睨み牙を剥いた。
「座れ! タテガミ!
サゴシがここにいるのはミストレスのご意向だ。
お前はそれに逆らうのか?」
陸稲は少し声を大きくして言った。
タテガミはピクンと耳を動かし、座り直した。
背もたれにふんぞり返り、残りの骨付き肉をしゃぶった。
再び沈黙が訪れる。
特畜達は食事を続けた。
◆◆◆
『許してやってくれ。
ムギが死んで、タテガミもかなりショックなんだ』
食事中にサゴシの頭の中に直接入ってきた。
セロリの声だ。
(兵器庁の連中は、誰もムギを悼む様子がなかったからな。
ムギも報われるぜ)
向かい合う二人は、視線を合わずに食事を続ける。
(俺がここに来るまでの間に何があったか教えてくれ)
『了解した。
今のお前は脈拍や呼吸も、いつも以上に見られている。
気をつけろよ』
サゴシは少し顔を上げ、ニヤッと口角を上げる。
セロリもチラリとそれを見る。
「ああ……。
ここで食うと、一層美味く感じるぜ」
セロリは視線を戻す。
やり取りを知らない冬は、サゴシの呟きに目尻を緩めた。
『結論を先に言う。
現在、世間ではダイダイの正体は兵器庁になっている』
(何だって?)
『第1ブロック公安が行燈島での騒動について、軍が関係しているとして、捜査することを公表したからだ。
警察は軍よりマスコミとの付き合いが上手いらしい。
ダイダイは、灯のと軍が裏で主導する、キメラの不正利用組織だとして、色々書かれている。
嫌軍思想は、警察に限らず世間の中にもあった。
大喜びで軍の悪口が日々ネット上でも飛び交っている』
(何を根拠に、軍が絡んでいると警察は公表したんだ?)
『1つは、化けたムギが、サゴシとして警察にて照合され、サゴシと一致すると思われる雄ヒトが軍の訓練所に所属していたことが判明したからだ』
(訓練所出身だけで軍が絡んでいる材料にならないだろ)
サゴシは味噌汁をすする。
『確かにこれだけだと弱いな。
余談だが、元特任のお前だから、出自や本名や経歴は明らかになっていない。
既に3回死んでいる説がネット上では最有力情報となっている。
お前を、軍の陰謀により自爆した悲劇のヒーローとして扱っている連中もいるぞ。
本題に戻るが、もう1つの方がデカかった。
灯キ協所属の家畜専門医の遺体に、お前と一致する唾液と、口腔洗浄液の成分が付着していた。
洗浄液は、兵器庁製造で民間に流通していない物だった。
灯のと軍は説明要求を無視する訳にはいかなくなった』
サゴシはややむせながら、味噌汁椀を置く。
セロリはコップを口につける。
(遺体が液状カワウソのことなら、俺がぶっかけたやつだ。
でも、揮発してほとんど残らないはずだ)
『どうやら、僅かに残った成分を見事に検出したみたいだ。
警察も普段はそこまでやらないだろうにな。
これは私の推測だ。
灯キ協が警察の捜査に絡んでいるのだろう。
警察所有のものよりも遥かに微細な成分が検出可能な機材を、灯キ協は持っている。
非公開だが、公表に合わせた時期に使用履歴があった』
(行燈山について、まず疑うべきは灯キ協なのに何で警察と協力しているんだ?)
『行燈山爆発の翌朝、灯キ協会長が謝罪会見した。
副会長とその関係者達による無断の違法行為であったことを認めた。
キメラ飼育館の拡充計画で行政側と手続きを踏んだ上で、行燈山施設を建設していると、副会長から報告を受けており、会長はそれを信じて疑わなかったとのことだ。
会長は、自身の管理不足を認めて謝罪。
警察公安の捜査に全面的に協力するとした。
そして捜査が落ち着いたら辞職すると公式に発表した。
なお、副会長は現時点でも行方不明のままだ。
その上で、先程の警察公表だ。
世間は灯キ協会長を絶賛し同情的な反応を示した。
代わりに敵視しやすい軍が矢面に立った』
(なるほどな。
印象操作と、軍利用成分の発表が、世間の矛先を変えたんだな)
『会長のしげるは、元第1ブロック警察警視だ。
だが、非公式情報以外で、それについて触れているものは一切無い』
サゴシは声に出して笑いたくなるのを堪えた。
(そりゃあ、少佐もイライラする訳だな)
『ああ。
まだ特畜の存在は外に漏れていないようだ。
軍もそこに細心の注意を払っている。
私達もしばらく訓練も最低限しかやらずに待機している。
もしバレたら、軍は家畜悪用集団だと烙印を押されてしまうだろうな』
(自分達のやらかしも、全部軍にこじつけるつもりだな。
状況は分かった。
次に生態保護区について教えてくれ)
餡は箸を箸置きに戻し、手を合わせた。
食べ終えたの合図だった。
夏が膳を片付ける。
周りはいつもと違ってゆっくり口を動かしていた。
『ニュースサイト記事をまとめてテキスト化してある。
それを送る』
(種を植えるってことか?)
『に、近いかもな。
今まで私と通信しているんだ。
そこまで負荷はないだろう。
慣れれば、情報処理の化け能力のように扱えるだろう。
大丈夫、忘れたければ忘れられる程度にしてるよ』
(分かった。頼む)
セロリはニンジンサラダに箸を伸ばした。
ズンッ……。
脳内に文字が浮かぶような感覚だった。
あくびをするフリをして、瞼を閉じる。
(これがテキスト記憶というやつか。
初めてだぜ。
他の動物達は、ごく当たり前に取り込んでいるんだな。
少し吐き気がしそうだ)
頭の中の違和感と付き合いながら、サゴシはテキストを読んでいった。