動物
行燈山内部
3階廊下
避難ボート発射口から侵入した陸稲とセロリはエレベーターホールへ向かっていた。
陸稲は隣で歩くセロリを見下ろす。
あらゆる任務で必須の化け能力を持つセロリとサエズリ。
しかし身体強化が出来ない二人の運動能力は、一般動物とほぼ変わらない。
その為、陸稲かタテガミの背中に入り、現場に赴く。
能力を行使する時以外は、四足歩行待機が原則なのだ。
にも関わらず、セロリは二足歩行姿のまま歩いている。
陸稲にはいつもと違う緊張感があった。
彼の任務には一緒に行動するセロリの護衛もあるからだ。
(いる……!)
廊下の途中にある角の向こうに敵がいる。
陸稲が予め張っていた空気が、それを知らせる。
(敵も俺達に気付いている。銃を構えているな)
10メートルを切ったところで、陸稲はセロリを抱え、進行方向に背を向けてしゃがんだ。
ダダダダダダ!!!
銃撃が陸稲の背中を襲った。
壁や天井に銃痕が次々と生まれる。
「ストップ!」
10秒経たずして、女の声に合わせ銃撃は止んだ。
焦げた臭いと煙が舞う。
陸稲のダウンジャケットには黒い穴が無数に出来ていた。
「そこのカバとウサギ。
手を挙げて並んで立ちなさい。
勝手な動きを見せたら今よりも大きな弾を撃つわよ」
武装した警備員2名がガチャリと銃を持ち替える。
ヒールの音を鳴らしながら雌ヒトのジェミニが現れた。
陸稲とセロリは言われた通り、手を挙げて立ち上がる。
「良いジャケットね。
今位のじゃビクともしないのね。
そんなモノを着てるあたり、軍の特殊部隊かしら?」
陸稲とセロリは返答しない。
「まぁいいわ。次の質問に答えなさい。
答えなかったり、正しくないことを言えば撃つわよ。
情報の化け能力者はどちら?」
陸稲とセロリが無言のまま、数秒過ぎる。
「ウサギの足を撃ちなさい」
ジェミニの指示で1人の警備員が銃口の向きを変えた。
「ウワッ?!」「ウッ?!」
引き金を引く前に、二人の警備員の身体が急に脱力した。
銃を持っていた腕が緩み、その場に倒れ込む。
「貴方は空間の化け能力者というやつね」
陸稲は右手の平を前に出していた。
ジェミニはそれを見てニヤリと微笑む。
「警備員にはバイタル測定機器を身体に埋め込んでいるの。
彼らの血中酸素濃度が急に変動した。
貴方がやったのね。そして」
ジェミニはセロリを見つめる。
「そちらの可愛いウサギちゃんが、情報の化け能力者。
ずっと私を邪魔してきた元凶」
陸稲とセロリは手をおろした。
動作を伴わずに攻撃することは、陸稲も可能だ。
しかし、スピードが劣る為、セロリ防護を優先したのだ。
非戦闘者であろう雌ヒトを攻撃することは容易だ。
だが堂々と自分達の目の前に現れたということは、カウンター機能を備えているのだろうと陸稲は推測した。
「あら、貴方達は家畜なのね」
陸稲とセロリの耳のタグを見て、ジェミニは言った。
「兵器庁の家畜リストは逐一チェックしてたけど。
化け能力者の家畜という情報は入手出来なかったわ。
でも」
派手な化粧をしたジェミニは大袈裟に首を横に振る。
「実に非効率。
ウサギちゃんが情報の化け能力者って。
現役稼働なんて、あと数年も持たないじゃない。
カバのレア化け能力もそう。
習得するのに、どれだけ時間とお金をかけたの?
