開催
兵機庁西灯支部
サブモニターに灯キ協の資料が映し出される。
メインモニターには排水路を進むタテガミが映っている。
セロリがハッキングした防犯カメラ映像である。
「少佐。
排水タンクの生体反応は、キメラのようです。
数年前、灯キ協はスライム状に形状変化するキメラ開発の発表をしていますが、倫理上等の問題から国は非承認。
開発は頓挫したことになっています」
マキが背後にいるキャンディに報告した。
「そう、ありがとう」キャンディは返答した。
「随分後付な資料ですね……」
マキが言葉を濁す。
「ええ、セロリとしては珍しいその場しのぎね」
キャンディは笑みを浮かべる。
「特畜達は我々の管理外で意思疎通をしています。
これはかなり問題ではありませんか?」
「そうした方が迅速で的確、と彼女は判断したのでしょう。
サエズリは記憶出し以外のアウトプットが出来ませんから。
セロリはほとんど機械で、応用が本来困難な存在。
それを彼女は自分の意思で実行しました」
マキは黙った。
キャンディが特畜に対し明確な線引きが出来ているのか、想像しようがなかった。
彼女ですら、モニター越しの特畜達の行動を見ていると、感情が線引きの邪魔していることが時々あるのだ。
「セロリが脳神経信号までコントロール出来るなんて。
次の特畜開発が楽しみだわ」
キャンディは嬉しそうにキャンデーを囓った。
◇◆◇
行燈山内部
??????
そこは簡素なベッド室だった。
蛍光灯が青白く光っている。
雄イノシシ姿のムギは皺のないシーツのベッドの上に仰向けで寝かされていた。
靴は脱がされているが、拘束された状態ではない。
『監視カメラ映像にフェイクを仕掛けた。
動いて大丈夫だぞ』
ムギの耳元にセロリの声が届いた。
「ありがと」
ムギはベッドから降り、首筋をなぞる。
「あの程度のピリピリで倒れなきゃいけないのも大変だわ」
ムギは声を元に戻した。
ベッド傍の簡易棚に、オクモトの荷物が置かれている。
ムギは紙袋の中身を1つ取り出した。
「駅のお土産屋さんで買っておいて正解だったわ。
飼育館もよそで販売してるグッズは把握してないみたい」
ムギは、磁石と金属で出来た魚の置物を眺める。
背びれの部分が欠けている。
「このコのおかげで金属探査を免れたわ」
そう言って、置物を紙袋に入れ直した。
ムギはピンクダウンジャケット姿に戻っていた。
ホルスターからリボルバーを取り出し、動作確認する。
『タテガミとサエズリが侵入に成功しました。
敵の警戒が二人に向かう隙に、ムギはダイダイの証拠を掴みなさい。
サゴシと餡も間もなく侵入するから合流するように』
キャンディの指示を聴きながら、ムギは耳裏に貼り付けていたタグを剥がす。
ユラユラと銀色の小さなプレートが耳先で煌めいた。
「承知した。
ねぇ、セロリ。
このドアは電子ロックみたいなんだけど、解除出来る?」
『セキュリティと併せて30秒後に解除する。
5秒以内に扉から4メートル以上離れろ』
「りょーかい」
ムギは無機質な扉を見つめる。
タグからセロリのカウントダウンが聞こえてきた。
「さぁ、楽しいお祭りの始まりよ」
扉が静かに開いた。
◇◆◇
行燈島 行燈大橋
サゴシ達は行灯から行燈大橋を渡って島に入った。
行燈大橋は行燈島の玄関口である。
自動車用と歩行者用の橋が、並行して架けられている。
海上を歩ける橋として、人気観光スポットの1つである。
島に着いて真っ直ぐ進めば、観光街や登山道に繋がる。
しかしサゴシと餡は東方面に進んだ。
観光地らしい賑やかな雰囲気が薄らいでいく。
二人は東行燈港に到着した。
海沿いの都市行灯には、漁業・貨物・観光・娯楽と、大小様々な港がある。
行燈島唯一の港である東行燈港は貨物用の小さな港だ。
遊歩道にはカップル等の観光客が数組歩いている。
セロリからの情報によると、定期的にキメラ飼育館宛の荷物が一部東行燈港に届くらしい。
今日も飼育館宛の荷物が運ばれるとのことだった。
二人は並んで遊歩道を歩き、貨物上屋を目指す。
岸壁に停泊している船から、コンテナが運び出されている様子が見えた。
上屋は昔ながらの、壁が一部ない造りをしている。
機械化されていない現場で、動物達がクレーンを使い、声を掛け合いながらコンテナを積み上げていた。
