密会
飼育館とは、家畜や哺乳類以外の生物を飼育・展示する施設の総称である。
昆虫や爬虫類、魚類等。
食用や観賞用ではなく、生息している姿を見ることが出来る施設である。
飼育館は、灯のと国内にも大小幾つかあり、子どもから大人まで親しめるレジャースポットである。
数年前に出来た行灯キメラ飼育館。
銀色のドーム型屋根が特徴的な大型施設だ。
ここは、灯のと初のキメラ家畜専門の飼育館だった。
キメラは超大型タイプが一般的である。
土地・資源が限られる灯のとでは、キメラの飼育展示は困難だとされてきた。
継続的にキメラ展示する飼育館は行灯が初めてだった。
行灯の飼育館の特徴は、展示キメラのほとんどが合成タイプというところである。
キメラ家畜展示自体は珍しくないが、合成タイプをメインで展示している飼育館は、世界でも行灯が初だった。
運営者の灯キ協は、これを機に知名度を上げた。
◇◆◇
行灯キメラ飼育館
正面入口前広場
駅から歩いて10分程にある飼育館前には、近隣住民達が途切れることなく行き交っている。
ベンチには夜通しの体力仕事を終えた雄ツキノワグマがひと眠りしていた。
ムギは、ブランマンジェが従業員専用入口から館内に入るのを確認した。
人の流れに沿うように広場周辺を歩き回りながら、スマホを見た。
本日ブランマンジェが会う予定の動物の情報が届く。
「オクモト
イノシシ 雄
玩具メーカー『トゥオルゥオ株式会社』の営業二課所属
午前10時半、行灯キメラ飼育館にて。
新グッズ企画プレゼン」
さえない表情の雄イノシシの顔画像をムギは見た。
「パッとしなさそうな男ね。
トゥオルゥオってどんな会社なの?」
『土産用のグッズ製造を得意とした会社だ。
国内大手に比べれば、ブランド力も知名度も劣るが、グッズ製造のシェアに限れば上位だ。
注目は、多種目少量生産を実現可能にするため、黄に専用工場を構えていることだな。
本社も黄にある』
セロリは淡々と答えた。
「あら、色々ご縁がありそうなところね」
『トゥオルゥオとダイダイの直接関与の証拠はまだ無い。
だが、この会社は過去に、南島マリンランドのグッズ製造権をうずしおと争い、負けている。
その担当をしていたのが、オクモトの父親だ。
彼は営業一課成績トップだったが、これを機に退職。
後に息子が入社したが、営業二課の平社員止まりだ』
「もし、灯キ協がダイダイなら、使い捨てマリオネットってところかしら」
ムギは時計を見る。
まもなく9時になるところだった。
「オクモトに接触してみるわ。
彼の現在の居場所を教えてちょうだい」
『了解。判明次第連絡する』
セロリとの交信は一旦途絶えた。
◇◆◇
行灯キメラ飼育館
飼育館事務所兼、灯キ協行灯支部事務局
館長兼、行灯支部長デスク
ブランマンジェはスタッフ達に挨拶しながら、フロア中央のガラス壁に囲まれたデスクに向かった。
飼育館側のスタッフは誰もいなかった。
デスクにはクッキーが待機していた。
「毛並みが乱れているよ。
また泊まり込みかい?」
ブランマンジェがドアを閉めると、クッキーが電動カーテンを下し、周囲から姿を見えなくさせた。
この世界の壁やカーテンは、防臭・防音に優れているが、ここで使用しているものは、一般的なものよりもはるかに高機能で、そのことを知る者は二人だけだった。
「すぐに集会室に行ってください。
会長が飼育館スタッフにお説教中なんです。
止めに行かないと、スタッフが業務を終えられません」
「メール来てたあれだね。
全く、困った動物だな。
丁重に謝って、叱られてくるか」
「申し訳ございません。
本来、貴方様にこのようなことをさせるのは……」
「クッキー。
今は、副会長と秘書だよ。
それに、あのおじさんが偉そうにして、皆を静かにさせてくれているから、僕達も動きやすい。
これくらいのパフォーマンスはなんてことないさ」
ブランマンジェはカーディガンを脱ぎ、カーキ色の飼育員用作業ジャケットに着替えた。
「集会は解散させて、僕一人でおしゃべりを聞いてくるよ。
そうなると、10時半の約束には間に合わないだろうから、11時に変更しておいてくれ。
ドクターにもそのように」
クッキーがピンと耳を動かした。
「ドクターには、彼女から連絡させた方が良いのでは……」
「彼女は今、虫の侵入対策に集中している。
代わりにやっておいてくれたまえ」
ブランマンジェはカーテンを上げ、デスクを離れた。
◇◆◇
「30分ズレるか。
どっかで飯でも食ってこうかな?」
雄イノシシのオクモトは、スマホからメールを返信した。
オクモトは着いたばかりの駅周辺を見渡し、店を探す。
地面に置いていた大きな紙袋を持ち上げると、ガチャと音がした。
ファミレスに入った彼はトーストセットを注文し、片手でスマホゲームを始めた。
「おはようございます、オクモトさん」
知っている声が頭上から降ってきた。
メンズコロンの香りが鼻をくすぐる。
「ブランマンジェさん!?」
紺色カーディガン姿のブランマンジェは、テーブルを挟んで向かいに座る。
ホールスタッフにアイスコーヒーを注文した。
「急な打合せじゃなかったんですか?