軍は国民の税金を何だと思っているわけ?」
陸稲は反応に困り沈黙を続けた。
セロリもだが、軍関係者以外の動物との交流を目的とした家畜ではないからだ。
「まぁ、良いわ。
家畜に言っても意味ないし。
せめて、そのタグ越しで聞いてる軍の誰かが気付いてくれたらね。
で、私がわざわざ会いに来てあげたのは理由があるの」
ジェミニは右手の平を前に出すと、グッと握った。
「私の名はジェミニ。
偉大なる生命体の最高峰の一人。
ねぇ、ウサギちゃん。
貴女の脳を私に頂戴。
貴女は可愛いから、首から上を綺麗に残してあげる」
陸稲の緊張が一気に高まる。
「カバの方も。
その能力をもっと有効に使いたいわ。
私達が管理してあげればもっと良い兵器になる」
陸稲は思考した。
自分達の任務は敵の情報化け能力者の無効化だが、動物を死に至らすことは出来ない。
無効化において動物の死亡が必須ならそれに限らないが、今はまだジェミニが化け能力者という証拠が掴めていない。
通信の存在もバレている以上、ミストレスもこちらに指示を出すことはしないだろう。
「私の脳はお前にやれない。
私はミストレスのものだ。
そして、私はダイダイの情報の化け能力者に会いに来た。
お前ではない」
ジェミニの紅く塗りたくった唇の端が歪む。
「はぁ? 情報の化け能力者がここにいない、ですって?」
陸稲はセロリに視線を送った。
「正確に言うと、ここにいるが、お前ではない。
だが、私も能力者がどこにいるか分からない。
お前は知っているのなら、会わせろ」
「失礼ね。家畜だから礼儀を知らないのかしら?
私が情報の化け能力者よ。
ただ、貴女の言う通り、パートナーがいるわ。
私の愛おしいダーリン」
そう言うと、ジェミニは大きな襟巻きを解いていった。
銀色の固くて長い布が床に落ちた。
ジェミニの肩が露になる。
彼女の左肩は横に伸びており、ニョキッとヒトの首がついていた。
「そういうことだったのか」
セロリは呟いた。
「ご紹介するわ。私のダーリン」
ジェミニは左肩についた首を左手で自分の顔側に寄せる。
ヒトの首は雄らしく、髪や髭を丁寧に手入れされていた。
口はダラリと開き、眼差しをセロリ達に向けていた。
「私とダーリンは一心同体。
二人で新しい世界を作っていくの」
ジェミニは雄ヒトと頬を擦り合わせる。
同時に右手で右太ももの付け根辺りを撫でた。
雄ヒトの表情が僅かに歪んだ。
「それはその雄ヒトの意思なのか?
お前は動物の身体を奪い、脳を自分のものにした。
そして大量の情報処理をそいつにさせ、自分は結果という蜜しか吸わない」
「動物?! あの首は家畜ではないのか?」
陸稲は目を見開いた。
「良いのよ。
私達は愛し合っていたの。
でも、彼は私の脳研究が違法だからと警察に密告しようとしたの。
そんなことされたら、私と彼は離ればなれになるわ。
だから、ずっと一緒にいられるようにしたの」
ジェミニは微笑む。
雄ヒトの眼球は一切ジェミニに向いていない。
「それはお前の一方的な意思だな。
双方同意ではない。
私はもう一方の要望に応じる」
セロリはそう言うと、右手を天井に掲げた。
バチバチを音を発す。
「何するつもり?!」
セロリは右手を振り下ろした。
バチィ!!! と、電流が流れる音が響いた。
しばらく沈黙が生じたが、ジェミニの笑い声が破った。
「ウフフフフ。
こちらは異常なし。
残念ね。ダーリンのセキュリティを甘くみないで」
「私は動物に攻撃は出来ない。
だが、システムの一部を破壊することは出来る」
「何ですって?」
ジェミニは首をかしげ、雄ヒトの頭部に触れようとした。
が、その手は突如あらぬ方向へ伸びた。
「痛っ!?」
ジェミニは左手の甲を壁に何度も打ち付けた。
付けていた指輪の宝石が皮に引っ掛かり、たちまち壁と甲が血に染まる。
「どうしたの? ダーリン止めて! 痛いわ!」
ジェミニの涙混じりの声も届かず、手は動きを止めない。
次に両手のひらを壁に付け、ジェミニは壁と向かい合う。
「え? まさか? 止めてダーリン……」
ガンッ!!