サゴシはダウンジャケットを着たままにしたが、餡は脱いで小脇に抱えている。
片袖がないダウンジャケットは目立つ為だ。
襟ぐりのあまり広くない白いタンクトップ。
ストレッチがきいた細身のブルーデニム。
どちらも靭やかな身体の線を綺麗に形どっている。
太もものホルスターがファッションアイテムに見えた。
セロリが侵入方法をタグ越しに伝えてきた。
サゴシがそれを聴いていると、餡が腕を絡ませてきた。
サゴシは周囲に目をやる。
カップルがベンチに腰掛けて似たようなことをしていた。
餡はそれに倣ったのだろう。
『貴方からは触れては駄目よ、サゴシ』
キャンディの声がセロリを遮って入る。
「分かってますよ」
サゴシは苦笑いした。
腕を組んだまま二人は歩き始める。
ダウンジャケットを間に挟んでいるので、胸は当たらないようになっている。
ふと、餡が歩みを止めて振り向く。
「どうした?」サゴシは尋ねた。
「視線を感じた。不快だった」
二人は上屋に降りる階段に向かうところだった。
遊歩道の下はテトラポットが積み上げられている。
反対側の山の断面に、土砂崩れ防止の網が張られている。
上屋と遊歩道以外で、動物の姿はなかった。
ただ雄の動物とすれ違う時、二度見されることはあった。
皆、餡に視線を送っていたのはサゴシも分かっていた。
「セロリ、陸稲、周囲に怪しい反応はあるか?」
『直近で長老を盗撮した形跡はないわ』とセロリ。
『港周辺で動物と一般家畜以外の生物反応はない』と陸稲。
『ダイダイがどう動いてくるか、予測不可能です。
警戒しつつ、作戦は継続しなさい』
キャンディが言った。
「承知した」
サゴシは餡と目を合わせ、再び歩き始めた。
陸稲の空気スキャンは島とそれに付随する自然物や機械に限られていた。
島から10メートル程離れた海面で揺らぐ、僅かな光の屈折の誤差に、特畜達は気付けなかった。
海面の一部がニュニュと上がる。
黒い鼻と哺乳類の口元が現れた。
その口元は僅かに微笑んでいた。
口元は海面に溶け込み、波と共に岸へ向かっていった。
◇◆◇
行燈山北側
陸稲とセロリは立入禁止区域で情報収集を続けていた。
『サゴシ、餡、侵入に成功』
サゴシの報告に陸稲は大きく息を吐いた。
楽な姿勢になり、ウエストポーチからエネルギー補給食を取り出した。
セロリの瞳も元に戻り、同じく補給食を口にする。
二人共、かなり疲労している様子だった。
『セロリ。
あなた達が侵入する経路を決めなさい』
キャンディの声は変わらず淡々としている。
「我々は避難用出入口から侵入する」
そう言うとセロリは立ち上がった。
「避難用はどこにあるんだ?
スキャンしようか?」
陸稲が尋ねると、セロリは笑みを浮かべた。
初めて見る表情に陸稲は戸惑った。
「必要ない。既に招待状をもらっている」
『どういうことか説明しなさい』
キャンディの声が聞こえたが、セロリは返答しなかった。
代わりにサブモニターに古いゴシップ記事を表示させた。
◇◆◇
行燈山内部
監視室
内線で呼び出されたクッキーは慌てて入室した。
キメラ飼育館警備員(表向き)の動物達が立ち上がる。
「虫はどこだい?」
「は!
地下のごみ処理場付近でございます。
排水路から換気口を経由して侵入したと思われます」
中央のモニターには、赤いダウンジャケットを着た雄ライオンらしき動物が映っている。
「階段扉の鍵を壊し、上階に向かうようです」
「道具も無く、壊したな……。
それにあの服装。やはり……」
「俺が行く」クッキーの背後から声がした。
振り向くと、上半身裸の雄バイソンのレオが立っていた。
「応援はいらねぇ。
俺一人で遊んでやるぜ」
レオは肩を上げ下げした。
焦げ茶色の薄い体毛の下がうっすら赤くなった。
「油断は禁物だぞ。
あと、派手に暴れすぎるなよ」
「分かったよ、マスター」
レオは笑いながら監視室を出た。
マスターことクッキーは、オクモトがいる部屋の監視カメラを確認する。
オクモトは変わりなくベッドで眠っている。
ドクターに状況を尋ねると、あと10分程でオクモトを処置室に運ぶ予定とのことだった。
クッキーは警備員達に指示を出し、その場を離れた。
バルゴが来るのを待っている間、言いようもない緊張が彼を襲っていた。
(遂に虫がやって来た。
私はただ、バルゴ様の仰せのままに動くのみ……)