秘書の方から連絡もらいましたけど?」
オクモトはスマホ画面を閉じながら尋ねた。
「そうなんだ。
でも、君に伝えたいことがあって抜けてきたんだ」
ブランマンジェは身を乗り出し、テーブルに体を傾けた。
つられてオクモトも身をかがめ、二人の鼻先は近付いた。
「今日のプレゼンに会長も参加することになった。
会長は難癖をつけるのが趣味みたいな動物だ。
君が不利になることは目に見えている。
だから、事前に情報共有しようと思ってね。
上手くいけば、今日で契約まで進められる」
「本当ですか?!」
オクモトの目が見開いた。
「静かに!
裏工作してるのがバレたらマズい。
時間差で駅のトイレに入って、資料の受け渡しをしよう。
コーヒーを飲んだら先に僕が出るから、後から来てくれ」
「わ、分かりました……」
「よろしく。
僕も君の提案する商品を是非採用したいんだ」
ブランマンジェはアイスコーヒーを一気飲みした。
席を立ち会計を済ませファミレスを出た。
約5分後、オクモトは指定された駅トイレに向かった。
◇◆◇
朝の通退勤が落ち着き、駅トイレは静かだった。
「一番奥の個室トイレに資料を置いてくれているんだよな」
使用中でない個室トイレのドアは開いたままの状態になっている。
オクモトは急いで奥の開いている個室トイレへ向かう。
目的の個室の1つ手前まで来た際、使用中で閉まっていたはずのドアが開き、オクモトはそこへ吸い込まれるように入った。
ほとんど音もせずドアは再び閉まった。
直後にやって来た利用者は、そんなことに気付くこともなく、手前の個室に入った。
「ウフフ、ちゃんと来てエラいわね」
ムギはオクモトの視覚嗅覚を奪う為のハンカチを彼の顔に覆いながら言った。
片方の手で口を上下から抑えているので、オクモトは呼吸以外何も出来ずにいる。
ハンカチに染み込ませていた睡眠薬が効き始め、オクモトの身体はグッタリと動かなくなった。
動物二人には広くない個室でムギは彼を便座に座らせた。
オクモトの着ていた既製スーツをチェックし、服をカーディガンからスーツへ変える。
同時にムギは姿をイノシシに変えた。
次に、ポケットに入っていた小物を回収し身に付ける。
最後に重たい紙袋を持ち上げた。
中にはプラスチック製の人形のようなものが雑に放り込まれていた。
書類も一緒に入っており、取り出してみると、プレゼンのシナリオや、メール本文を印刷したものだった。
「セキュリティ意識の低い営業マンは成果出せないわよ」
ムギの声はオクモトのそれに変わっていた。
「これから灯のとキメラ飼育館に向かうわね。
でもメールだと『いつもの場所』となっているのよね〜。
どこだと思う?」
『オクモトのスマホカメラデータに、手書きメモを撮影したものがあった。
これからお前に送る』
耳のタグからセロリの声が届いた。
「駄目よね〜。
大事なメモをスマホに残しちゃ。
じゃ、行ってくるわ」
誰もいないことを確認し、ムギは個室を出て器具を使って外側から施錠した。
「ゆっくりお休みなさい」
ムギは駅トイレから出て、『いつもの場所』に向かった。