ジェミニは顔面を硬い壁にぶつけた。
鼻と口元を直撃し、血が流れる。
「ああ、止め……」
ジェミニは何度も同じ場所をぶつける。
声はか細く、顔中が涙や血に溢れていた。
「拘束する。このままでは死ぬ」
陸稲が進もうとしたが、セロリが手を伸ばし制止する。
「放っておけ。動物同士が勝手にやってることだ。
大丈夫。証拠は確保してる」
ジェミニはフラフラとしゃがみ込む。
彼女の視線は定まっていないが、雄ヒトの目はあるものを捉えていた。
「まはって……! ふぁーりん!?」
真っ赤な口が懸命に声をあげ、異質な悲鳴が響く。
ジェミニの手には、警備員が持っていた銃があった。
銃口を胸に当てた。
「ひゃあ! ひゃあ!!」
一発の銃声の後、ジェミニは仰向けに倒れた。
見開いた目から、生気は消えていた。
「終わったな」
セロリはジェミニに近付いた。
彼女は、ジェミニの首の隣を見つめていた。
「お前の方は、まだ息を留めているんだな」
陸稲もハッとして、雄ヒトの首を見る。
雄ヒトは口をキュッと閉じ、セロリを見上げていた。
「ありがとう。
君が制御回路を破壊してくれたおかげだ」
「話せるのか?!」
陸稲が驚いたように言った。
「こんな姿になって、話す気なんか起きなかった。
意地でもこの女に声を聞かせるつもりはなかった。
馬鹿だよな。キメラのくせに」
「お前は家畜ではない。
お前は動物だ。
だが、深刻な個生権侵害に遭っている」
セロリは淡々と話す。
雄ヒトの目から涙が溢れ出した。
「一時期関係があったことは確かだ。
しかし、俺から別れを切り出した。
放って置けば良かったのに、こいつの違法研究を止めようとしたばかりに、こんな……」
「お前は何も悪くない。
だから、お前の願いに応じる為に、私はやって来た」
セロリの返答に、雄ヒトは笑みを浮かべた。
「女が逝った以上、もうすぐ俺も死ぬ。
最後にもう一つ頼みがある。
誰にも聞かれたくないんだが……」
「大丈夫だ。
ジェミニが先程、外部通信を遮断して以降、ここでの会話は漏れていない。
私も復旧させていないからな」
「そうなのか?」
陸稲は困惑の声を出す。
ミストレスに報告しない状況は、彼にとっては有りえないことだからだ。
「そうか、ありがとう……」
雄ヒトは表情を曇らせ、奥歯を食いしばる。
「女の右太腿付け根に……。
俺の……ペニスがある。
切り取って、誰にも見つからないように処分してくれ」
「分かった。隊長、ナイフを貸してくれ」
セロリは陸稲からナイフを受け取った。
ジェミニの身体の前でしゃがみ、太腿に手を置き、感触でそれを確認した。
雄ヒトが小さく反応した。
「感覚を繋がれていたのか。
痛みを伴うぞ、大丈夫か?」
「ああ。
この屈辱から解放されるなら、なんてことないさ」
雄ヒトは静かに言った。
セロリは服越しにナイフでそれを根元深く切り取った。
緑の布に包まれたそれを、雄ヒトの前に見せた。
布の端がうっすら血に染まっている。
「隊長、これを空気圧で潰してくれ」
陸稲は無言のまま手のを差し出した。
それは、雄ヒトの前で宙に浮いた。
陸稲が手を握ると、布の中身がベコベコに潰れていく。
次にジリジリと焦げ始め、布と一緒に細かな灰だけが空間に残り、パチンと散っていった。
「ここまでやれば、動物に検出されることはないだろう」
陸稲は言った。
「ありがとう。
最後に君と……セロリと直接会話が出来て良かった……」
雄ヒトは声は小さくなり、瞼を下ろした。
セロリは消毒綿を取り出し、雄ヒトの顔に残った涙や鼻水を丁寧に拭き取った。
「安らかに眠れ」
セロリは立ち上がり、陸稲の方を見る。
陸稲は困惑の表情を浮かべたままだった。
「お前はミストレスの指示外のことをした。
重大な違反行為という自覚はあるか?」
「たまには私も、どの動物の指示に従うのか、選んでみたかったんだよ」
セロリは静かに微笑んだ。
瞬きをすると、いつもの無表情に戻った。
「ミストレス、こちらセロリと陸稲。
たった今、敵の情報の化け能力者の無効化に成功した。
これらから化け能力者の正体に関するデータを送る」
再度、セロリは陸稲を見る。
「彼と取引してたんだ」
ペロリと悪戯っぽく舌を出した。
「ダイダイのネットワークをハックする。
アクセス開始!」
セロリの瞳が赤く光り出した。